◎野田流「3ない主義」は自己保身あって国家なし
◎野田流「3ない主義」は自己保身あって国家なし
答弁は巧弁かと思ったら不弁・訥(とつ)弁・曲弁・詭弁、しまいには右顧左眄(べん)であった。能弁だったのは民主党代表選挙の「ドジョウ発言」だけだ。4日間の予算委員会を通じて首相・野田佳彦の極端な安全運転ぶりが目立った。それも「前向き」でなく内政・外交・「政治とカネ」全般にわたって「後ずさり」型であった。しびれを切らした野党は、自民党総裁・谷垣禎一が「空疎で人ごとのような答弁だ」と怒り、対決姿勢を一段と強めた。第3次補正予算案をめぐる3党事前協議に応じない方針だ。安全運転のあまりに、失うものが大きすぎた臨時国会だった。
野田の“寡黙”ぶりは、何に起因するかと言えば、言うまでもなく前2代によるパフォーマンス・ズッコケ政治にある。2年にわたる舌禍の政治に懲りたのだ。野田の「ドジョウ発言」の時に、大向こうは、久しぶりに「肉声で語る政治家」の登場を感じたに違いない。ところが野田は羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹いて、この期待は淡くも消えた。答弁時間は極端に短く、一回の質問に二言三言といった感じだ。まさに「不弁」だ。だから予算委がまるで野党の独演会のようになった。この「縮み」の志向は、毎日新聞が報じた「安全運転」3原則で分かる。野田は(1)余計なことは言わない、やらない(2)派手なことをしない(3)突出しない-ことを側近議員らに漏らしていたのだ。30年前に若者の無気力・無関心・無責任が「3無主義」といわれたが、「言わない、派手はしない、突出しない」は野田流「3ない主義」だろう。
まず「政治とカネ」では小沢一郎の秘書3人が有罪となった地裁判決も「来月にも小沢氏への裁判が始まる。司法への影響も考えるとよく検討しなければいけない」とコメントを避けた。これは歴代政権が議員の裁判沙汰で述べてきた「不毛の言い逃れ原則論」と同じである。司法の場で問われる刑事責任と、国会議員が果たすべき政治的・道義的責任を、まったく混同した「詭弁」答弁だ。こと小沢に関する質問は、内政よりも外交よりも気を遣っているのではないか。
3次補正の主要財源を所得税としたことも逃げだ。消費税は小沢が反対しており、触らぬ神に祟りなしなのだ。しかし自らの得意分野に触れられると怒る。増税批判に「安易な増税をしようとは全く思っていない」とむきになった。「ちまちました増税より消費増税を」との批判に「11兆は、ちまちましていない」と「強弁」した。普天間基地移転問題については、オバマから早期履行を求められた点を「大統領ご本人というよりは、(会談内容を)ブリーフした方の個人的な思いでは」と述べた。「結果が必要だ。これからの進展に期待している」というオバマ発言を否定したのだ。しかし、もしブリーファーがこれほどの重要発言を“ねつ造”したとすれば、外交上の大問題ではないか。当然抗議して質すべき問題なのに、内弁慶にとどまっている。まさに「右顧左眄」だ。「マルチ山岡」の業者との癒着問題についても野田は、「事実関係は本人にも確認させていただきたい」と山岡賢次から事情を聞く意向を示したものの、全然その気配はない。その場逃れの「曲弁」だ。こうした「3ない主義」答弁は、結果として野党に強い不満を残した。自民党政調会長・石場茂は「ノーサイドというのは小沢氏の側に立つことか」と鋭く突いたが、ドジョウの耳に念仏のていだった。
この煮え切らない野田答弁の背景に見えるものは何か言えば、「必死の自己保身」のみである。大震災で国難の時にこそ、我が身を捨ててのダイナミックな政治が期待されるところだが、野田の姿勢はまるで「自己保身あって国家なし」ではないか。野田はこの姿勢を来年度予算が正念場を迎える4月まで継続する構えだという。野党は、早期解散に追い込む姿勢に変化はなく、国会をたった4日で逃げようとしたことに始まって、予算委答弁で明らかになった「逃げ」一点張りの野田政権のありようを厳しく突く構えである。その手始めに野田の要求する3次補正の3党協議に応じない方針だ。政権揺さぶりの具現化だ。野田は「安全運転」が、その実は「危険運転」になっていることを知らない。
◎「洗脳講演会」で「マルチ山岡」の真骨頂発揮
山岡賢治の国家公安委員長起用を「泥棒が、泥棒を取り締まるということだ。これでも適材適所ですか」とは、よく言った。さすがに自民党参院議員・森雅子の追及はマルチ商法専門弁護士だけあって見事なものがあった。ささやかれる山岡のマルチ商法との癒着ぶりを白日の下にさらけ出したのだ。森が 「Youtubeにある」と指摘した同商法で有名な食品販売会社の講演会における山岡の演説を見ると、まさに「マルチ山岡」の真骨頂であり、マルチ商法関係者への激励に徹している。いかに民主党の政治家がうさんくさいパチンコ、マルチ両業界に、その資金源を依存しているかという構造的問題が浮かび上がる。
自ら赤貧の家庭に生まれて、マルチの犠牲者の悲惨な姿を目の当たりにしてきたという森の追及は、すさまじいと言ってよいものであった。山岡はわざと「カエルの面に水」の平静さを取り繕ったが、次々と出される強烈パンチに、恐ろしい「辞任」の2文字がひょっとしたら頭をよぎったかもしれない。森はまず山岡が「マルチにもよいマルチと悪いマルチがある」と述べたことをとらえて参考人に質問した。悪徳商法被害者対策委員会会長・堺次夫は「公正なマルチというのは無害なペスト、安全なコレラと言うに等しい。マルチ商法の本質はネズミ講」との見解を述べた。
次いで森はYoutubeで報じられている、食品会社「ナチュラリープラス」の講演会での山岡演説を追及した。消費者庁当局の答弁によると同社に関する苦情相談は2008年225件、11年196件、12年90件にも登るという。怠慢にもマスコミにはネグレクトされるだろうから、筆者がYoutubeを見てみると、山岡演説はまるで「マルチ洗脳講演」そのものだった。答弁での「頼まれれば多少のよいしょをする」などという範囲を大きく逸脱している。山岡は「自分のすきな時間にすきな仕事をして価値をもらう。びっくりしました。極めて合理的だ」「皆さんには是非誇りと使命感を持って今の仕事をやっていってほしい。そうすれば日本は生き返る。そういうことをやる人が革命児だ。」とぬけぬけとマルチ商法を礼賛・奨励した。加えて「皆さんは『あの人はネットワーク(マルチ商法)をやっている』と言われる。そういう誤った知識を持っている人たちはそういう見方をするかも知れないが、誰かが打ち破っていかなければならない」と出席者を“鼓舞激励”、拍手まで強要しているのだ。確かに森が「予算委でYoutubeの映像を検証せよ」と主張する意味が分かる。もっとも予算委員長の石井一もかねてからマルチ疑惑が根強く、「マルチずぶずぶ委員会」では解明は無理かも知れない。
山岡はマルチ商法業者からの献金を「返済する」と閣僚になってから言明したが、癒着の構図が明らかになった以上、返せば済むという話しではあるまい。また「マルチ山岡」の業者との関係はかねてから有名であり、当然、組閣前の関係機関の“身体検査”でも報告されているはずであろう。それを無視して野田が閣僚に任命、こともあろうに、マルチを取り締まる警察を司る国家公安委員長と消費者担当相としたのはなぜか。永田町で言われているように8月の小沢一郎との極秘会談で「山岡入閣」を強く要請されたからなのかという疑惑が生じてくるのだ。そうだったのならば「無理な人事」の根底が見えてくる。
「総理、こういうことを取り締まるのは警察でしょう。その警察の最高指揮官は国家公安委員長ではないんですか。その公安委員長が山岡大臣では泥棒が、泥棒を取り締まるということになってる」という森の追及は、誰もが疑問を抱く「解せない人事」と首相の任命責任をくっきりと描き出した。野田は「事実関係は本人にも確認させていただきたい」と山岡から事情を聞く意向を示した。一方で、山岡罷免要求には「職責を果たしてもらいたい」とも述べた。まだまだ深刻さが分かっていない。
◎小沢は辞職も喚問も馬耳東風だ
◎小沢は辞職も喚問も馬耳東風だ
歯切れが悪いを通り越して、腫れ物に触るような予算委答弁を繰り返した。首相・野田佳彦は代表選前に小沢一郎を「小沢先生は依然として政局の中心にいる。希有(けう)な存在であり、政治力量のすごい方だ」と“賛美”したポジションを一歩も出ていない。多くの国民が党内バランスのみを重視し、世論を無視していると失望したに違いない。自公両党は、小沢の証人喚問、石川知裕の議員辞職を迫る構えだが、両方とも実現は困難だろう。かくなる上は、「政治とカネ」の追及を主軸に据えて政権のイメージダウンを図り、早期解散・総選挙での決着を図るしかあるまい。
小沢の秘書3人の有罪判決を受けた予算委質疑は、自民党政調会長・石破茂の追及が見事であった。理詰めで野田の「親小沢ぶり」を浮き彫りにさせた。野田は、小沢の説明責任について、世論調査で7~8割が「説明責任を果たしていない」と回答していることを無視した。「記者会見などを通じて、折につけて説明はされてきた」と述べたのだ。さすがに紳士的だった石破も「国会に対する侮蔑」と声を荒げた。野田は判決への自らのコメントについても「来月にも小沢氏への裁判が始まる。司法への影響も考えるとよく検討しなければいけない」と避け、小沢の国会招致を「政党間の話し合いで決めること」と述べたが、これは政治家の言葉ではなく官僚の作文そのままだ。要するに、判決によって「脱小沢」など考慮せず、むしろ「親小沢」を選択したのだ。これは「政治とカネ」の問題に関しては菅よりはるかに後退している。石破は「ノーサイドというのは小沢氏の側に立つことか」と嘆いたが、まさにその通りだ。
