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再度=げに難解な「難波(なにわ)の選挙」 ② Name:浅野勝人 

再度=げに難解な「難波(なにわ)の選挙」 ② Name:浅野勝人 Date:2015/12/27(日) 17:47 
 
再度 = げに難解な「難波(なにわ)の選挙」- その②
安保研理事長  浅野勝人
 
その②については様々な反響がありました。実は、強い批判が集中すると思われた大阪では、近畿ネット主宰者の池尻一寛氏のもとに10件余の「納得できる見解」という評価が、直接、あったそうです。異論はなかったとのことでした。ところが、東京の何人かの知人から、☆分析の根拠が一方的で独断に過ぎる。☆有権者がテレビによく出ている人気者に弱いのは全国共通の社会現象で、大阪に限ったことではない。☆東京の有権者も青島幸男を大勝させた。など同じ趣旨の指摘をいただきました。
わたしの見解について、説明不足だったと自覚させられましたので、もう一度、真意を伝えたいと存じます。その上で、改めてご批判をいただきます。

<以下、その②>
もうひとつは、投票日が1995年(平成7年)4/23ですから、政界に転身してからの選挙です。
この折の大阪府知事選挙は、1993年7月の総選挙に敗北して野党に転落した自民党が、1年後に社会党々首・村山富市を担いで与党にカムバックしてから迎えた重大な試金石でした。自民党は、黒田知事が誕生して以来、大阪府政としっくりいってなかったので大阪奪回に懸命でした。  

幸い、相手は漫才師の横山ノックこと山田勇参議院議員です。横山エンタツの実子といっても、今の人はエンタツを知らなでしょう。大勢の中に混じっている異色の議員は、時に一服の清涼剤になりますが、行政官の大阪府知事には不適正と思われるに違いないと判断しました。
自民党は奪還の好機到来と捉えて、横山ノックと対比される候補者を、行政に精通した真面目な学者肌で、利権とは程遠い官庁のトップから選んで、大阪に送り込む算段をしました。大阪外大の卒業ですが、自然科学にも明るく堅物で知られる科学技術庁事務次官の平野拓也に白羽の矢を立てました。「わたしはおよそ選挙には不向き。ご勘弁願いたい」と固辞する平野を「だからあなたがベスト」と口説いて、「平野候補を全面支援。政府と一体となって大阪を再生」と発表して、「これで大阪はもらった」と安堵しました。中央官庁最高峰の行政官が、お笑いタレント出身候補に負けることは、よもやあるまいというのが東京人共通の思いでした。(註:著者がお笑いタレントを軽視して表現しているのではないことを書き添えます)

結果は、横山ノック 1,625,256票。 平野拓也 1,147,416票。
なんと477,840票の大差で横山ノックのぶっちぎりでした。
政府・与党の幹部はいち様に、神戸市立楠木高等小学校卒に高級官僚が敗北した現実をどう受け止めたらいいのか、ただ茫然自若とするのみで、「大阪人の考えることはわからない。大阪は怖い」と呻(うめ)きました。

 私にも、この結果について確信をもって解説する能力はありませんが、大阪の有権者は、東京の人が腰を抜かすようなヘンテコリンなことをしたとは思っていなかったのではないでしょうか。徳川幕府によって都は江戸に取って代わられ、明治維新によって御所も皇居に移されて、新政府が東京に開設されました。日本の中心は神代の昔から「ここだった」という潜在意識、ないしは無意識の意識が、江戸への反発、東京への対抗心、従って、東京に存在する権力の思い通りにはさせないという複雑な心理を誘発することから生じる半ば生理的な現象ではないかとさえ感じます。
 東京の有権者も「いじわるばあさん」を演じてキャラが当たり、有名人になったタレント青島幸男を都知事に当選させています。ですから、一概には言えませんが、どこにでも共通する一般的な大衆民主主義に反東京気質(かたぎ)が加重された絵模様と私は解釈しています。
 
もっとも、青島は早稲田大学第一商学部から大学院商学専攻修士課程に進学しており、処女作「人間万事塞翁が丙午(ひのえうま)」で直木賞を受賞しています。放送作家、作詞家(高度成長期を嗤(わら)った「スーダラ節」は大ヒット)俳優、小説家、なんでもござれの才能豊かなマルチタレントでした。
その意味では、横山とは同じ参議院議員から転向組のタレント同士とはいえ、青島は東京都民好みの色合いの濃い素地がありました。横山とは肌合いが違います。「難波(なにわ)人(びと)の選挙」いや「浪速人(なにわじん)の選挙」は、容易にバッサリとは切れません。

「今どき、アホな分析するな」と関西の方々からご忠告をいただきそうですが、実は、横山ノック知事が女子大生への執拗なセクハラで在宅起訴されて有罪となり、知事を辞職した折、大阪の親しい友人から「私もノックに1票投じた1人だが、こんなことになるのではないかという予感はあった。それでも東京にひと泡吹かせてやりたいという誘惑に負けた。深く反省している」と聞かされて、私はそれなりに得心するものがありました。

私の著書「日中秘話 融氷の旅」(青灯社) 3章、ネット随想:友とのメール、91ページ、「・・・私も橋下徹には、当初、日本の改革をやり遂げるかもしれない人材と期待していました。時が経過するに連れて、改革の内容よりも選挙に得か、損かを天秤にかけて判断する政治行動の原点が見えてきました。龍馬のごとく理想主義をかかげた船中八策もいつの間にか散り散りになって、挙句の果てに帝国主義時代を連想させる高齢者と野合して、乗っ取られてしまいました。「橋下劇場」も正体見たり枯れ尾花に終わりました。・・・」(2012/12月16日)があります。どうして初心を貫かなかったのか、期待を裏切られた私の恨み節です。

今回の選挙で橋下は、まるで「融氷の旅」を読んで気付いたかの如く原点に返りました。選挙を強行するための口実にした「都構想」を封印して、「おおさか維新の党」と「大阪」を前面に出して「難波(なにわ)の心」を捉えました。私どもには「難解な難波の選挙」も、政治姿勢を振り出しに戻した橋下には「戦い方の分かり易い選挙」だったのだろうと想像します。東京の理屈には反するが、大阪の理屈通りに振舞った。だから、大阪の有権者は、「純血路線」に回帰した橋下に、もう一度チャンスを与えようとしたのが今回のダブル選挙の深層だったと確信しています。難波の選挙はまことに「粋(いき)」です。


