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◎度しがたい韓国政府・議会の反日狂想曲

◎度しがたい韓国政府・議会の反日狂想曲
 日韓は「無礼」がこだまする
 どこまで感情的な国家なのだろうか。歴史的には中国から度々蹂躙され、日本に併合され、感情的対応だけが対外交渉の武器として醸成されてしまったのだろうか。それにしてもここに来て何でまた反日なのか。韓国政府・議会による反日二重奏である。冷静であるべきマスコミまでが、反日機運の盛り上げに余念がない。かくなる上は日本を失う韓国と、韓国を失う日本とどちらが痛痒を感ずるか我慢比べをしてみてはどうか。反日急先鋒の国会議長文喜相はかつて大統領文在寅の特使として来日しており首相安倍晋三とも会談している。知日派なのだ。
   極東情勢は27日と28日にベトナムで開かれる米朝首脳会談を軸に、ダイナミックな展開も予想されるところである。そのような国際情勢などどこ吹く風と、文喜相は人相風体にふさわしい吠え方をした。インタビューで、「天皇陛下が元慰安婦に直接謝罪すれば慰安婦問題は解決できる」と発言、日本政府が反発したのに対して「謝罪する側が謝罪せず、私に謝罪しろとは何事か。盗っ人たけだけしい」と開き直ったのだ。「盗人たけだけしい」とは、究極の国家批判であり、昔なら政争勃発だ。そもそも今上天皇が、慰安婦問題に何らかの関わりをしたなどと言うことはあり得ない。
 日本は1965年の日韓基本条約において無償で3億ドル、有償で2億ドル、民間借款で3億ドルを支払っている。合計して8億ドルである。8億ドルという額は当時の韓国の国家予算の2.3倍であり、いかに高額であったかが分かる。戦後の韓国経済が立ち直ったのはいうまでもなく賠償金のおかげである。
 要するに謝りすぎるほど謝ってきたのだ。しかし、冷静かつ客観的に外交を報ずるべき韓国のマスコミも朝鮮日報が「経済報復をちらつかせ、連日韓国を脅かす日本」と報ずるなど被害妄想的な扇動記事を掲載し続ける。これに対して自民党内には対韓強硬論も台頭している。自民党外交部会では①韓国に対する防衛関連物品の輸出の規制②大量殺傷兵器への転用の可能性がある物品や材料の輸出に関し、韓国を「ブラックリスト」に含める③韓国の半導体産業に欠かせないフッ化水素などの輸出を引き続き制限するーなどが検討されているようだ。
 一方、外相河野太郎は同日、文喜相議長について「極めて無礼だ。単に国会議長であるだけでなく、韓日議員連盟の会長を務めた人物がこのような話をしたのは深刻だ」と指摘した。当然の発言である。これに対して超党派でつくる韓日議員連盟会長の姜昌一は「河野外相は逆に非常に無礼な発言をした」と指摘した。姜は、天皇の謝罪を求めた文の発言は「極めて常識的だ」と述べた。また、「韓日関係は良好であるべきだ」とし、「日本の政治家は長い目で見て自重してほしい」とも述べた。
 このように木霊がこだまを読んで、事態はエスカレートしている。問題は大統領文在寅だ。本来なら文喜相発言を諫める立場なのに、後ろを向いて含み笑いをしているがごとく、なにもしない。もはや反日とも言っておかしくない文政権が続く限り日韓関係の修復はおぼつかないと見るべきであろう。韓国が安易な反日路線を取る背景には経済的な要因も少なからず作用している。対日貿易の比重が低下しているのだ。対日輸出は2007年に7.1%で3位であったものが2017年には4.7%で5位にまで低下している。韓国の貿易で“日本パッシング”が生じているのだ。
 日本はこの際安易な関係回復などを模索する必要はない。北東アジアの片隅で、国際外交の何たるかに疎い韓国が国際常識の通ずる国に“成長”するまで“優しく”見守るのが一番だろう。それよりも米朝首脳会談が大きく進展すれば、日朝関係に好機が生ずるかもしれない。日本は対韓、対朝でバランスを取った外交を展開するチャンスとなりうる。北の金正恩の方が御しやすいかもしれない。
◎俳談
【地名は難しい】
 初心者に限って一句に地名を入れたがるが、最初のうちはやめた方がいい。地名には鑑賞者に独特の思いがあって、地名が入ると季語とバッティングして俳句を損なってしまうケースが多い。芭蕉も「去来抄」で名所(地名)が季語に迫る力をもつという考えを述べている。「地名が一句にはいるとき、季語不要の場合がある」とも述べているのだ。一例を挙げると
歩行(かち)ならば杖つき坂を落馬かな
がある。杖衝坂は古事記にもある有名な四日市の地名だ。句意は、歩行なら杖を突いてのぼる杖つき坂だが馬に乗ったため落馬してしまったというのだ。芭蕉が言うようにこの句は無季である。杖つき坂という有名な地名を前面に出した挨拶句のような感じを出している。いずれにしても大した句ではない。地名を知る読者は、地名に感慨を覚えてしまって俳句のの感慨が消えかねないのだ。
 しかしどうしても地名と季語を両方使いたくなるのが人情だ。これが見事に調和すれば問題ない。例えば鷹羽狩行は
端居より端居が見えて琉球村
と詠んでいるが、夏の季語端居をダブらせて使っている。のんびりした沖縄の田舎を表現して、違和感はない。
房総の卯波とどろき月上る 毎日俳壇一席
は房総でなければならない必然性があって成功した。房総という大きな景を読者にイメージしてもらう必要があるからだ。
春の空仰ぐ人あり銀座裏 毎日俳壇入選
 これも銀座の路地裏を詠んだが、住宅地の路地裏でなく、銀座であるからなり立つ句だ。しかし筆者も地名を入れて成功した例は少ない。芭蕉は奥の細道の旅の途中、平泉で
夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡
を詠んでいるが、地名は入っていない。地名を入れなくてもこれだけの名句が出来るのだ。初心者は地名を入れない工夫をした方がいい。