その小沢本人はやはり馬耳東風の対応だ。小沢のコメントは「あんな馬鹿な判決はない」。まさにどこ吹く風だ。弁護士とも協議しているが、弁護士らは自らの保身と裁判に負けた腹いせで、判決がいかに馬鹿げているかを小沢に吹き込んだに違いない。一番度し難いのは小沢チルドレンらの反応だ。約20人が27日、「一方的な心証だけで判決が出たことは、基本的人権を無視した国民への挑戦」との認識で一致したという。何が「基本的人権」なのだろうか。限りなく贈収賄事件に近い問題であることを理解出来ていない。どっぷりと石破の言う「政治は力、力は数、数はカネ」の小沢論理に首まで漬かっているのだ。
自公両党は石川に対する議員辞職決議案を上程する構えだ。しかし同決議は法的拘束力がないため、議員個人に自発的な辞職を求めることしかできない。1997年にオレンジ共済組合事件で起訴された友部達夫が決議に応じなかったのを皮切りに、合計4人の決議対象者が居座っている。今回も同じだろう。だいいち民主党多数で可決自体が困難だ。ましてや小沢を議員辞職させることなどもっと難しい。先例としては加藤紘一が2002年、事務所代表の秘書による所得税法違反の責任を取って自民党を離党、衆議院議員を辞職しているが、3倍の3人有罪でも小沢が大人しく離党・辞任することはあり得ない。証人喚問も政倫審出席も、小沢は「裁判が始まっており、被告席で述べる」として応じないだろう。
要するに野党は追及前から行き詰まっているのである。そのうち公明党が「政治とカネ」より、「復興優先」と言い出すのは目に見えている。従って野党は小沢の「政治とカネ」を人質に、長期戦の構えで政権のイメージダウンを図ってゆくことしかあるまい。野田内閣は27日の予算委で法相・平岡秀夫が挑発に乗ってぶち切れて、野田をはらはらさせたが、このような前後の見境がつかない閣僚を多数抱えている。山岡賢次など疑惑の閣僚も多い。首相自身の外国人献金も未決着だ。追及材料に事欠かない。このようにぼろが出始めると、支持率が落ち始め、早期解散の風も吹き始める。とりわけ来年春に小沢に有罪判決が出れば通常国会会期末までが解散・総選挙に追い込む絶好の機会となる。もちろんずっこければ年末解散や、通常国会冒頭解散もあり得る。国民の審判が決着となるしかないのだろう。
◎どんでん返し判決が野田政権を直撃
◎どんでん返し判決が野田政権を直撃
小沢一郎の元秘書3人への有罪判決が意味するものは、無罪と信じ込んでいた永田町にとって、どんでん返しを意味する。小沢側にも接近して勢力均衡人事を行ったばかりの首相・野田佳彦は、即座に小沢支持勢力と野党・国民世論の板挟みの状況に置かれた。前首相・菅直人と同様に、小沢離れを鮮明にするかどうかの選択を迫られる。しかし党の実権を小沢腹心の幹事長・輿石東に握られて、対応は容易ではない。有罪判決は来年春に予定される小沢裁判の判決にも大きな影響を与えることは避けられず、代表への復権を視野に置いていた小沢戦略に決定的な打撃となった。
陸山会事件裁判をめぐって最近の永田町に流れていた空気は、「無罪判決」であった。その根拠は東京地裁が6月30日付決定書で検察側が提出した多くの調書を採用しなかったことにある。とりわけ小沢の関与を示す唯一の直接証拠である、「収支報告書への虚偽記載を小沢氏に報告し了承を得た」という内容の衆院議員・石川知裕の供述調書の証拠採用を却下したことが決定的だった。小沢弁護団からは小沢の強制起訴に関して「起訴を取り下げた方がいいのでは」という高笑いが聞こえていた。調書不採用は永田町の無罪推定に直結したのだ。無罪となれば小沢判決も無罪となるという見方が支配的となり、小沢の政治活動を有利に導いた。
これを受けて小沢は、来年の4月と予想される判決公判で無罪を勝ち取り、同年9月の代表選挙で勝って、首相への道を切り開くことに照準を定めた。「ポスト菅」への影響を一段と強めはじめ、8月の野田との極秘会談でも人事、政策両面で相当の注文を付けたと言われている。かねてから小沢に批判的であった野田は、事実上小沢との融和に転じた。小沢側近の輿石を幹事長に起用し、復興増税での消費税導入を断念して小沢にすり寄ったのだ。もし有罪判決が出るという見通しがあったら、小沢の党員資格回復を公言する輿石を幹事長に起用することはまずあり得なかったであろう。しかし地裁の“豹変判決”で事態は一変した。野田は人事上の大誤算をした。
その証拠に輿石は、早くも小沢らの証人喚問や辞職に真っ向から反対、野田の選択範囲を狭めているのだ。
判決が10月6日から開始される小沢公判にむけて重大な影響を及ぼすことは避けられない情勢となった。というのも小沢の裁判は元秘書の裁判と証拠の多くが重なっているのが実態である。その上、今回の判決の例に見られるように状況証拠を採用する最近の裁判の潮流からいっても、小沢が無罪で逃げ切れるかどうかは極めて怪しくなってきたからだ。むしろ判決は小沢に不利に働く可能性が強いと見るべきだろう。おりから、総選挙が接近してきている中で、刑事被告人・小沢の、限りなく贈収賄事件に近い裁判とその一挙手一投足が報道され続けることになる。一時は離反した小沢グループの若手議員も、小沢の復権を信じて戻り始めていたが、有罪判決はその復権の夢を打ち砕いたのだ。個個の議員は当然選挙区からの批判にさらされて、小沢グループには遠心力が作用することになる。小沢のリーダーシップの弱体化は避けられない流れとなって来た。
26日始まった予算委員会初日は、絶好のチャンスでもあるにもかかわらず自民党幹事長・石原伸晃のかったるい質問に終始したが、新聞テレビのトップ報道に後押しされて27日からは「政治とカネ」が最大のテーマとして再浮上する。野党は嵩(かさ)にかかって単に石川知裕の議員辞職勧告決議案上程だけでなく、小沢一郎の証人喚問、議員辞職へと事態を発展させて、政権を揺さぶる構えである。小沢は“外堀”だけでなく“内堀”も埋められつつある状況となった。
一方で野田は、菅直人がそうしたように、小沢離れをして支持率を維持したい誘惑にかられるだろう。しかし、小沢グループを完全に敵に回すことは不可能に近い。輿石を幹事長に据えた大失策を悔やんでも遅い。党の実権を握られていては、小沢離れも出来ない。従って澎湃(ほうはい)たる世論とのはざまでもがき苦しみ、政府・民主党ともに泥沼に沈む状態となりかねないのだ。野田政権は内政では復興増税といった難問を抱え、外交ではオバマ発言による普天間問題が再浮上。加えて小沢の「政治とカネ」の復活だ。鳩山由紀夫、菅が直面した民主党の抱える“業”を、野田も抱えることになったのだ。八方美人のいい顔ばかりはもうできない。
◎普天間再浮上、政権の命運左右も
◎普天間再浮上、政権の命運左右も
エコノミスト・浜矩子がテレビで、首相・野田佳彦を「野田は野田でも野太鼓」と形容したが、似ていなくもない。野太鼓とは小説「坊ちゃん」にも出てくるが、芸もなくただ客の座を取り持つだけのたいこ持ちだ。就任以来、野田の外交デビューまでを観察してきた中で、野田の「人をいらだたせない特質」は何かが最大の疑問だったが、「野太鼓」で解けた。野田政治の根底には前・元2代にわたる「失政宰相」が専念した「いら立ちのパフォーマンス」を回避して、「実現性のある政治」のみを選択する安全運転路線が見えてくる。しかしその選択がオバマとの会談で脆くも崩れた。野田は米大統領・オバマに普天間移転早期実現の正式要求を突きつけられたのだ。普天間問題は増税路線と並んで政権の命運を左右するものとしてまぎれもなく再浮上した。今日からの予算委員会の焦点となる。
野田のいら立ち回避の姿勢は「脱パフォーマンス」の政治とも言える。鳩山由紀夫の普天間問題での「国外。最低でも県外」、「CO2削減25%」発言や、菅直人の浜岡原発停止など枚挙にいとまがない舌先3寸政治の排除であろう。政財界に反発の強い「脱原発」の発言は一切せず、逆に国連では「原発の安全性を世界最高水準に高める」と述べた上に「原子力利用を模索する国々の関心に応える」と強調、原発輸出の継続を宣言した。原発再稼働も「春以降」と時期を明示した。直ちに読売新聞は社説で「安全な原発活用を公約」と歓迎、朝日は「大いに疑問がある」と反発。社民党党首の福島みずほも「原発推進だ」と反対するなど脱原発派は怒り心頭に発している。野田は事実上脱原発派を切り捨てたのだ。エネルギー確保の現実論に立ったのだ。これがいら立ち解除をもっとも象徴するものだろう。折から25日、原発立地の是非が争点となった山口・上関町長選で原発推進派の現職がダブルスコアで3選を果たしたことは興味深い。復興増税も党内的いら立ちの主因となる消費増税を真っ先に排除して安易な所得・法人増税を選択した。
もっとも、この八方美人の路線は外交デビュー早々で難問に直面した。初会談では、いきなり日米間に刺さった最大のとげである普天間移設問題でオバマが「結果が必要だ。これからの進展に期待している」と厳しくクギを刺したのだ。野田は「両政府の合意に従って協力を進めていきたい。地元沖縄の理解が得られるよう全力を尽くす」と答えざるを得なかった。要するに「はいそういたします」とオバマに辺野古への移設実現を公約したのだ。オバマとはAPECで11月に会談することになるだろうから、会談すれば「全力を尽くした結果」が問題となる。鳩山が行った普天間大失政を菅が無責任にも放置し、ついにオバマもぶち切れる寸前に至っていたのだ。