橋下徹が、一旦は引退の形をとっても、政治の磁場に止まるのか、きれいさっぱり去るのか、将来の政治行動について知る由もありませんが、仮に再起する場合、自民党政権を補完するためだけの影絵が映ったら、その時は終演です。何らかの形で政治の修羅に踏みとどまって、次の参議院、それに次ぐ衆議院選挙をどのように差配するか、ヤツの姿を見てみたい。そして、大阪の心を知り抜いた橋下と強か(したたか)な大阪の有権者との丁々発止が、難波の選挙に関する浅野流解明を裏付けるに違いないと思っています。(2015/12月27日、元内閣官房副長官)

◎俳談

◎俳談
【鍋の句の最高峰】
冬は何といっても鍋だ。筆者の出身の三河地方には煮味噌という鍋がある。鰹節だしをとって、八丁味噌で貝や肉類、野菜を煮込んで食べるが、これが鍋の王者だろう。昔からあり、三河武士の活力源であった。信長、秀吉、家康もその軍団もみな八丁味噌で天下を取ったと司馬遼太郎は書いている。煮込むほどうまくなるから通は最後に食べる。
鮟鱇鍋も寒波の襲来と共にうまくなる。
◆みちのくの言葉短し鮟鱇鍋 毎日俳壇入選
東北人は多くを語らない。語らなくても暖かい。
高価さにおいてはふぐちりとスッポン鍋だ。一連のコースの最後に出てくるから、勘定書きを見ると目の玉が飛び出る。
◆ふぐちりや東京タワーを遠望す 東京俳壇2席
それでも時には食べることはある。
鍋の句は人生を絡めると深みが出る。
◆寄せ鍋の湯気に歳月浮かびけり 杉の子
しんみりとした感じを出した。
そして鍋の句は久保田万太郎だ。
浅草駒形どじょうの久保田万太郎の碑は
◆御輿まつまのどぜう汁すすりけり
雷門生まれの江戸っ子の粋が滲み出ている。しかし何といっても最高峰は
◆湯豆腐やいのちの果てのうすあかり
だろう。急逝する五週間前に、忘年句会で詠んだ。妻にも子にも先立たれ、孤独な晩年を過ごした万太郎の人生の寂寥感が漂っている。読者は年を重ねるにつれてこの句の深い味わいが増してくるのだ。

◎慰安婦像問題が最大のアキレス腱に

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冬眠中緊急出稿
◎慰安婦像問題が最大のアキレス腱に
  ガラス細工の危険が伴う日韓合意
 欧米メディアに「歴史的合意」と報じられたが、その実態は韓国による“やらずぶったくり”の危険を伴うガラス細工の合意ではないだろうか。首相・安倍晋三が大統領・朴槿恵に「心からのおわびと反省の気持ちを表明する」と陳謝し、想定外の10億円を国家予算の中から慰安婦問題で支払うが、その慰安婦問題における最大の象徴である日本大使館前の少女像は撤去されるのだろうか。国際法違反のこの像が撤去されなければ、野党は鬼の首を取ったように通常国会で安倍を責め立てる。「10億円払っても撤去されない」は、夏の国政選挙に向けて絶好の攻撃材料になる可能性が大きく、最も反論しにくい問題として浮上してしまう。まさか、韓国側から慰安婦問題のすべての元凶である「韓国挺身隊問題対策協議会」説得の見通しと確約がないまま、外相・岸田文男が「合意」したとは思われないが、疑問が残る。
 「最終的かつ不可逆的な解決の達成」が、政府の説明であり、確かに合意内容は(1)慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認、今後、互いに非難や批判を控える(2)日本政府は、当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を傷つけた慰安婦問題の責任を痛感し、安倍晋三首相は心からおわびと反省の気持ちを表明する(3)韓国政府が元慰安婦を支援する財団を設立し、日本政府の予算で10億円程度を拠出するーまでは過去の経緯から見れば画期的であり、よくぞここまで合意出来たと思う。しかし問題は慰安婦像に関して懸念が残ることだ。まず合意では「韓国政府は在韓国日本大使館前の少女像への日本政府の懸念を認知し、適切な解決に努力する」としており、表現があいまいであることだ。
 外相・尹炳世(ユン・ビョンセ)の記者会見における見解でも「関連団体との協議を通じて適切に解決されるよう努力する」と、やはり確約ではない。むしろ努力目標のように感ずる。像を設置した反日団体である挺体協は合意に猛反発しており、撤去する気配は今のところ見られない。韓国政府はもともと少女像を「民間団体が設置したもので政府は関係ない」としているが、国際法を知らないのか。慰安婦像は明らかに外国公館に対する侮辱であり、国際法違反である。そもそも「外交関係に関するウィーン条約」第二十二条2は「接受国は、公館の安寧の妨害又は公館の威厳の侵害を防止するため適当なすべての措置を執る特別の責務を有する」と定めている。政府も2011年の12月14日に挺体協が慰安婦像を設置した後、同問題を12年6月に「ウィーン条約22条2に関わる問題」と批判する答弁書を決定、韓国に抗議している。当然ウイーン条約違反として韓国政府が公権力を行使してでも撤去しなければならない義務がある問題である。
 おそらく岸田と尹の会談では、慰安婦像の問題が取り上げられて、突っ込んだ議論がなされたものと推測される。そして良く解釈すれば、尹が「挺体協を説得するので待って欲しい」と要請、岸田はこれを認めた形で会談を終えた可能性がある。したがっていつまでと期日を区切った可能性は少ない。さらに岸田が大使館前の少女像に言及したとしても、米国をはじめ世界中に設置され、その数が増加の一途をたどっている慰安婦像の問題を批判したかどうかは疑わしい。この結果、日本側は国内的な問題を抱えることになる。自民党内と野党の攻撃材料になる公算が大きいからだ。もちろん交渉は大局を見なければならないが、もともと野党は大局など見ない。選挙向けの攻撃材料だけがあればよいのだ。それが慰安婦像問題に集中されることは必定だ。
なぜなら「首相が謝って10億円払ったのに撤去されない」は国民感情を刺激して、選挙に大きな影響をもたらす可能性がある。
 今回の合意は安全保障上の見地などから言って大局的には正しいが、日韓両国とも国交正常化から50年の今年中に決着という朴槿恵の方針にあおられて結論を急いだ可能性がある。したがってここは政府が来月4日の通常国会前までに、韓国政府が公権力を使ってでも早期に撤去するよう韓国側に申し入れなければなるまい。岸田は「在韓日本大使館の前にある慰安婦少女像について適切な移転が行われるものと認識している」と発言したが、「移転」であってはならない。あくまで「撤去」を主張すべきだろう。慰安婦問題や産経記者起訴問題などで見せてきた韓国政府の姿勢は、まさに国際外交における“マッチポンプ”であり、今後も対日関係を改善して経済的困窮を脱すれば竹島問題や靖国参拝問題、天皇陛下への謝罪要求問題など国内事情次第でいつまたマッチを擦る方向に転換するか分からない側面がある。「日韓新時代」もいいが、そういう国だと思って、付き合った方が良い。


