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[4687] げに難解な「難波の選挙」-その① Name:浅野勝人

[4687] げに難解な「難波の選挙」-その① Name:浅野勝人 MAIL NEW! Date:2015/12/11(金) 22:13 
 
げに難解な「難波の選挙」― その①
安保研理事長・浅野勝人

「橋下徹を問う」大阪の知事、市長のダブル選挙が終わって、アーでもない、コーでもないの百家争鳴も静かになりましたので「難波の選挙」をゆっくり考察してみます。
大方の選挙通を自認している知人の予測は、知事選挙は松井の勝ち。市長選挙はどちらが勝っても僅差だが、柳本ではないか。これが東日本出身者、とりわけ東京から眺めている人の予測の公約数だったといって差し支えないでしょう。

根拠は、府民の賛否を選挙で問うて負け、結着のついた「都構想」を勝手に再び持ち出して、「今度は賛成せよ!」と有権者に迫る選挙には無理がある。まして、大阪市長の任期が満了したら政界を引退すると公言している人の主張としては理解に苦しむ。こんな思いによります。物事を論理的に考えがちな東京人の思考回路としては、「理屈に合わない」と判断しますからもっともな結論です。

ところが、大阪の有権者は、実は単純なのかもしれないのですが、わたしどもには分析困難な複雑な心情の持ち主と映っています。だから、一筋縄ではいかないのが難波の選挙の予測のむずかしさです。

もし、仮に橋下市長が前言を翻して政界から身を退(ひ)かなくても、真(ま)に受けてはいませんから「やっぱりそうか。私の思った通りだ」となります。東京人のケースでしたら、公約違反の嘘つきと断罪されて政治生命が絶たれます。
案の定、結果は、知事、市長ともダブルスコアで橋下の勝ち。
ですから、大阪の人は奇想天外な結論を出したとは思っていないのに、東京の人は「まったく分からない結論」と頭を捻る(ひねる)ことになります。

かつて、私は、痛い目に遭った経験が2度ありますから、大阪の人々が簡単に橋下徹を退けるとは思っていませんでした。

一度は、1971年(昭46)4/23投票の大阪府知事選挙。私はNHK政治部記者の時代です。
現職で4選を目指す自民党公認・左藤義詮と社会党、共産党推薦の新人・黒田了との争いです。
左藤は、3期の実績に加えて、前年、世紀の大阪万博を成功させた最強の候補者です。一方、社共共闘がゴタゴタして調整に手間取り、黒田の出馬表明は告示日11日前までずれ込みました。その上、候補者難から、人選する側にいた黒田が急きょ候補者に担がれました。火中の栗を拾わされた黒田は大阪市立大学教授の無名の新人でした。勝負にならないと思うのが東京の常識。「左藤大勝」はNHK政治部の疑いようのない判断でした。

この時、NHK政治部にワシントン総局から転勤してきたばかりの外信部育ちの記者がいました。日本の政治、とりわけ日本の選挙を取材するのは初めての経験なので、間違いようのない大阪府知事選挙を担当させて勉強してもらうことになりました。大阪の出張取材から帰ってきた彼は、選挙情勢検討会議の席上「大阪は甲乙つけがたい接戦だ。黒田が勝つケースを考えておく必要がある」と報告し、万座の失笑をかいました。
 
結果は、黒田―1,558,170票。24,907票の僅差で黒田の勝ち。
時の自民党総裁、佐藤栄作首相が「大阪で何が起きたのか、理解に苦しむ」と言いましたが、私を含めて政治部記者も全員真っ青でした。彼は、なぜか、私に「だから黒田だと言ったのに」と小声でささやいたのを今でも良く覚えています。
 
「煤煙まみれの大阪の空を、もう一度、きれいな空にする」と訴えた黒田の公害・環境対策が当たったというだけでは説明がつきません。
ウインストン・チャーチルは「最後の血の一滴まで戦おう」とイギリス国民を鼓舞し、全国民全幅の信頼を得てナチとの過酷な戦いに勝ち抜いた「国家の救世主・イギリスの英雄」でした。第2次世界大戦に勝利した戦後、最初の総選挙はチャーチルの勝利を世界は疑いませんでした。開(あ)けてビックリ! イギリス国民は保守党のチャーチルを退けて、社会党のアトリーを勝利させて、戦後の立て直しを託しました。私はぼんやりそんなことに思いを巡らせていたのを記憶しています。
続きは、げに難解な「難波の選挙」― その②を15日に掲載します。お楽しみに・・・(元内閣官房副長官)