オバマにしてみれば支持率低迷で再選への焦りがある上に、日本の優柔不断が原因して、グアムへの海兵隊移転予算が議会で滞っており、対日外交で余裕を見せることなど不可能に近いのが現実なのだ。すくなくとも上院が、言われているように年末までに移転費用を認めなければ、日米関係にもろに跳ね返る構図となった。野田の「沖縄の皆さんは少なくとも普天間の固定化は避けたいだろう」という発言から推量すれば、最終的には野田は沖縄県民に辺野古移転を受け入れるか、普天間を固定化するかのを選択を迫らななければならないポジションとなる。しかし沖縄の空気は全くそのような状況認識が通用するような状況ではない。かっては辺野古移転を言い、いまや移転反対の急先鋒と化した知事・仲井間弘多は「銃剣とブルドーザーで基地を作るのか」とまで発言、すごんでいる。野田の路線を突き詰めれば全国の反戦・基地反対運動の眠りを覚まし、砂川闘争、成田闘争に勝るとも劣らない普天間・辺野古闘争を巻き起こす可能性がある。闘争の先頭に仲井間が立ちかねない状況だ。国家の安全保障問題が一知事によって左右されるという事態でもある。
自民党幹事長・石原伸晃は「普天間移転は鳩山さんがひっくり返したガラス細工だ。ガラス細工ゆえに元に戻せない」と述べているが、野田が全力を尽くしても解決出来る域をはるかに超えているのだ。元外務審議官・田中均が「もう一度日米協議をやり直す時期に来ている」と述べているのは、手詰まり打開は再交渉によるしかないという切羽詰まった状況を言い表しているのだろう。しかしオバマに実現を公約した野田が「再交渉」などと言った途端に政権は、根底が揺らぐことになりかねない。オバマが「彼とは一緒に仕事が出来る」と“おいしい”言葉を漏らしたとされているが、この発言は期待値に過ぎないことがやがて分かるだろう。それにつけてもルーピー鳩山が残した普天間大失政は3代にわたって民主党政権に“祟り”続けている。他人事のように鳩山は「一年で首相を辞めずに踏ん張れ」などと述べているが、政権の命運を左右するのは自分の失政であることが判っていない。
◎川柳でドジョウ宰相読み解けば
◎川柳でドジョウ宰相読み解けば
何と言っても最近の傑作は読売時事川柳の<一煮立ちしたら税増すドジョウ鍋>でござろう。そのドジョウ宰相は華々しくアメリカで外交デビューだが、復興増税が当面最大の課題。しかし同じ与党・国民新党の「寝癖の亀」から「ああいう形で決めることはあり得ない」などとつれない見通しを述べられては立つ瀬がない。党内もちょっとどこかが軟化気味の税制調査会長では、まとまるものがまとまるか。21日も賛成はたったの1人。「顔がよごれの幹事長」が反対論を「そんなものは永久に出る」と開き直ったとか。一煮立ちしたら、とりあえずきざみネギ山盛りで食べた方がうまいのだ。
とにもかくにも<売り家と唐様で書く三代目>となるかは別として、民主党は3代目を作った。与野党の大連立どころか<民主党大乱立は成し遂げる>(読売)で、猫も杓子も立候補者の乱立。飛び跳ねて二匹日干しになっている>(自作)状態の中である。確かに「日干し」が首相になれるならオレがなってもおかしくないと次から次によくぞ立候補したものだ。売名方法としてはコマーシャル料ウン十億円分の効果だろう。そんな中で<泥沼の中からどじょう顔を出し>(読売)で、ピョコっとどじょうが顔を出した。かと思ったら<使い捨てだもの二日で出来上がり>(朝日川柳)だ。
どうも裏にはひさしぶりに顔を出した細川の殿様がとりもって「ちゃぶ台返しの一郎オヤジ」とドジョウの会談があったらしい。殿も隠居してロクロを回しているかと思ったら<殿様がちょこっと覗く泥の中>(朝日川柳)で血が騒いだらしい。その殿、政界に未練はないかと聞かれて<どろまみれいえいえロクロを挽いてます>(朝日)のだそうだ。在職中は突然狂ったように「国民福祉税構想」とやらを言い出して「志村けんの馬鹿殿と同じだ」などとけなされて、よほどこたえたとみえる。
こうして<逆転で野田のどじょうが生き返る>(朝日)とドラマチックに代表選に勝った。国民も<もう一度騙されてみる泥臭さ>(朝日)と観念してドジョウ宰相を見守ることにした。とにかく前・元のお二人は<草津温泉>で湯(言う)ばかりであったのう。そのドジョウも日干しになったお二人に懲りたのだろう、“逆張り”路線を選択した。所信表明でなんとお辞儀を12回もする低姿勢だ。<ひたすらにドジョウが泳ぐ低姿勢>(朝日)というわけだ。支持率も60~70%とご祝儀もあってか高い。しかし株価は落ちた。<支持率の本音が示す株価安>(朝日)と、兜町も見るところは見ている。
それにしてもこのドジョウ宰相、ぬらりくらりと逃げてばかりだ。国会会期はたったの4日で閉じようとしてひっくり返されるし、恒例のぶら下がり取材にも応じない。側近は「当意即妙の答えが出るタイプではないから」と言い訳をする。<アドリブはどじょうも尻尾を出しかねず>(朝日)というわけだ。相田みつおの「 どじょうがさ金魚のまねすることねんだよなあ」の詩を引用して、泥臭さを演出するあたりまでは見事であったが、どうも代表選で票を獲得するために練りに練った言葉であったようだ。だから党内には<引っ張ろうにもドジョウには足がない>と足を引っ張るにも引っ張れないのだ。
しかしちゃっかりと利用できるものは利用する。<町工場政権浮揚に使われる>(朝日)と円高で落ち目の町工場を視察。もっとも「利用している」と受け取られるようでは上手の手から水が漏れる。問題は帰国した後だ。予算委員会がきりきりと“締め上げ”ようと狙っているのだ。自らの外国人献金や増税を追及しようと、怖い怖い野党のおじさん達が手ぐすねを引いて待っているのだ。最後に見事な川柳を披露。<そのうちにどじょう汚染となりて幕>(自作)。お後がよろしいようで。
◎列島を覆う“福島いじめ”を戒める
◎列島を覆う“福島いじめ”を戒める
こどもがやる「ばい菌付けた。えんがちょ」というばい菌ゲームが“いじめ”となって列島を覆っている。対象は「福島」である。愛知県日新市での福島花火の中止は、京都五山の送り火事件と同様に、根拠もなしに原発事故災害にうちひしがれた福島県民の心を深く傷つけた。経産相を辞任した鉢呂吉雄の言動も、言うならばえんがちょの愚行にほかならない。福島産品を買おうという市民運動もある反面、食卓に福島産の食品を忌避している家庭も多い。日本人はその極端に神経質な性質から、マスコミの過剰報道もあって、一種の放射能ノイローゼに陥っているのではないか。無知・無理解を根源とする狭量な考え方だ。この“迷信”によって日本社会が失うものは大きいと考えるべきであろう。
事故発生当初からあった風評被害は、一層深刻化しているとしか思えない。日新市の場合は、18日夜あった花火大会で、福島県産の花火に対して市民らから「放射能をまき散らす恐れがある」などの声が寄せられたため、打ち上げを中止したことが19日わかったものだ。花火大会実行委員会によると、17日昼過ぎから電話やメールで市民らから「汚染された花火を使うな」など約20件の抗議や苦情が寄せられたという。実行委は放射能を測定する機器がないなどの理由で「安全性が確認できない」と中止を決め、判断力欠如の市長もこれを認め、愛知県内の業者の花火に替えたという。その後中止論をはるかに上回る非難の声が市役所に届いている。京都五山のケースと酷似している。京都の場合は送り火に「高田松原」の松を使う予定が、薪から微量な放射性物質が検出されたことで中止になったものだ。一方、福岡では福島産の加工品を扱う応援ショップが出店中止になた。
こうした風評被害の根源に何があるかを考えると、やはりマスコミのセンセーショナルな報道に帰着する。厳正中立な公共放送であるべきNHKが、左翼労組から賞賛されるような脱原発報道を繰り返し、朝日や毎日の放射能報道のセンセーショナリズムは並大抵のものではなかった。民放テレビに至っては報道をもてあそんでいるとしか思えない。その例が東海テレビ放送の「怪しいお米セシウムさん」、「汚染されたお米セシウムさん」報道事件だ。テロップ制作担当者が、岩手県産ひとめぼれに対して、遊びで作ったリハーサル用の仮テロップを送出させてしまったのだ。本筋のマスコミですらこの調子では週刊誌レベルに至ってはまさに書きたい放題だ。ナイーブな読者は本筋のマスコミで脅かされ、さらに週刊誌を見てもっと驚くという負の連鎖に踊らされているのだ。
大手マスコミも巧妙だ。朝日の場合、散々放射能の恐怖をあおっおいて、京都五山のような事件が発生すれば、その後の論説で戒め、声欄で反対論を掲載するというかたちだ。まるでマッチポンプもいいところではないか。筆者は事故発生当初からチェルノブイリとは違うと分析し続けてきたが、風評の根源は政府が安易にも事故をチェルノブイリと同等のレベル7に引き上げたことに起因するものが大きい。世界の専門家の多くがが高すぎるという反応を見せていたにもかかわらず、核爆発であったチェルノブイリと同等化してしまったのである。日本でも「福島が最高のレベル7ならチェルノブイリはその最高を突き抜けたレベル18だ」する専門家の主張もあった。福島は幸いにも1人の死者も出していないが、チェルノブイリの死者は10万人に達するとの報道もある。信頼できる世界保健機関 (WHO)の調査でも死者は事故処理の従事者と汚染地域および避難住民を対象にした調査で9000人と推計している。チェルノブイリの場合は周辺の樹木はすべて立ち枯れ、生息する動物はゼロになったのだ。
さらに、1945年から約半世紀の間に2379回核実験が行われ、その内大気圏内の実験は502回であり、これがまき散らした放射線量は膨大なものがあった。中国が東トルキスタンで実施した核実験による被害で同地区のウイグル人ら19万人が急死したほか、急性の放射線障害など甚大な影響を受けた被害者は129万人に達したとの報道もあった。東京や大阪でも1000倍のプルトニウムが大気中に放出された時もあり、当時から「野菜は洗って食べよ」「雨に濡れると頭髪が抜ける」などと報じられたが、人類は生き抜いてきた。放射能雨と因果関係のあるハゲは見当たらない。