◎俳談

◎俳談
【動物の描写】   
一茶には動物を詠んだ句が多く、猫だけで330句余りも詠んでいる。蛙、雀、蚤、虱に至るまで、詠んだ句は膨大な数に及ぶ。母に三歳で死に別れて、自分は子供を亡くすなど家族に恵まれない人生を送った。一茶はその欠落を埋めるかのように小動物を愛した。
◆吾と来て遊べや親のない雀
は寂しかった幼少期回顧の句でもあった。
◆痩蛙負けるな一茶是に有り
は、弱者に対する優しい眼差しが感じられる。
筆者も動物の句はよく作る。新聞俳壇の成績もいい。
◆秋の日に考へているゴリラかな 産経俳壇入選
動物園でゴリラの思慮深そうな姿を描写した。
◆羽抜鳥人見るたびに一驚す 東京俳壇入選
本当に良く驚くのがニワトリだ。一歩歩く度に驚いている。
◆千の蟻一匹頭痛の蟻がいる 東京俳壇入選
ふとそう感じたのだ。 
◆雨蛙目玉回して飛びにけり 毎日俳壇入選
雨蛙は本当に目玉をくるくる回す。
題材を動物に求めれば、周囲に山ほど転がっている。活用することだ。
◆嫁が君天井裏の自由かな 東京俳壇入選
嫁が君は鼠の別称で新年の季語。鼠は大黒様の使いで正月に米や餅を供えるなどの風習があった。

◎慰安婦「妥結」へと動き急

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「冬眠中緊急出稿」
◎慰安婦「妥結」へと動き急
  安倍は慰安婦と面会して情に訴えよ
 全国紙のうち数紙だけが「責任は私が持つ」という首相・安倍晋三の言葉を紹介しているが、今回の外相・岸田文男への訪韓指示のキーワードはこれだ。国家の最高権力者がめったに言わない言葉を口にした背景には、日韓関係をめぐる大きな潮流を読み切った判断があるのであろう。岸田の訪韓で即「妥結」に向かうか、再度の最終折衝や、安倍と大統領・朴槿恵の再会談に最終決着が委ねられるかは別として妥結に向け本格的に動き出したことは間違いない。
 日韓関係をめぐる潮流を分析すれば、やはりすべては11月2日の日韓首脳会談が、大きな現状打破のきっかけとなっていたことが分かる。同会談はまず少人数で「慰安婦」を主議題に1時間行われた。ここで何が話し合われたかはいまだに不明だ。しかしその後の動きを見れば推定できる。安倍はこの場で産経の記者の裁判などでの大統領の“配慮”を求めたに違いない。そして朴はこれに応じたのだ。韓国は3権分立とは名ばかりで、大統領の意向がもろに裁判に反映する国柄だ。朴は裁判への“干渉”を行ったのだ。産経前支局長への判決では、韓国外務省が日本側への配慮を裁判所に要請するという異例の措置を取った。65年の日韓請求権協定の訴えを却下した憲法裁判所の判断の直前には、外相・尹炳世が「賢明な判断を期待している。国際社会が関心を持ち見守っている」と公言している。
 安倍はこうした朴政権の動きを見極めた上で、秘密交渉を続けてきた国家安全保障局長・谷内正太郎の情報も考慮に入れ、朴の「本気度」が確かなものであると判断するに到ったのだろう。これが、「私が責任を持つ」発言につながったのだ。それでは朴の紛れもない“軟化”はどこに原因があるのだろうか。端的に言えば就任以来「慰安婦」を軸に国論をまとめてきた路線が行き詰まったのだ。いわば「慰安婦」が重荷になってきたとも言える。安倍は朴には愛想が尽きたとばかりに対米、対中外交を展開した。日米関係は安保法制の実現もあって、かつてないほどの良好な関係に到り、対中関係も中国国家主席・習近平との一連の会談で、“氷解”しつつある。これがもたらしたものは韓国の極東における孤立である。朴は国際外交の現実が、自らが展開した「慰安婦言いつけ外交」には向いていないことを悟るに到ったのだ。
 加えて米国の対韓圧力がある。日韓関係を米国から見れば、安全保障上の観点を度外視した韓国の「慰安婦執着」が目に余るものとして映ったに違いない。その証拠に米国は今年の春ごろから朴外交批判に回っている。米国務次官・ウェンディ・シャーマンは「愛国的な感情が政治的に利用されている。政治家たちにとって、かつての敵をあしざまに言うことで、国民の歓心を買うことは簡単だが、そうした挑発は機能停止を招くだけだ」と発言、朴を戒めたのだ。国務省高官らは慰安婦問題に「うんざりする」と述べるに到った。
 さらに朴は韓国の置かれた経済的な窮状を目の辺りにせざるを得なくなっている。アベノミクスで事実上の完全雇用を達成している日本に比較して韓国経済はウォン高で輸出が不振、若年層の失業率が大幅に上昇、深刻な社会問題となっている。当初は朴の「反日」路線を支持してきた財界からも対日関係の根本的な是正を求める声があがり、朴の路線を支持してきた浅薄なるマスコミも、手のひら返しをし始めた。TPP(環太平洋経済連携協定)の出遅れも、韓国内では「失政」と見る空気が強い。ようやく朴も「慰安婦執着」だけでは国民を引っ張れないことをひしひしと感ずるに到ったのだ。
 今後の交渉の展開だが交渉の主軸は慰安婦への金銭支給の方法に絞られるだろう。日本側は請求権問題は慰安婦問題も含めて日韓協定により「完全かつ最終的に解決された」(官房長官・菅義偉)という立場でありこれが変化することはない。しかし、日本政府部内では、人道的な観点からの妥結策として、平成19年に解散した元慰安婦に償い金を支給した「アジア女性基金」のフォローアップ事業(医薬品などの提供)を拡充、予算を1億円規模に増額し、一括して渡すことも検討している。これで妥協が成立すれば日本大使館前の少女像撤去問題などは「派生問題」として解決される可能性が高い。
 しかし韓国側がまだ慰安婦問題での法的責任問題にこだわるのなら話はご破算位なる可能性があるが、潮流としてみれば韓国側はこだわらない可能性が高い。さらに最終決着に当たっては安倍側の演出効果も重要である。有り体にいえば「お涙頂戴」である。昔小泉純一郎がハンセン病患者らと官邸で会う際に「握手して肩を抱くように」と人を介して進言したことがあったが、小泉はその通り実行した。安倍は「心が痛む」と言っているのだから、元慰安婦らと面会して、涙を流さなくても潤んだ目つきで慰安婦らの肩に手を添えるようにすれば、韓国民は情の国民でもある。訴えるところは大きいだろう。