それにつけても政府の“風評無策”ぶりには驚かされる。首相・菅直人は、事故に慌てふためくばかりで、世界に発信して風評を押さえるなどという発想はゼロであった。京都五山の例も今回の花火の例も政府に相談する窓口がないことが問題の核心だ。自治体ばかりでなく、一般市民も相談可能な専門家による窓口を早急に設置しなければ、マスコミに起因する風評被害はいつまでたってもおさまらない。社会に害毒を流し続ける。
◎復興増税がきわどい争点に浮上
◎復興増税がきわどい争点に浮上
鶴の一声ならぬ「どじょうの一声」で災害復興財源から消費税が除外され、10年間の所得増税が浮上した。言うまでもなく消費税除外は、小沢一郎の意向を強く反映したものだろう。今週から民主党税制調査会が本格審議を開始するが、被災地より自らの選挙区が大事の党内から猛反発は必至。同調査会会長・藤井裕久が、この難題をまとめられるかどうかが最大の焦点だ。まとめられなければ野党もそっぽを向く。首相・野田佳彦は、政権発足早々指導力を問われる場面に遭遇する。
一体なぜ野田が政府税調が復興財源として提示した3案のうち、まず真っ先に消費税を取り除いたかである。3案とは(1)法人減税の3年間の凍結と所得税の5~10年間の増税(2)法人・所得税と、たばこ増税などの組み合わせ(3)消費増税――だが、答えは簡単だ。「政局化」を恐れたのだ。実は細川護煕が取り持った8月の小沢との秘密会談で、小沢は消費税導入に強くクギを刺していたといわれる。これに対して野田も「すぐにはやらない」と答えて、小沢に“取り入った”のだ。こうした経緯があっては、消費増税を認めるわけにはいくまい。政権発足早々から「政局」になってしまうのだ。
しかし野田は持論の消費税導入への絶好の機会を逸した。消費税はさる6月に「2010年代半ばまでに段階的に10%までに引き上げる」ことを決めたが、野田政権がそこまで“長寿”を保つ可能性は基盤の脆弱性から言ってゼロに等しい。導入するなら大震災復興の目的税として消費税を導入してその財源を確保した上で、福祉目的税に移行させるのが最良の方法であった。消費税1%は2兆5千億の税収が見込め、3%なら7兆5千億であり、復興増税の11.2兆円程度は1年半で達成可能だ。ここは国民に正面切って消費税導入の必要を訴え理解を得る選択をすべきところであった。
それを所得税増税というもっとも徴収しやすく、安易な選択をしたのでは「逃げどじょう」の面目躍如といわれても仕方がない。国民は所得増税の後数年を経ずして、またまた消費税増税のダブルパンチを受けることになる。おまけに経費削減を先行させると言いながら何も手が着いていない。増大する一方の公務員給与2割カットが公約であるにもかかわらず、労組の圧力でやるにもやれない状況だ。一般勤労者の平均給与が下がっているのに、公務員給与だけは一般を額が大きく上回るのにさらに上昇している。そんな馬鹿な状態を放置しての増税では、政権への不満は募るばかりだろう。また売却できる資産もまだある。国民新党幹事長・下地幹郎は14日、総務相・川端達夫に、復興財源に日本郵政株の売却収入をあてるよう求めている。売却収入は6.4兆円が見込まれており、早期に郵政改革法案の成立を図れば可能となるではないか。復興増税の半分がまかなえる。
新聞論調も朝日を除いては厳しい。社説を見ると、朝日だけが 「私たちは、所得税と法人税を中心に検討するよう主張してきた。消費税は今後、膨張が避けられない社会保障費に充てるべきだと考えるからだ。野田首相の判断を支持したい。」と支持を鮮明に打ち出した。しかし他紙は読売が「消費税を排除するのは問題だ」と真っ向から朝日と対峙。日経が「11.2兆円の規模が必要かどうかについては再検証の余地がある」、産経「増税ありきではなく、冷静な議論が必要だ」とおしなべて疑問を呈している。
こうした空気を反映して民主党税調は、選挙区で追い詰められている若手議員らが、猛反発をしており、藤井は先週もかなり袋叩きに遭っている。背景にはマニフェスト堅持派と修正派のきわどい路線対立がある。先の代表選挙でも野田以外の候補は、増税への慎重論が圧倒的であり、まず藤井の力量が試され、次いで野田の最終決断が迫られる事態になる可能性が強い。藤井は「大局的にものを見れば分かるはずだ。私は最後の良識を信じている」と相変わらず大言壮語型の説得力のない発言をするにとどまっている。NHKの日曜討論でも「理路整然・意味不明」の発言ばかり繰り返していた。事態を収拾できるかどうかのメドは全く立っていないのが実情だ。与党の国民新党も増税反対だ。民主党執行部は来週中にも党内の意見集約をしたうえで、「政府・民主三役会議」で了承を得たうえで、野党に協議を呼びかけたい考えだ。しかし野党はまずこうした与党内の意見収集を「お手並み拝見」の姿勢である。
◎前途波乱の野田「党高政低」政権:民主担当丸2年
◎前途波乱の野田「党高政低」政権:民主担当2年
16日で発足以来丸2年になる民主党政権は、発足以来混迷に混迷を重ね、いったん菅政権で断末魔に至ったものの、3代目になる政権交代でようやく一息ついている感じだ。首相・野田佳彦は前2代の大失政に歯止めをかけるべく、マニフェストの「政治主導」を放棄、政権運営の「自民党化」をはかって、ひたすら低姿勢に徹している。その間隙を縫うように「小沢支配」が党・内閣に行き渡ろうとしている。それが小沢一郎の意を受けた幹事長・輿石東の強権的政治手法となって現れ、政府より党が強い「党高政低」の様相を色濃くしている。世論調査で現れる民主党政権への評価は、内閣支持率が一応V字型回復を見せているのとは逆に散々たるものがある。
新聞は発行部数に関わるから国民への批判は一切書かないが、2年前に国民は完全に民主党にだまされたのだ。有権者はマスコミの扇動に乗って、また自民党政治のあまりの貧困さに憤り、浅慮にも選択を誤って民主党を圧勝させてしまったのだ。マニフェストなどろくろく読んでいない層による、ムードに酔った選択が、すぐに「ルーピー」と米国から軽蔑される鳩山由紀夫を首相に選んでしまった。この国民にしてこの政権ありの悲惨な現実が露呈した。民主党政権は国民のガバナビリティ(被統治能力)欠如の結果であった。
鳩山は「無血の平成維新」と舞い上がり、その言動は内政のみならず普天間移設問題など外交・安保にまで未曾有の大失政を我が国にもたらした。鳩山・小沢ラインは敵失による勝利をマニフェストによる勝利とこじつけ、事業仕分けが象徴する一大パフォーマンス政治を展開した。マニフェストの財源を「政権を取ればどうにでもなる」(小沢)と16.8兆円も見込んだが、財政の現実とはかけ離れたものと分かり、結局三党合意による子ども手当撤回で、マニフェストは破たんしたのである。
民主党政権の体たらくは、独善的体質の菅直人に引き継がれて、尖閣事件への対応に象徴されるはちゃめちゃな政治展開となった。不幸なことに1200年に1度の東日本大震災と津波、そして原発事故が発生した。政治に「イフ」はないが、もし大震災が発生すると知っていたら国民は民主党政権を確実に選択しなかっただろう。菅の対応は原発事故の当初から実態を見誤った上に方向感覚を逸しており、復旧・復興の遅延も招いて今日に至っている。この2年続いた「首相選択」の失敗と2年にわたる「政治空白」は、国民に深い後悔の念をもたらしている。野田内閣への支持率は、当面60~70%の高支持となって現れたが、これはいわばご祝儀相場である。次第に露呈する政権の姿から見て必ず「右肩下がり」の傾向を示すだろう。それよりも重要なのは政権の実績に対する評価だ。
9月のNHKの調査によると「実績を評価する」は23%で昨年同月46%の半分となった。「評価しない」は50%から72%にまで上昇した。読売新聞の調査では政権交代を「良かった」とする回答は47%で、昨年9月調査の58%から下落した。「良くなかった」は41%で29%から大幅に増えた。なんと民主党に「失望している」という回答はは79%に達した。要するに内閣支持率と連動していないのだ。民主党政権を選択して「しまった」という国民感情が横溢(おういつ)しているのだろう。
そこで野田政権だが政権発足半月で見えてきたものは、野田が前2代への「逆張り政治」を展開していることであろう。まず野田の言葉から「政治主導」が消えた。それどころか「政治の自民党化」を推進しだした。党は政調会長を復活、税制調査会もスタートさせた。政府は次官会議を事実上復活、禁止していた法制局長官の国会答弁も認めた。まぎれもない「脱官僚」から「入官僚」への転換だ。国会答弁も首相が演壇上で数限りなくお辞儀を繰り返すという卑屈なまでの低姿勢ぶりである。低姿勢は党運営にも反映しており、細川護煕がとりもった8月の小沢との会談で野田は、事実上小沢に屈した形であろう。小沢は輿石を幹事長に押し込み、国会運営、マスコミ対策などで小沢流の強権政治を展開させ始めた。もちろん選挙はダミーの副幹事長を通じて資金、公認という勘所を押さえた。党の実権は小沢に移ったと言ってよい。
こうして「党高政低」が実現しつつある。日教組のドン輿石は、日教組の組織防衛論をそのまま適用して、マスコミの情報管理をするという暗い政治に踏み込んだ。さらに日教組出身の神本美恵子と水岡俊一両参院議員を、文部科学政務官と首相補佐官にそれぞれ起用するという露骨な勢力拡大人事を進めている。しかしこの「党高政低」路線は、10月から裁判が始まる小沢の「政治とカネ」の問題とも絡んで、政権に大きなマイナス効果をもたらすだろう。加えて復興増税、消費税増税など国民への負担増も俎上に載せざるを得なくなる。「人気のどじょう内閣」が「不人気内閣」に転落する兆候は、発足半月で十分見え始めた。
◎どじょうの「逃げ」浮き彫りで谷垣の勝ち:代表質問
◎どじょうの「逃げ」浮き彫りで谷垣の勝ち:代表質問
どじょうを包むヌルヌル成分は、ムコプロテインと言って細菌や寄生虫から魚体を守るバリアーの役割があるが、国会にどじょうはこれを塗りたくって出てきた。本会議代表質問では自民党総裁・谷垣禎一が何とか捕まえようとするが、首相・野田佳彦はバリアー効果でぬるりと抜けて、しまいには「泥もぐり作戦」ときたものだ。一見谷垣が“上ずった”ように見えるが、指摘の方はピシリと決まっており、「逃げ」を浮き彫りにしただけでも谷垣の勝ちだ。「逃げの政治」はいつまでも持つものではなく支持率の低下を招き、解散綱引きに野田はやがて負けるだろう。
代表質問を録画してチェックしたが、根底にはやはり「早期解散」と「解散回避」をめぐる戦いがある。谷垣にしてみれば不人気な菅政権のままで「菅の手解散」が最良な選択であった。しかし野田で支持率がV字回復してしまって、はじめからやり直さなければならなくなったことを象徴したのが代表質問だ。従ってまず国民の前に民主党政権の実態を暴露して、支持率低下を目指す作戦に出た。谷垣は政権交代を「変わったのは表紙だけ。野田首相という表紙の下は薄っぺらな紙がバラバラに積み重なっている」とまずこき下ろした。さらに鳩山由紀夫、小沢一郎、前原誠司、野田らの名前を挙げて「政治とかねの問題は民主党の風土病」と形容した。破たんしたマニフェストについても「夢と空論がことごとく採用された。マニフェストでうそをついて政権を簒奪(さんだつ)した」とまで言いきって、「有権者におわびをしたうえでの解散」を要求した。野田の執着する大連立についても「まだ婚姻年齢にも達していない」とつれなく袖にした。谷垣が「民主党は党綱領を作れ」と主張したことについて朝日新聞は15日付社説で「どういうことか」と疑問を呈したが、谷垣の主張は当然だ。党内が水と油の状態で調整がつかず綱領を作って統一しようとしないところに民主党の抱える全ての問題があることを社説子は知らない。
谷垣にしてみれば落選組を抱える派閥の長らから早期解散に追い込むべきだとの突き上げを受けて苦しい立場に立たされている上に、「たったの4日国会」で怒り心頭に発しての追及で、いきおいボルテージも上がった。しかし質問内容は練り上げられており、野党としては当然の主張に貫かれた。これだけ言われれば菅直人だったら直ちにイラ菅ぶりを発揮して攻撃型反論を展開するところだが、野田はあっけなくも「谷垣総裁から多岐にわたるご質問をいただきました。ありがとうございました」と感謝の言葉で対応した。「柳に風」でなく、「わしづかみにぬるり」でかわしたのだ。政策面については郵政株売却に前向き姿勢を示したほかは、官僚作成の答弁を棒読みした。解散だけははっきりと「しかるべき時に国民の審判を仰ぎたい。少なくとも今は解散の時ではないと」早期解散を否定した。朝日は社説で早期解散にも反対しているが、野田が代表になった後、先月30日付の社説で「野田氏は国民の信任を直接は得ていない。その正統性の弱さを忘れてもらっては困る。民意を問うために、政策実現の実績を積むとともに、新しいマニフェストづくりを急がねばならない」と早期解散論を打ち出したことを忘れきっている。
野田の基本姿勢は、低姿勢一点張りの「逃げ」に徹しているとしか思えない。政権発足当初の首相というものは何とか独自色を出して前政権より踏み出し、威力を発揮させようとするものだが、その片鱗も感じられなかった。鳩山、菅の2代連続の大失政政権を経験して、「羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」政治を志向しているとしか思えない。自民党など野党にとってはガードが堅くて、挑発すればすぐ失言する鳩山や菅などとは違った手応えを感じているに違いない。しかし逃げに徹する政治ではこの国の置かれた危機的な状況を突破することは出来ない。「4日国会」に象徴される、不自然なまでの逃げの構図は必ずじり貧を招いて、閣僚不祥事も加わって失望を買い、次回調査から支持率を低下させるだろう。野田は民主党両院議員総会では、自らの所信表明演説について「閣議決定した文書を読まなければならず、自分らしさが出てないところがあったかもしれない」と反省の弁を吐露した。分かっているなら野田は、<一煮立ちしたら税増す泥鰌鍋>(読売川柳)でもいい、一内閣一仕事と心得て、堂々と持論の消費税増税を前面に出すべきだ。野党の要求する会期延長にも応じて出直すしかない。泥に潜ろうとせずに泥をかぶる覚悟を示さなければ、国民の失望感は増す一方だろう。
◎“疑惑”に怖じ気づいて「4日国会」
◎“疑惑”に怖じ気づいて「4日国会」
「百日の説法」ならぬ「35分の説法屁(へ)一つ」とはこのことだ。いくら首相・野田佳彦が所信表明で美辞麗句を並べても、一方で「たったの4日国会」を採決で強行する。説法も一挙に色あせる。握手を求めながら、足で蹴飛ばされては野党もたまらない。全野党が激高しており、前政権で細々と続いた与野党政策協議の協調路線は脆くも崩れた。この臆面もなき「逃げどじょう」の政治を敢えて野田が選択したのはなぜか。よほどの事情がなければ与野党関係を犠牲にしてまで短期国会にこだわるはずがない。それは予算委員会の質疑を通じて出てくる“弱み”があって、時間稼ぎをしているとしか思えない。
衆参両院で合計12回も異常なお辞儀を繰り返したことが物語るように、所信表明演説の内容は明らかに刺激を避けた低姿勢路線だった。とりわけ意識したのは野党より、民主党内向けだ。なぜなら消費税増税など党内に異論がある問題は言及せず、曖昧な表現にとどめたからだ。だから与党である国民新党も含めて全野党が「具体性がなく訴えるものに乏しい」という指摘で一致している。なぜ乏しいのかと言えば、各省の政策を短冊に書いて貼り合わせるようなやり方を取ったからであろう。短冊の間に自らの感情を盛り込んだが、取って付けたようで白々しいのだ。勝海舟の氷川清話から取った「正心誠意」も、会期決定の暴挙とは裏腹だ。大震災の津波美談そのものは感動ものだが、人口に膾炙(かいしゃ)している話を繰り返されても“震災利用”の域を出ない。
とりわけ問題なのは野党との関係について「与野党の徹底的な議論と対話によって懸命に一致点を見いだす」「与野党が胸襟を開いて語り合う」の部分だろう。なぜなら演説に先立って全野党が反対する「4日国会」を本会議の採決によって強行したからだ。美辞麗句とやることが全く矛盾するのだ。35年ぶりとなる反対討論で自民党の馳浩が、「信じられない暴挙だ。論戦できない『へなちょこ内閣』であり、首相は駅前演説に戻ったほうがいい」とこき下ろしたのも無理はない。なぜこれだけ野党を怒らせても予算委審議の拒否にこだわったのかだが、表向き民主党は野田が来週国連総会で外遊する点と、与野党議員による海外視察が予定されていることを挙げている。しかし国連総会出席などは米大統領との会談を入れても数日で済む話しであり、歴代首相が国会中に出席する例など枚挙にいとまがない。議員の海外視察などは国会審議を止めるほどの重大事ではない。日程を変えれば済むことだ。
それでは何が原因かと言えば、回答は国対委員長・平野博文がはからずも漏らしてしまった「不完全内閣で、十分な答弁が出来ない」という発言に尽きるのではないか。国会招集前からずっこける閣僚が出るほどだから、予算委審議で一問一答の質疑が行われれば、ぼろを出す閣僚がいくらでもいる。それでも政策は官僚の助けで何とかなるが、疑惑の問題は別だ。自民党幹部は「首相自身が外国人献金でおじけづいた」と指摘している。確かに野田は自らの外国人献金が発覚して、追及されてはたまらないと思ったことは間違いあるまい。野田は事務所を通じ「全く知らなかった」とコメント、調査を約束したが、その内容によっては、首相の進退問題に発展する可能性もある。
加えて閣僚の黒い疑惑も事前のチェックが急場の組閣で十分に間に合わなかった可能性がある。その証拠に“マルチ商法献金王”で何と消費者行政担当の国家公安委員長・山岡賢次が13日、やはりおじけづいたのだ。記者会見で献金について、「法律的に問題はないが、消費者行政を担当する閣僚として誤解を受けないようにしたい」と全額返金する考えを示した。山岡の資金管理団体などが、平成20年まで、いわゆるマルチ商法の業界団体や関連企業から献金を受けていたとされるもので、早くも野党からは「 消費者を騙す消費者担当大臣」という批判が生じている。「返せばよい」では警察は不要だ。自民党政調会長の石破茂も「マルチ商法で問題になった、その人が警察のトップを担うのはどういうことか」と批判しており、予算委を開けば「焦点の人」になることは間違いない。野田にしてみればこうした疑惑に全て手を打って理論武装した上で予算委に臨みたいところだろう。そこには党利党略、個利個略があって、被災者対策に美辞麗句を費やしても霞む。こうして初めての所信表明として国民が期待した野田演説は「会期4日で逃げる人からは何を聞いても心に響きません」(小泉進次郎)というのが共通項となってしまったのだ。
◎野田は“政権が重荷”で逃げるのか
◎野田は“政権が重荷”で逃げるのか
「どじょう」が豪放磊落(らいらく)な性格で物事を仕切ったら野党がやられると思ったが、この10日間やることは全く逆だ。政権全体が「逃げの一手」のように見えてきた。国会から逃げ、マスコミから逃げでは、国民から逃げていることに他ならない。首相・野田佳彦のキャッチフレーズ「国としてスピード感を持った対応する」は、台風災害でも発揮されず、失言閣僚の後任人事にだけに発揮された。これで未曾有の国家的危機に対応できるのか。「スピード感を持って逃げる」と変えた方がよい。13日から臨時国会が始まるが、閣僚の答弁が出来ないという理由で予算委審議もせずにたった4日間で終えるという。