4690] Xmasビッグ・プレゼント Name:浅野勝人 

4690] Xmasビッグ・プレゼント Name:浅野勝人 NEW! Date:2015/12/24(木) 20:39 
 
Xmas ビッグ・プレゼント!
安保政策研究会理事長 浅野勝人

入手困難:貴重なお歳暮に感動!
奇妙なお歳暮が届きました。縦横35㎝、深さ10㎝の変形立方体のカバンが2個。旅行にはもってこいの立派なものです。

開けてビックリ玉手箱! 出てきたのは終戦直後の1940年代後半から50年代の何冊かの「毎日グラフ」「アサヒグラフ」と「画報 近代百年史―国際文化情報社」第一集(1850~1863)から第18集(1946~1950)まで100年間の全編(巻)18冊がそろい踏み。セロテープで入念に補修しながら目を通して再度ビックリ。こんな画報(解説付きの写真集)が日本にあったとは驚きです。

“ 知らぬは仏ばかりなり”か、国立国会図書館に聞いたところ、全編2セット保存されており「1989年に複製されたので、それをご覧になっている方はあると思いますが、原本が18冊、全編そろっているケースは稀です」という事でした。
ちなみに、アマゾンで検索してみたら、18冊、全巻(編)そろいの原本は38,880円で6セット販売されていました。これにて品切れ、再入荷の見込みなし。と注釈がありました。

第一集は、「東亜に警鐘は響く」の見出しで、列強の中国侵略100年戦争の端緒となったアヘン戦争(1840年)の模様が生々しく伝えられています。敗北した清朝が、香港の割譲を決めた南京条約を締結した調印現場の写真は得難いでしょう。「黒船は江戸にまで入ってきた」では、来日2度目のペルーが日本側全権と会談のため、横浜村に上陸(1854年3月8日、安政元年2月10日)した瞬間の写真が貴重です。

興味深いのは、第十三集(1931~1933)です。
「嵐を呼ぶ満蒙の大地」では、「満洲事変(著者註:中国名9・18事変)起る。平和は遂に破られた」の見出しで、1931年9月18日、夜10時半、突如として奉天郊外柳條溝(著者註:柳条湖)の満鉄路線爆破事件が起った。これをきっかけに日支両軍戰端を開くとあります。爆破事件を主導した関東軍参謀石原莞爾中佐(1889~1949)については、写真入りで「作戦主任参謀として満洲事変を立案遂行した」と明記しています。石原莞爾の顔写真を始めて見ました。

満洲事変續報、上海事変―肉弾三勇士―、満洲國誕生、問答無用の五・一五事件など軍事がらみ一色の報道の中で、「文化運動に対する弾圧。小林多喜二殺さる」が大きく取り上げられています。蟹工船の著者の死体と共に「プロレタリア作家同盟の書記長として、困難な情勢下に、献身的に活動していた小林多喜二は、1933年2月20日、築地署員に逮捕され、その夕刻、言語に絶する拷問とテロによって虐殺された」と解説して、「告別式に集まった知人たちは片っ端から検挙された」と報じています。

軍国主義華やかなりし第十四集(1934~1937)は、見開き1ページに「勅命下る軍旗に手向うな = 前代未聞のアドバルーン」と全面に写真を載せて「二・二六事件(1936年)、翌々日の28日、芝田村町飛行館の屋上たかく掲げられた戒嚴司令官のアドバルーン」とコメントして公然と軍部を批判しています。
報道規制、マスコミ弾圧によって反戦思想の取締りが熾烈を極める時代背景の中で、「あたら青春をいけにえとして」と見出しをつけて、小学生の木剣訓練、永平寺雲水たちの軍事訓練、軍人会舘サービス嬢の早朝なぎなた訓練などの写真を紹介し「誰か嫌悪と苦悩なしに軍国調に塗りつぶされた時代を想起するものがあろうか」と堂々の論陣を張っています。

これが、あの暗黒の時代の報道ぶりです。半端な覚悟では出来ない編集方針の決断です。今どき「政府が右といっているものを左とはいえない」と発言する類の報道姿勢は、ジャーナリズムではありませんし、国家のためにもなりません。しいて申せば、政府のためにもマイナスです。

個人的には、メキシコへ亡命する船上のトロッキー、八路軍の根拠地となった延安全景、兵士に演説する青年・毛沢東と朱徳、その他、数多(あまた)の特ダネ写真に魅(ひ)かれます。

この貴重な資料を送り届けてくれたのは、相模原市でティ&エムカンパニーという会社を経営している友人の社長です。添え書きに「古いモノが好きで、車から蓄音機、真空管ラジオ、ブリキのおもちゃ等々長年にわたって収集したモノ、モノ、モノで、我が家では置き場がなくなりました。
暇をみて整理をしているのですが、雑誌は懐かしくて見入ってしまっていっこうに片付きません。多分、アサヒグラフ、毎日グラフは全巻あったと思います。それらの一部を送らせていただきました。押し付けみたいになってしまいましたが、不要でしたらご面倒でもほかのゴミと一緒に処分して下さい」とありました。(2015/12月24日 元内閣官房副長官)