「不完全内閣で、十分な答弁が出来ない」と予算委審議拒否の理由を述べた国対委員長・平野博文は、先見の明があったことになる。政権発足9日目にして失言による閣僚辞任劇である。ここで問題は鉢呂吉雄の発言を反省するどころか、マスコミのせいにするという政権の体質である。政権が問題にしているのは、鉢呂の「死のまち」発言は公の場でのものだったが、致命傷になった「放射能付けちゃうぞ」発言は非公式な場での発言であったということだ。記者懇談の場での発言であり、これを報道するのはけしからんということのようだ。
官房長官・藤村修が11日の会見で「この事態は、今後の報道との付き合いにおいて少し検証しないといけない。輿石氏が動く」と政府・与党でマスコミにチェックを入れる方針を表明した。当の幹事長・輿石東は「報道のあり方について、みなさん自身ももう一度考えていただきたい」と述べて、報道機関の幹部からの「事情聴取」を始めた。昨日の稿で「スターリン治下のソ連共産党」との指摘を紹介したばかりだが、報道管制になりかねないことをを始めたわけだ。日教組出身だから、自分がしていることの意味を知らないはずはない。どうもこの男は物事をマイナスに考え、報道を統制しようとする暗い性格を持っているようだ。「逃げの野田政権」を象徴してしまっている。
もともと政治取材の場合、記者はたとえ非公式な取材の場でも、取材源からオフレコの念を押されない限り、書くのが前提である。鉢呂の「放射能付けちゃうぞ」の言動には、顔見知りの記者達への“甘え”があったとしか思えない。仮にも閣僚であり、その立場を忘れていたに違いない。中東のことわざに「サソリは刺すのだ。頼まれて背中に乗せたカエルが悪い」というものがあるが、記者は書くのだ。甘く見る方がおかしい。しかし書くからといって懇談の慣習をなくすことを考えているとすれば、政権の“逃げ”であり問題だ。懇談の慣習は政治家が公の会見で本心を言わないから出来たものだ。米国のホワイトハウスでも国務省でもやっている。
さらに問題なのはたったの「4日間国会」である。平野が重要な国会日程を野田に相談しないことはあり得ないから、予算委開会には野田自身が消極的なのだろう。野田が消極的だから下も消極的になる。首相が所信表明をしながら予算委を開催しない例は極めて少なく、今回の場合のように「不完全内閣」を理由にした不開催は憲政史上かってない珍事だ。台風12号の被害は甚大であり、大震災復興のための第3次補正予算案をはじめとして課題は山積みである。第3次予算案も自民党はほぼ出来上がっているのに、野田政権は10月下旬提出とは一体何事であろうか。加えて郵政改革法案などたなざらし法案や超円高対策、財政再建・消費税導入問題など審議すべき重要課題は山積している。
大震災以来「通年国会」の必要が叫ばれているにもかかわらず、また被災地からの復旧・復興へのスピード不足にうめき声が聞こえるにもかかわらず、野田は逃げ続けるのだろうか。この国の政治は民主党のお家事情のためにあるのではない。お家事情で2年間に3度も政権を交代させて政治空白を作り、今度もこの緊急時に次の臨時国会まで1か月の空白は許されない。今からでも遅くない。通年国会とすべきだ。首相の外遊などは理由にならない。野田は就任の記者会見以来、会見は開かず、官邸でのぶら下がり取材にも応じていない。最初の明るさはなぜか消え、アドバイザーがいないのか陰鬱(うつ)な表情だけが目立つ。政権が「重荷だったのか」と思いたくなるようなこの頃である。
◎党に「腹心」官邸に「お耳役」で小沢制御の構図
◎党に「腹心」官邸に「お耳役」で小沢制御の構図
「また始まったか」と思うのは、「非適材人事」の象徴である経産相・鉢呂吉雄ごときの辞任問題ではない。いつの間にやら内閣と党の双方への「小沢制御」の構図が固まったということだ。こっちの方が数倍問題だ。小沢一郎の「勘所」の押さえ方はすごいとしか言いようがない。副幹事長に「腹心」を配置して「公認と資金」という選挙の核心を押さえ、内閣官房参与には、やはり「お耳役」を派遣、官邸情報は手に取るように分かるようにした。これはとりもなおさず野田政権が、挙党一致の名の下に小沢コントロール下に入りつつあると言っても過言ではない。
挙党態勢と言えば党役員と閣僚人事に目が行きがちだが、むしろ実働部隊としての下部構造をどうするかの方が重要な側面がある。小沢が目をつけたのもそこだ。小沢はまず内閣で、政局の動向に大きな意味を持つた8月の野田佳彦・小沢・細川護煕の3者会談を取り持った陰の立て役者を起用させた。駿河台大教授・成田憲彦の「内閣官房参与人事」である。成田は国立国会図書館政治議会課長などを経て、93年に細川の首相秘書官を務めていたが、小沢とも極めて近く、細川内閣を「小沢支配下」に置くために奔走した経緯がある。当時小沢は閣外の意思決定機関「与党代表者会議」を主宰していたが、官邸主導の政治を目指す内閣官房長官の武村正義と激しく対立していた。
この「成田人事」について武村はテレビで「ぞっとする」と公言している。小沢の手法を熟知する武村によれば「成田君を参与としたことは大変なことである」というのである。「成田君は細川内閣を小沢氏の方へとぐんぐん引っ張り込んだ張本人」であり、「野田内閣でも官邸情報をどんどん小沢氏に持って行くだろう。あの時代を再現するかと思うとぞっとする」のだそうだ。まさに成田は小沢の「お耳役」となるのだろう。
一方で党の人事で最大の関心事は、副幹事長に選挙対策で誰を据えるかであったが、小沢は、幹事長・輿石東に命じて側近中の側近の代議士・樋高剛を据えた。樋高は選挙対策と陳情問題を担当する。輿石は衆院サイドのことは何も知らないのと同様だから、公認は小沢のダミーとしての樋高の言うがままとなるだろう。「陳情」も小沢が幹事長時代に「幹事長室に一本化」を進め、その後改められたが、またまた小沢の自家薬籠中のものとなってしまいそうだ。「陳情」とは「情報」であり、この情報を握るかどうかが「政治とカネ」とも密接に絡んで権力者の強弱を左右すると言っても過言ではない。
そして最大の問題は選挙資金がらみで政党交付金を自由に出来ることだ。“渋い”前幹事長・岡田克也が統一地方選挙にもろくろく使わないで取っておいた政党交付金250億円を使えることになるのだ。小沢は代表時代に、20億円を超す党資金を自分に近い党役員に「組織対策費」として渡していた。いまだに使途不明のままである。こうした事態を懸念して、岡田が、300万円以上の組織対策費を個人に渡す場合、外部監査の対象にすると決めた。輿石も継承すべきだが、党の規則として明文化されていないため、輿石にとっては無視しようと思えば無視できるのだ。しかし政党交付金は血税である。 政党への法人格付与法で、「政党は法人となる」と定められており、国民の血税は1銭たりとも曖昧であってはならないはずではないか。外部監査の継続は当然必要だ。
輿石の党運営も、暗い。党運営の基本的な考え方の一つとして「情報管理」を徹底しようとしており、日教組の組織運営手法なのか、機密保持に懸命だ。組閣に当たって野田に「打診した相手に『絶対に口外するな』とクギを刺せ」と求めている。幹事長がこの調子では民主党の印象は暗くなる一方だ。「スターリン治下のソ連共産党のようだ」との声も漏れ聞こえる。このように党員資格を停止中であるはずの「小沢支配」が既成事実として明らかになりつつあるのだ。また鉢呂辞任が象徴する「素人閣僚・党役員」の構図が露呈して、第2第3の閣僚辞任が出る可能性も否定できない。野田政権の「耐震性」が極めて脆い基盤の上に成り立っていることが分かる。いわば実態は「八方破れ」なのだ。一見実直そうで期待が持てると評判のよい野田の前途は地雷原を行くごとしであろう。
◎前原は党を2分する安保論議をクリアできるか
◎前原は党を2分する安保論議をクリアできるか
ワシントンで自衛隊の武器使用基準緩和と、武器輸出3原則見直しをぶち上げた民主党政調会長・前原誠司の発言が、与野党に大きな波紋を呼んでいる。早晩中国も反発するだろう。狙いは首相・野田佳彦の訪米地ならしだが、野田自身のA級戦犯発言といい、前原発言といい民主党政権の意外な右傾化に、自民党が「食われる」傾向まで生じてきた。八ッ場ダムの建設中止発言が物語るように歯切れがよいが実行力が伴わないのが前原発言の特徴だが、今回は旧社会党系など党内左派の反発は必至だ。しかし、党を2分する覚悟でとりまとめるつもりのある発言かどうかは疑わしい。米国向けの意味合いが大きいのだろう。
発言の核心は「自衛隊とともに行動する他国軍隊を急迫不正な侵害から防衛できるようにする」「武器輸出3原則は見直すべきだ」の2点に尽きるが、中国を自国の利益のみを考えて国際ルールの変更を求める「ゲームチェンジャー」と形容したのは、実にもっともであるが刺激的だ。前原は「中国は主張するルールの特異さとその価値観の違いも大きな課題。日米が新興のゲームチェンジャーと新たな地域秩序の形成に正面から取り組むのが最優先だ」と言い切った。事前根回しがなかったと防衛相・一川保夫がおかんむりだが、いちいち駆け出し大臣に話すようなことでもあるまい。野田には少なくとも「露払いしてきます」程度のやりとりはあったのだろう。前原は野田が武器輸出3原則緩和に前向きであることを知っており、その意味ではあうんの呼吸が背景にあったと見るべきであろう。
前原は05年12月の民主党代表時代にもワシントンで講演し中国脅威論を強調するとともに「集団的自衛権の行使を容認する方向で検討すべきだ」と発言している。従って持論であることは確かだ。当時は帰国直後の党大会で左派の集中攻撃を受け、結局、うやむやになった。今回も党内左派の反発は確実だ。左派と同根の社民党党首・福島瑞穂が「よく言ってくれるじゃないのというのが率直なところだ」と柳眉を逆立てすごんでいる。武器使用緩和は集団的自衛権の行使を認めていない内閣法制局の憲法解釈とも密接に絡む。単にPKO対策にとどまらず、小泉純一郎の「日本を守るため一緒に戦う米軍が攻撃された時集団的自衛権を行使できないのはおかしい。日本が攻撃された場合には米国と一緒に行動できるような形にすべきだ」という発言が象徴する日米安保条約上の問題や、米国に向かう北朝鮮のミサイル迎撃問題などの論議にもつながる。
民主党内も、小沢一郎の立場は微妙だ。というのも小沢は、湾岸戦争当時の自民党幹事長で「自衛隊を派遣できずに戦費120億ドルを米国にふんだくられた」ことがトラウマになっている。以来、集団的自衛権の行使容認は、小沢の念願であり、集団的自衛権の政府解釈変更を主張する「解釈改憲派」である。しかし、小沢は左派を重視しているから、火中のクリを拾うかどうかは分からない。
一方、自民党など野党は外交・安保でも「民主党の自民党化」が顕著になって警戒気味である。菅直人の「消費税での抱きつき」に始まって、政調会長の権限強化、事務次官会議の事実上の復活、党税制調査会の復活などつぎつぎと「そっくりさん」化が進んでおり、今度は外交・安保での自民党化となっては、存在の意義が問われる。総選挙対策で違いを強調できないのだ。逆に民主党はそこが狙いだ。前原発言に政調会長・石場茂は「前原氏の考えが法案化され国会に提出され、自民党案と並行して審議が行われ、両党が歩み寄った形での法律の成立が望ましい」と述べているが、これはまさにお手並み拝見ということだろう。発言を法案化せよとは、民主党内の論議をクリアせよということにほかならない。
外交的には前原発言は米国との関係改善に前向きの一石を投じたことになり、野田訪米にはプラスに作用しよう。問題は中国に対する「ゲームチェンジャー」発言である。野田の「A級戦犯は戦争犯罪人ではない」発言があって、中国の野田政権に対する警戒心を呼び起こしている最中である。野田は10月訪中で調整をしているが、前原発言の影響が出るかどうか注目されるところだ。
◎野田は名実ともに「次官会議」を復活させよ
◎野田は名実ともに「次官会議」を復活させよ
野田政権がマニフェスト1丁目1番地の「政治主導」で欺瞞の対応を見せている。首相・野田佳彦は鳩山政権で廃止した事務次官会議を事実上復活させようとしているが、マニフェスト違反の指摘を恐れてか「連絡会議」などという、あいまいな呼称でお茶を濁そうとしているのだ。野田はやはりマニフェストの「政策決定の内閣への一元化」で弱体化した政調会長の権限を強化したが、これは政党の決定だから方針変更は自由だろう。しかし、政府機関の場合、統治機構における位置づけがあいまいのままでは責任体制が確立できない。この際民主党政権はマニフェストの破たんを認めて総括したうえで、新たな統治論を明示すべきではないか。
首相・野田佳彦は6日事務次官を集めて訓示、「私どもの政権は、やるべきことはやるという姿勢を貫徹したい。政治家だけで世の中をよくすることはできないので、皆さんの全力を挙げてのサポートが必要だ」と述べた。事実上の事務次官会議復活の宣言である。官房長官・藤村修も7日、これまでの「連絡会議」のようにテーマを震災対策に限定せずに広く政策全般を協議する方針を明らかにした。毎週金曜日の開催に定例化する方針だ。 記者団から「事務次官会議の復活ではないか」との質問が出されたが、「連絡会議は決定機関ではなく、官房長官も入るので内容的に違う」と反論した。
この反論は明らかに、カラスをサギ言いくるめる論理破たんがある。そもそも事務次官会議の構成員には官房長官が入っており、多忙を理由に出席しなくなっただけのことだ。官僚のトップが政策を協議し、事実上意見をとりまとめる会議が、決定機関でないという位置づけなら、単なる諮問機関かということにもなる。もともと事務次官会議には「設置根拠法」がなく、明治初期の内閣制度創設の頃から法令上の根拠がない非制度的機関として存在、会議を主宰するのは現在の官房長官に当たる内閣書記官長であった。平時は閣議の前日の月曜と木曜に開かれ、提出法案などの最終確認を行うが、会議の存在がどれだけ各省間の調整と意思疎通に役立ったかは計り知れない。これを愚かにも2009年9月に、ちゃぶ台返しでひっくり返したのが首相・鳩山由紀夫であった。廃止の根拠は、民主党が2009年衆院選マニフェストで「政治主導を確立することで、真の民主主義を回復する」として「事務次官会議を廃止し政策課題は閣僚委員会が調整する」と明記していたことにある。
この行政の中核とも言うべき次官会議の廃止が、2代にわたる民主党政権の迷走となって跳ね返った。ガソリン税の暫定措置法をめぐるごたごた、普天間問題、尖閣事件、大震災対策、原発事故対策など全ての重要案件が迷走したのは、次官会議廃止に起因していると言っても過言ではない。大臣ら政務3役と官僚との間で意思疎通がうまくいかず、行政の停滞、混迷ばかりでなく信じがたいような連続失政を繰り返したのだ。廃止はタコが自分の足を食う結果を招いた。
辛うじてまずいと気がついたのが首相・菅直人で就任早々、「官僚こそ政策や課題に取り組んできたプロフェッショナルだ」と表明。官僚との歩み寄りに乗り出したが、狭量で官僚を呼び出しては怒鳴るのがたたって、官僚が離反、政治の体をなさなくなったのだ。そして大震災が発生、次官会議不可欠の事態に陥り、「連絡会議」としてなし崩し的に会議がもたれるようになった。民主党がマニフェストで高らかにうたった「政治主導のための閣僚委員会」なるものは、半年以上どこに消えたか影も形も見られなくなったのが実情だ。
こうして野田による事実上の事務次官会議復活となったが、党内には小沢一郎などマニフェスト至上主義が根強く残っている。7日も小沢は、「党の原点忘れるべきでない」と政権公約見直しにクギをさしている。政府サイドも党内からの「マニフェスト違反」の声を恐れて、対応にごまかしがある。今の政府の対応は、次官のノウハウはほしいが、事務次官会議としての復活は避けたいという、当面糊塗策があるのだ。
統治機構の中核となる会議の存在をごまかしであいまいなままにしておいてよいのだろうか。正式に「事務次官会議」を名称も含めて復活させ、目的、機能、責務の明確化を図るべきだ。要するに子ども手当の廃止を3党合意で決定しておきながら、大量のパンフレットを刷って子ども手当存続を唱えた「こすっからい」民主党政治がここでもみられるのだ。大震災という危急存亡の対策も、次官が協議しながらその立ち位置が不明確では、責任の所在もあいまいになる。要するにに2009年マニフェストは現実政治にそぐわない「諸悪の根源」であり、野田はさっさとその誤りを認めて、根本から見直す勇気を持つべきだ。ごまかしは愚直な「どじょう政治」にそぐわない。
◎「ドジョウひと筋」の高支持率では低落する
◎「ドジョウひと筋」の高支持率では低落する
「どじょう」の話しを聞いたトタンに直感で「60~70%」の支持率と書いたが当たった。政局予報士試験に合格だ。しかしドジョウ宰相が、演歌・お吉物語のように「鳩さんも落ちた。菅さんも落ちた。今度は私の番なんだ。お酒だよ。お酒おくれッ!」となるかというと、なるのだ。なぜなら内閣支持率には法則があって、就任当初の支持率を後の支持率が上回ることはない。野田の場合、流行語大賞にもなりそうな「ドジョウひと筋」で勝ち得た支持であり、2の矢3の矢の大得点要素はおそらく出てこない。だから朝日川柳の<なんとまあ愚かな民よまた夢見>という大傑作が生まれる。
歴代首相のあだ名が支持率にプラスに作用したのは、佐藤栄作の「団十郎」と田中角栄の「コンピューター付きブルドーザー」くらいのものだろう。岸信介の「昭和の妖怪」、大平正芳「アーウー」、鈴木善幸「暗愚の帝王」、中曽根康弘「風見鶏」、小渕恵三「凡人首相」、鳩山「ルーピー」、菅「ペテン師」などいずれもマイナス効果であった。しかし、佐藤はその後、沖縄返還で一時盛り返したものの支持率の長期低落、田中は急落に苦労した。野田もその例を踏襲するだろう。しかし同じ右肩下がりでも佐藤のような徐々に下がるのと、田中のように急落するのとでは政治的意味合いが全く異なる。野田は急落型と言うよりじわじわ型ではないか。
全国紙の内閣支持率を見ると朝日53,読売65,毎日56,日経67で産経59.9、共同62%となった。民放には70%台も多い。共通してる重要ポイントは政党支持率が内閣に連動して上がり、読売の民主28,自民23%のようにこれまでと逆転したことであろう。国民は当面「代表選を行った民主党」に目が行っており、小沢一郎のいる民主党は忘れている。だから慌てているのは自民党だ。7月には秘密裏調査で民主党と支持率で大きな差が出て、具体的な選挙情勢にも反映、単独政権復帰も夢ではない状況となって、解散に追い込もうとした。それが逆転である。自民党総裁・谷垣禎一の6日の発言もびびっている。「一刻も早く解散に追い込む方針はみじんも揺るがない」と語ったが「みじんも」と付け加えたのがその証拠だ。党内では評判が悪いが政調会長・石破茂の発言の方が正直だ。石破は「国民の皆さんが、野田内閣が何をやるかちょっと見てみようという時だ。私たちは声高に『解散、解散』」と言うよりも、一つひとつ政策を点検しないといけない 」と述べている。もっとも、クールもいいが政治は弾みであり、政権を追い込もうという意気込みがなければ野党は廃業した方がいい。石破は頭がいいが、どうもマスコミに流される傾向がある。