現在冬眠中。新年再開。

★★★★★★★★★
現在杉浦正章の評論は冬眠中。
新年早々再開します。
★★★★★★★★★
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げに難解な「難波の選挙」ーその② 


[4689] げに難解な「難波の選挙」ーその② Name:浅野勝人 MAIL NEW! Date:2015/12/14(月) 13:00 
 
げに難解な「難波(なにわ)の選挙」- その②
安保研理事長  浅野勝人

もうひとつは、投票日が1995年(平成7年)4/23ですから、政界に転身してからの選挙です。
この折の大阪府知事選挙は、1993年7月の総選挙に敗北して野党に転落した自民党が、1年後に社会党々首・村山富市を担いで与党にカムバックしてから迎えた重大な試金石でした。自民党は、黒田知事が誕生して以来、大阪府政としっくりいってなかったので大阪奪回に懸命でした。  

幸い、相手は漫才師の横山ノックこと山田勇参議院議員です。横山エンタツの実子といっても、今の人はエンタツを知らなでしょう。大勢の中に混じっている異色の議員は、時に一服の清涼剤になりますが、行政官の大阪府知事には不適正と思われるに違いないと判断しました。
自民党は奪還の好機到来と捉えて、横山ノックと対比される候補者を、行政に精通した真面目な学者肌で、利権とは程遠い官庁のトップから選んで、大阪に送り込む算段をしました。大阪外大の卒業ですが、自然科学にも明るく堅物で知られる科学技術庁事務次官の平野拓也に白羽の矢を立てました。「わたしはおよそ選挙には不向き。ご勘弁願いたい」と固辞する平野を「だからあなたがベスト」と口説いて、「平野候補を全面支援。政府と一体となって大阪を再生」と発表して、「これで大阪はもらった」と安堵しました。中央官庁最高峰の行政官が、お笑いタレント出身候補に負けることは、よもやあるまいというのが東京人共通の思いでした。(註:著者がお笑いタレントを軽視して表現しているのではないことを書き添えます)

結果は、横山ノック 1,625,256票。 平野拓也 1,147,416票。
なんと477,840票の大差で横山ノックのぶっちぎりでした。
政府・与党の幹部はいち様に、神戸市立楠木高等小学校卒に高級官僚が敗北した現実をどう受け止めたらいいのか、ただ茫然自若とするのみで、「大阪人の考えることはわからない。大阪は怖い」と呻(うめ)きました。

 私にも、この結果について確信をもって解説する能力はありませんが、大阪の有権者は、東京の人が腰を抜かすようなヘンテコリンなことをしたとは思っていなかったのではないでしょうか。徳川幕府によって都は江戸に取って代わられ、明治維新によって御所も皇居に移されて、新政府が東京に開設されました。日本の中心は神代の昔から「ここだった」という潜在意識、ないしは無意識の意識が、江戸への反発、東京への対抗心、従って、東京に存在する政府の思い通りにはさせないという複雑な心理を誘発することから生じる成り行きなのではないでしょうか。

「今どき、アホな分析するな」と関西の方々からご忠告をいただきそうですが、実は、横山ノック知事が女子大生への執拗なセクハラで在宅起訴されて有罪となり、知事を辞職した折、大阪の親しい友人から「私もノックに1票投じた1人だが、こんなことになるのではないかという予感はあった。それでも東京にひと泡吹かせてやりたいという誘惑に負けた。深く反省している」と聞かされて、私はそれなりに得心するものがありました。

私の著書「日中秘話 融氷の旅」(青灯社) 3章、ネット随想:友とのメール、91ページ、「・・・私も橋下徹には、当初、日本の改革をやり遂げるかもしれない人材と期待していました。時が経過するに連れて、改革の内容よりも選挙に得か、損かを天秤にかけて判断する政治行動の原点が見えてきました。龍馬のごとく理想主義をかかげた船中八策もいつの間にか散り散りになって、挙句の果てに帝国主義時代を連想させる高齢者と野合して、乗っ取られてしまいました。「橋下劇場」も正体見たり枯れ尾花に終わりました。・・・」(2012/12月16日)があります。どうして初心を貫かなかったのか、期待を裏切られた私の恨み節です。

今回の選挙で橋下は、まるで「融氷の旅」を読んで気付いたかの如く原点に返りました。選挙を強行するための口実にした「都構想」を封印して、「おおさか維新の党」と「大阪」を前面に出して「難波(なにわ)」の心を捉えました。私どもには「難解な難波の選挙」も、政治姿勢を振り出しに戻した橋下には「戦い方の分かり易い選挙」だったのだろうと想像します。東京の理屈には反するが、大阪の理屈通りに振舞った。だから、大阪の有権者は、「純血路線」に回帰した橋下に、もう一度チャンスを与えようとしたのが今回のダブル選挙の深層だったと確信しています。難波の選挙はまことに「粋(いき)」です。


橋下徹が、一旦は引退の形をとっても、政治の磁場に止まるのか、きれいさっぱり去るのか、将来の政治行動について知る由もありませんが、仮に再起する場合、自民党政権を補完するためだけの影絵が映ったら、その時は終演です。願わくば、何らかの形で政治の修羅に踏みとどまって、次の参議院、それに次ぐ衆議院選挙を差配するヤツの姿が見たい。そして、大阪の心を知り抜いた橋下と強か(したたか)な大阪の有権者の丁々発止が、難波の選挙に関する浅野流解明の正しさを証明することを期待したい。(2015/12月14日、元内閣官房副長官)

[4687] げに難解な「難波の選挙」-その① Name:浅野勝人

[4687] げに難解な「難波の選挙」-その① Name:浅野勝人 MAIL NEW! Date:2015/12/11(金) 22:13 
 
げに難解な「難波の選挙」― その①
安保研理事長・浅野勝人

「橋下徹を問う」大阪の知事、市長のダブル選挙が終わって、アーでもない、コーでもないの百家争鳴も静かになりましたので「難波の選挙」をゆっくり考察してみます。
大方の選挙通を自認している知人の予測は、知事選挙は松井の勝ち。市長選挙はどちらが勝っても僅差だが、柳本ではないか。これが東日本出身者、とりわけ東京から眺めている人の予測の公約数だったといって差し支えないでしょう。

根拠は、府民の賛否を選挙で問うて負け、結着のついた「都構想」を勝手に再び持ち出して、「今度は賛成せよ!」と有権者に迫る選挙には無理がある。まして、大阪市長の任期が満了したら政界を引退すると公言している人の主張としては理解に苦しむ。こんな思いによります。物事を論理的に考えがちな東京人の思考回路としては、「理屈に合わない」と判断しますからもっともな結論です。

ところが、大阪の有権者は、実は単純なのかもしれないのですが、わたしどもには分析困難な複雑な心情の持ち主と映っています。だから、一筋縄ではいかないのが難波の選挙の予測のむずかしさです。

もし、仮に橋下市長が前言を翻して政界から身を退(ひ)かなくても、真(ま)に受けてはいませんから「やっぱりそうか。私の思った通りだ」となります。東京人のケースでしたら、公約違反の嘘つきと断罪されて政治生命が絶たれます。
案の定、結果は、知事、市長ともダブルスコアで橋下の勝ち。
ですから、大阪の人は奇想天外な結論を出したとは思っていないのに、東京の人は「まったく分からない結論」と頭を捻る(ひねる)ことになります。

かつて、私は、痛い目に遭った経験が2度ありますから、大阪の人々が簡単に橋下徹を退けるとは思っていませんでした。

一度は、1971年(昭46)4/23投票の大阪府知事選挙。私はNHK政治部記者の時代です。
現職で4選を目指す自民党公認・左藤義詮と社会党、共産党推薦の新人・黒田了との争いです。
左藤は、3期の実績に加えて、前年、世紀の大阪万博を成功させた最強の候補者です。一方、社共共闘がゴタゴタして調整に手間取り、黒田の出馬表明は告示日11日前までずれ込みました。その上、候補者難から、人選する側にいた黒田が急きょ候補者に担がれました。火中の栗を拾わされた黒田は大阪市立大学教授の無名の新人でした。勝負にならないと思うのが東京の常識。「左藤大勝」はNHK政治部の疑いようのない判断でした。

この時、NHK政治部にワシントン総局から転勤してきたばかりの外信部育ちの記者がいました。日本の政治、とりわけ日本の選挙を取材するのは初めての経験なので、間違いようのない大阪府知事選挙を担当させて勉強してもらうことになりました。大阪の出張取材から帰ってきた彼は、選挙情勢検討会議の席上「大阪は甲乙つけがたい接戦だ。黒田が勝つケースを考えておく必要がある」と報告し、万座の失笑をかいました。
 
結果は、黒田―1,558,170票。24,907票の僅差で黒田の勝ち。
時の自民党総裁、佐藤栄作首相が「大阪で何が起きたのか、理解に苦しむ」と言いましたが、私を含めて政治部記者も全員真っ青でした。彼は、なぜか、私に「だから黒田だと言ったのに」と小声でささやいたのを今でも良く覚えています。
 
「煤煙まみれの大阪の空を、もう一度、きれいな空にする」と訴えた黒田の公害・環境対策が当たったというだけでは説明がつきません。
ウインストン・チャーチルは「最後の血の一滴まで戦おう」とイギリス国民を鼓舞し、全国民全幅の信頼を得てナチとの過酷な戦いに勝ち抜いた「国家の救世主・イギリスの英雄」でした。第2次世界大戦に勝利した戦後、最初の総選挙はチャーチルの勝利を世界は疑いませんでした。開(あ)けてビックリ! イギリス国民は保守党のチャーチルを退けて、社会党のアトリーを勝利させて、戦後の立て直しを託しました。私はぼんやりそんなことに思いを巡らせていたのを記憶しています。
続きは、げに難解な「難波の選挙」― その②を15日に掲載します。お楽しみに・・・(元内閣官房副長官)

飛ぶ宝石

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nikonD4sニッコール300 f2.8 絞り開放 1/1500  teleconverter17e

池で飛ぶ宝石を撮るには午前7時過ぎの真横からのスポットライトが必用となる。 


◎俳談

◎俳談
【忌日の句】
 著名人やとりわけ俳人、歌人などの忌日に、その故人を偲ぶ俳句を忌日の句という。西行忌、芭蕉忌、一茶忌、子規忌、漱石忌などが有名だ。忌日を詠むこつは何気ない日常を詠むことである。故人にゆかりの強いことを詠むと、即(つ)きすぎとなりやすい。せいぜい故人とは“かする”ていどの関係が良い。
◆浅酌をして大石忌過ごしけり 日経俳壇2席
大石内蔵助の切腹した2月4日を詠んだ。大石と全く関係のない私事を詠んでいるが、かすかに「酌」が“かする”程度である。大石は幕府の目をごまかすために京都で茶屋遊びにうつつを抜かしたといわれるが、掲句を深読みすれば茶屋での「酌」がイメージされるのだ。触れてもこれくらいにすませると嫌みにならない。
同様に陰暦11月19日の一茶忌は
◆雪降れば馬の目濡らす一茶の忌 毎日俳壇入選
と詠んだ。当たり前の自然現象であるが、一茶に「馬」の俳句が多いことから、これもさりげなく「馬」を入れた。
◆鴎外の墓にも花を桜桃忌 毎日俳壇入選
太宰治の6月19日の忌である桜桃忌を詠んだが、太宰の墓の前には森鴎外の墓もある。森鴎外を尊敬してやまなかった太宰治は、生前三鷹の禅林寺にある鴎外の墓について、「ここの墓所は清潔で、鴎外の文章の片影がある。私の汚い骨も、こんな小奇麗な墓所の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかもしれない」と書いている。
その意を汲んで、美智子夫人が太宰をこの寺の鴎外の墓の側に葬ったものだ。
太平洋戦争の敗戦を記念した忌日もある。沖縄忌と原爆忌だ。
◆捻子まけば動くヒコーキ沖縄忌 毎日俳壇入選
6月23日。太平洋戦争の終わりの頃、沖縄は日米の最後の決戦地になり、多くの民間人が犠牲になった。沖縄の日本軍が壊滅したこの日を、沖縄忌という。
原爆忌は広島、長崎に原爆が落ちた忌日だ。
◆真夜中の北斗のひかり原爆忌 杉の子

◎裁判は「民主党首相」の素質が問われた

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【冬休み中特別出稿】
◎裁判は「民主党首相」の素質が問われた
  判決が「菅の“振る舞い”」を指摘
 日本の元首相が現首相を訴えるという前代未聞の裁判の新聞報道が、第2社会面に小さく掲載されるとは驚いた。新聞社内の縦割りで裁判は社会部任せにするという癖が抜けない。ことは一国の首相の「素質」が問われた裁判であり、原発の過酷事故という重要課題への政治の対応をめぐる司法の判断である。政治部サイドの関連記事とか原発専門記者の解説とかもう少し扱い方があるのだろうが、最近の各社編集局長のニュース価値判断の“素質”はこの程度のレベルかと改めて思った。
 筆者は東日本大震災後の2011年5月23日の記事で【端的に言えば原子力事故発生途上にあった初期段階での官邸の対応は“知らぬ同士のチャンチキおけさ”であった。とりわけ3・11大震災直後の3月12日の首相官邸はその無能ぶりの露呈で歴史に残るものになると言えるのではないか。その中心に座った立役者が首相・菅直人と原子力安全委員会委員長・班目春樹であった。】と書いている。その「無能ぶり」を同年5月20日に安倍晋三がやはり指摘したメルマガを元首相・菅直人が訴えた裁判で、菅が全面敗訴となった。
 メルマガで安倍は、原子炉への海水注入について「菅総理が俺は聞いていないと激怒し、やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だったのです」「海水注入を一時間近く止めてしまった責任はだれにあるのか?菅総理、あなた以外にないじゃありませんか」と断じた。これに対して菅は名誉を傷つけられたとして、安倍に約1100万円の損害賠償などを求め東京地裁に提訴したのだ。2年にわたる審理の結果裁判長・永谷典雄は判決で、原子炉を冷やすための海水注入について、「菅元首相には、東電に海水注入を中断させかねない振る舞いがあった」と安倍の主張を認めた。さらに判決はメルマガの記事について「記事は菅氏の資質や政治責任を追及するもので、公益性があった」として菅の主張をしりぞけた。
  判決の指摘する菅の「振る舞い」については、当時読売や産経が詳しく報じており、筆者も上記の記事でこれに焦点を当てている。要するに菅は冷静さを欠き、常軌を逸した行動の連続であった。筆者の記事は「振る舞い」を【 日本の危機管理にとって「3・12」は魔の一日だった。重要な事態が夜になって発生した。菅が班目に「1号機に海水を注入した場合、再臨界の危険はないか」と質問した。班目が愚かにも「塩水の注入は再臨界の危険がある」と返答したのだ。菅は信用し、原子力安全・保安院に対し「再臨界を防ぐ方法を検討せよ」と指示した。】と書いている。安倍が指摘したように菅は東電の海水注入について「俺は聞いていない」と注入にネガティブに反応、激怒している。
 こうした官邸の動きについて判決は「菅首相の気迫に押されて東電幹部や官邸のメンバーが再検討した経緯があった。菅首相には海水注入を中断させかねない振る舞いがあった」と述べている。事実官邸に詰めていた東電フェロー・武黒一郎が菅の意向を察知してか東電に連絡、東電は始めた注水を中止した。東電は記者会見で、「首相官邸の意向をくみ」一時中断していたことを明らかにした。その後東電は海水注入が中断していなかったと発表したが、これは海水注入の継続が故吉田昌郎元所長の英断であったという真実が確認された。菅の“手柄”などではさらさらない。
 菅はこれらの動きに先立って国のトップとして異常な行動をしている。筆者の記事は【まず官邸に腰を据えて陣頭指揮すべき菅が、格納容器の内圧を低下させて破損を防ぐベントを準備中の福島第一原発を早朝ヘリで視察して、ベントを遅らせた。これが水素爆発に至らしめる要素の一つになったのではないか。そのヘリに同席したのが班目だった。班目は機中で菅に「総理、原発は大丈夫なんです。構造上爆発しません」と述べて菅を安心させたのだ。この段階で水素爆発の可能性を指摘できないことが、まず委員長としての資質の欠如を物語る。その直後午後3時36分に水素爆発で建屋が吹き飛んでいる。】と記述している。
 その後菅は、風評によるパニックをいかに抑えるかが政治の役目である時に、自らが“風評源”になってしまった。「本当に最悪の事態になった時には、東日本が潰れるというようなことも想定しなければならない」と語ったのだ。あっという間に情報は日本中に広がり国民の間に動揺をもたらした。菅の脳裏にチェルノブイリがあったようだが、核爆発であるチェルノブイリと東電事故は本質的に異なることが分かっていなかったのだ。また、東電が撤退など全く考えていないのに、本社に乗り込み「あなたたちしかいない。撤退など有り得ない。覚悟を決めてください」と東電関係者に強い口調で迫った。こうした首相の動揺ぶりが裁判結果に大きく作用したことは間違いない。判決は安倍の記事について「記事は菅氏の資質や政治責任を追及するもので、公益性があった」と、異例にも元首相の「資質」に言及して評価しているのだ。
 要するにこの裁判は菅の意図に反して民主党政権の首相の「資質」が問われる結果をもたらしたのだ。野田佳彦は別だが、有権者が民主党政権を選択した結果、史上まれに見る災害で首相がうろたえて誤判断をし、鳩山由紀夫の普天間移設「最低でも県外」発言が今に尾を引き、国の安全保障を危うくしかねない結果を招いているのだ。自らの能力の限界を理解していないのが民主党政権の首相であったように思える。菅は控訴する方針だというが悪あがきは自らの「素質」を露呈するだけとなることが分かっていない。そもそも政治家の書いた記事について政治家が訴訟を起こすのは、国権の最高機関である国会の存在を無視するものではないか。言論の府にふさわしい論戦によって黒白をつけるべき問題ではないのか。


◎俳談

◎俳談
【幻想の句】
◆山姥の出刃となりたる二日月 東京俳壇入選
時には夢幻の世界を逍遙するもよい。心を俗世間の外に遊ばせるのだ。現実にはあり得ない世界に読者を感性を持って誘うのである。掲句は二日月を見て山姥の世界に遊んだものだ。幻想の句で大切なのは勝手な幻想を並べないことだ。読者の共感を呼ぶ範囲内で幻想の世界に導かなければならない。
◆春昼の折り鶴崩れ初めたる  産経俳壇入選
棚に飾った折り鶴が突然崩れ始めたような感覚に陥った。現実には折り目正しく折られたままであり、崩れてはいないが、異次元の世界をふと感じたのだ。
◆十六夜の天空からの高笑ひ  東京俳壇特選
十六夜の月を見ていたら、こんな時鬼が高笑いをしそうだと思ったのである。それをそのまま高笑いしたことにして一句に仕立てた。
幻想句で有名なものは
◆この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉  三橋鷹女
だろう。作者は燃え上がるような紅葉に囲まれ、夕焼けにでもなったなら木に登って鬼女の如く振る舞ったらどんなに精神が解放されるだろうと思ったに違いない。願望と幻想が入り混ざった名句である。

◎来夏にダブル選がなぜあり得るか

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◎来夏にダブル選がなぜあり得るか
  安倍の「小刻み解散戦略」志向が底流に
 衆院議員の当落を決めるのは簡単な話だ。来年正月になっても夏に衆参ダブル選挙があるのかないのか悩んでいる人が落選。悩まずに「常在戦場。今年はダブル選挙」とばかりに選挙区を駆け回る人が当選の構図だ。これだけ「条件」がそろって見え見えなのに、見える人と見えない人がいるから政治家は優劣がつくのだ。例え駆け回って空振りに終わっても支持票が増えたのだから損はない。来年は衆参同日選挙のあるなしが政局最大の焦点となる。とりあえずダブルに向けて政治家が走り出すことだけは止められない。
 政党首脳が、動物勘で発言している場合は注意して耳を傾ける必要がある。自民党幹事長・谷垣禎一が、国対委員長・佐藤勉が、来年夏のダブル選挙に言及したことに関して「決め打ちできるわけではないが色々可能性はある」と述べているのは、首相・安倍晋三の近くにいてその“息遣い”を感じ取っているからであろう。民主党代表・岡田克也が「安倍首相がダブル選挙に打って出るという可能性がないとは言えない。17年4月の再増税以降は暫く選挙が出来ないと思う」と発言したのは、観察に“読み”を入れているのであろう。
 このような政治上の重要判断を幹部が党内外に発信するのは、戦中の「警戒警報発令」を意味している。爆撃機が頭上に来てからでは遅いのだ。なぜ警報が出されるかと言えば、最大の理由が安倍の政治手法にある。これといった争点もないのに勝つとみれば選挙後わずか1年で解散するというダイナミックな政治手法である。いわば「安倍流短期解散戦略」である。これまでの首相の手法は300議席近くも取れば多かれ少なかれこれを“死守”しようとして、解散に踏ん切りがつかず、結局追い込まれるケースが多かった。
 しかし安倍の政治戦略はこれとは構造的に異なる。いわば陸上のハードル競技の8.5メーター間隔を4メーター間隔に縮小して、高さも84センチから40センチに下げてしまうようなものだ。小刻み戦略なのである。要するにドラえもんのように「何処でも解散ドア」なのである。だから衆院議員で解散は先だなどと考えている者がいれば、落選間違いないのだ。この安倍の従来の首相とは異なる特性に加えて、18年12月までの衆院議員任期を考慮に入れた場合の解散のチャンスは多くない。間違いなく自民党が議席を減らすのが17年4月以降の解散・総選挙だ。いうまでもなく「消費税10%」の是非を問われるからだ。公明党が軽減税率にこだわるのは総選挙を意識してのことだろうが、「無駄な抵抗はやめよ」といいたい。軽減税率などあろうとなかろうと、7年4月以降に解散すれば確実に「増税仕返し」選挙となるのだ。大平正芳が増税解散に大敗したのがいい例だ。
 そこで谷垣や岡田が警鐘を鳴らすのは、「おれが安倍でも解散断行を考える」と判断出来るからだ。まず第一の理由は過去のダブル選挙で自民党は圧勝している。大平正芳のハプニング解散、中曽根康弘の死んだふり解散のいずれもが、自民党に圧勝をもたらした。いずれも中選挙区制におけるダブル選挙だが、小選挙区制においても政権政党にとって「相乗効果」をもたらすことには変わりない。相乗効果とは同日選の場合、衆院で自民党に投票する人は、参院でも「ついでに」自民党に投票する傾向が著しいのだ。その逆もあり得る。とりわけ参院選挙単独のケースは政権選択選挙ではないから、有権者の不満がそのまま反映されて自民投票が伸びないケースが多い。ところが衆院は政権が代わりうるから投票行動が慎重になる。ダブルが政権に有利なのは、有権者が真剣になって大きな変化を望まず政権に有利な投票行動をするからだ。こうした相乗効果は先の大阪ダブル選でも遺憾なく発揮されているのはいうまでもない。市長・橋下徹人気が府知事選にも大きく作用している。
 さらに加えて、野党に風が吹く気配がない事も挙げられる。民主党と維新の党が4月か5月頃に一緒になって、例え名前が変わってもブームが起きる気配はない。おおさか維新の会も大阪のダブル選で票を伸ばしたのは、「大阪特区」としての事情があるからで、このブームが全国に拡大する可能性は少ない。唯一橋下徹が衆院選に立候補すれば、それなりの話題を呼び議席にも結びつく可能性があるが、これが第3極ブームの再来になって、政界地図を塗り替えることはあるまい。
また、共産党が提唱している選挙協力や野党統一候補も、ダブルとなれば選挙区がねじれて困難になる。
 想定されるダブル選の日程としては、1月4日に通常国会が召集された場合、5月26、27日の伊勢志摩サミットを経て、6月1日が通常国会閉幕となる。延長しなければ閉会当日の解散が考えられ、参院選との同日選挙は7月10日が取りざたされる。延長があれば幅にもよるが、7月の下旬から8月にかけてのダブル選が考えられる。いずれにせよ先生が走る「師走」が半年以上続く気ぜわしい年になることは間違いない。来年は解散風が出たり引っ込んだりの年となることは間違いない。     
 【筆者より=12月は政局も凪の状態なので原則として冬休みとします。何かあったときには書きます。再開は1月の初旬か中旬。良いお年をお迎えください。】