なぜ、野田の支持率低落がなだらかなものになりそうかというと、「失政大王」鳩山と「ペテン大王」菅の“逆張り”に徹しているからだ。筆者は先に野田の記者会見を見て、自民党化路線を指摘したが、政調会長の権限拡大に次いで、6日は事務次官会議の復活だ。野田は事務次官を集めて「政治家だけでこの世の中を良くすることはできない。みなさんの全力を挙げてのサポートが必要だ」と協力を求めた。震災対応の「連絡会議」として事実上復活していた事務次官会議を継続し、毎週開催する方針だ。党は政調重視、政府は次官会議重視。これは自民党政権そのものであり、政権安定要素となろう。
官僚も野田への協力姿勢を強めているものが多いようだ。財界は経団連会長の米倉弘昌が6日、訪問先の北京で「今回、本当にいい方が首相になっていただいた。ドジョウ内閣をもっと、もっと支えていきたい」と手放しで、“応援団長”を買って出た。谷垣のカラ元気も内心忸怩(じくじ)たるものがあるに違いない。しかし冒頭述べたように支持率の法則は野田内閣も免れない。挙党態勢とはいえ、反小沢、親小沢の構図は宿命的に存在する。閣僚の問題発言も出始めた。やがては政党支持率の方が内閣支持率と連動しなくなって、こちらは急落含みだろう。10月からは小沢裁判が始まり、「政治とカネ」が前面に出る。野田自らの外国人献金や増税方針もマイナス要素だ。数か月後には支持率は必ず落ちる。臨時国会末から通常国会はやはり解散への赤信号とみるべきだろう。<結局はどじょう汚染で幕となり>もアリだろう。
◎頻繁な政権交代の根源を探る
◎頻繁な政権交代の根源を探る
日本の首相が頻繁に交代することを米国務省報道官・ヌーランドが笑った。不愉快に思った日本人も多いだろう。記者団から6月29日、「何人目か」と聞かれたのをジョークと受け取って、「何人目の首相になるの?」と同調、意図的に会場の笑いを誘ったものだ。筆者の経験から言えば、国務省の報道官は伝統的に記者団に弱く、時にはへつらうような対応をするが、今回もその類いだろう。翌日「米国は日本の政治的な不安定さがおかしいのか」と質されて、青くなって「日本の政治プロセスを完全に尊重している」と釈明するオチがついた。ここはいきり立つより、朝日川柳のように<ダメ総理代えてきたから持った国>とジョークにはジョークで返すのが大人の対応だ。「ヤーイ、米国は不人気きわまりない大統領・オバマを代えたくても代えられないだろ」と混ぜっ返すくらいでいい。それにしても、5年で6人の交代は確かに多すぎる。ここでなぜこうなったかを分析しておく必要がある。
頻繁な政権交代は安倍晋三から始まった。最大の原因は自民党が参院選に敗北して衆参がねじれたことにある。並みの神経の首相ではねじれ対応は不可能だ。もっとも、自民党の安倍、福田康夫、麻生太郎の3代と、民主党の鳩山由紀夫、菅直人の場合は本質的に異なる。自民党の政権交代は、財務相・中川昭一の泥酔会見が象徴する長期政権のたるみが行き着くところまで行き着いたことにある。屋台骨が腐ってシロアリに食われてぼろぼろになったことが原因である。一方民主党政権の場合は、まず2代続いた暗愚きわまりない首相のせいであろう。加えて民主党が敵失による勝利を間違えて、未熟な政治路線を強引に敷こうとしたことにある。その最たるものが「官僚敵視」の「政治主導」なる路線だ。普天間問題も尖閣誤判断も原発対応も官僚無視で出来ると見た甘さが根底にある。
それではなぜ世界第3位の経済大国が、頻繁なトップリーダーの交代にもかかわらず、曲がりなりにも生き延びていられるかと言えば理由は3つある。国民のガバナビリティ(被統治能力)と官僚制度の確かさ、そして天皇制である。被統治能力の例を挙げれば、世界が賞賛している大震災での冷静な対応だ。暴動一つ起きていない。日本人の精神尺度から言っても国難の時に暴動が発生する方がおかしいのだ。そういう国民なのだ。官僚制度については天下りなど負の側面ばかりにスポットが当たりがちだが、本質を見なければならない。日本の官僚は他の先進国のそれと比較しても優秀さにおいてはトップクラスと言ってよい。実は、首相が代わろうが政権が交代しようが、官僚がしっかりしていればとりあえずは最低限生き延びられるのだ。大統領が替われば5万人の官僚が異動する米国では、こうはいくまい。
その官僚を唾棄するように排除して失敗したのが鳩山と菅だ。排除して自分にカバーする能力があればよいが、無能ではずっこけて当然だ。天皇制は言うまでもなく国民統合の象徴であり、万世一系
で米国のように大統領が4年や8年の“短期”で代わる国とは異なる。皇紀元年は神武天皇即位の紀元前660年だ。それはともかくとして天皇が国民の象徴として安定的に存在していることは、国民の被統治能力とも精神的に絡んで重要であろう。例えば被災地を菅が見舞えば陰で邪魔者扱いするが、天皇皇后両陛下の見舞いは感涙を伴う。憲法7条の国事行為にも大統領の職務と似通った部分も存在する。
このガバナビリティ、官僚、天皇がいまのところ機能しているからこそ、政治家が馬鹿をやっていられるのだ。もっとも馬鹿をやっているのは米国や英国の権謀術数渦巻く議会でも全く同じだ。元米国務副長官・リチャード・アーミテージが5日付読売新聞の「地球を読む」で「米国民は怒っている。ほとんど全ての政治家に愛想を尽かしている。政治家達は政敵のあら探しばかり。国のためになることはほとんど無頓着に見える」と嘆いているとおりだ。日本と酷似している。政治家とはそういうものなのだ。しかし安心して馬鹿をやってもらっていても困る。馬鹿も10年続けば、国の衰退を招く。ねじれの解消は出来ないまでも、震災対策のように最低限の与野党協調路線は当面維持されなければなるまい。また政権が頻繁に代わり、死に票の多い小選挙区制は日本の政治風土にそぐわない。政治家も小粒になりすぎる。中選挙区制に戻すべきだ。米紙ワシントン・ポストは「ドジョウよおめでとう。だけど、長く続いてほしい」と長期政権への期待を表明する社説を掲載した。野田政権が長続きするかどうかは未知数だが、前が悪すぎたから得をしている。前2代と“逆張り”するのが生きる道だが、野田はそれをやっている。先に指摘した民主党政治の「自民党化」にも臆していない。
◎ささやかれる野田政権の“アリの一穴”
◎ささやかれる野田政権の“アリの一穴”
世路調査の高支持率とは異なり、永田町では物珍しさが一過性のつむじ風のように通り過ぎ、虫眼鏡で政権を検査し始める段階に入った。すると、首相・野田佳彦はもちろんのこと、新閣僚にも次々と欠陥が見えてくる。今のところアリの一穴で本当に堤防が崩れるかどうかは未知数だが、閣僚の「欠陥4大将」を挙げるなら財務相・安住淳、国家公安委員長・山岡賢次、法相・平岡秀夫、防衛相・一川保夫だろう。初入閣での危うさには目をつむるとしても、方向感覚、発言の軽さ、政治倫理観欠如など民主党政治家の持つ特色を余すところなく身につけている。首相・野田佳彦も自らの外国人献金疑惑が出てきたのは痛い。
弁舌の巧みさは最初のうちは聞き心地がよいが、返ってあだとなるケースも少なくない。自民党政調会長・石破茂が「おやじ用語を本質をそらすために使ってはならない」と野田の急所をついた。野田が“どじょう宣言”に際して「ルックスが悪いので、首相になっても直ぐには人気が出ないだろうから、解散はしません」と発言したことを取り上げた。野田が政権交代直前に出版した「民主の敵 -政権交代に大義あり」の中に、首相が代わったときには必ず解散・総選挙を断行して民意を問うべきだと主張していることとの矛盾をとらえたのだ。野田には一点にスポットライトが当たり始めて、今後過去の発言や行動との食い違いが野党の攻撃の焦点となる。中韓両国に波紋を投じている「A級戦犯は戦争犯罪人ではない」とする見解や集団的自衛権行使是認発言などは追及の好餌になる。おりから在日外国人から30万円の献金を受けていた問題が発覚、前原誠司の外相辞任に直結した難題が浮上した。公訴時効を過ぎているが前原同様調べれば芋ずる式に出る可能性が否定できない。民団関係者が党のサポーターに参加し、パチンコ献金など「在日」との接触の強い民主党の構造的問題だ。
閣僚人事も首をかしげるケースが多い。まず財務相に安住をなぜ持ってきたかだ。財務省は当面3次補正や来年度予算編成の急場であるうえに、超円高対策など国家焦眉の急を要するやっちゃ場だ。とりわけ円高対策は専門性を要する問題であり、まったくの素人では対応できるかどうかが危惧される。民主党内ですら元財務相・藤井裕久が「通貨改革は世界的な潮流。日本が大きな役割を果たさなければならないときに果たして大丈夫かな」と危惧する発言をしている。野党は意地が悪いから、かつて「乗数効果」の意味を知らない菅直人に恥をかかせたように、適格性の追求から始めるだろう。
刑事被告人・小沢一郎を、公然と擁護する閣僚が二人も登場してきたことも絶好の追及材料だ。焦点の小沢の党員資格停止処分撤回問題について山岡が「前執行部と同じことをやるのなら新しい執行部を作った意味がない」と述べれば、一川も「処分が出たとき、個人的には賛成できなかった」と明言した。心ある政治家は閣僚になったときには、派閥よりも内閣全体を重視する発言をするものだが、二人ともまるで小沢に洗脳されてしまっている。山岡に至っては、来年の代表選への小沢立候補に前向き発言をして、野田をないがしろにする始末だ。野田は小沢処分に関しては「過去の執行部の結論を踏まえるのが基本だ」と発言しており、首相と閣僚2人で政治倫理、つまり「政治とカネ」の問題で閣内不統一の状況に陥っている。これを野党が突かないわけがない。とりわけ山岡はかねてからマルチ商法絡みの疑惑がささやかれてきており、警察を司る国家公安委員長としての立場や、兼務の消費者行政との絡みで野党の攻撃対象のトップに位置づけられるものだろう。
全く知られていない話しだが平岡も問題を抱える。組閣前、法務省幹部の間で「次の大臣は誰だ」という話が話題になり、幹部の1人が「平岡さんでは」というと「わ~」といって手を振る幹部ばかりだったという。性格が“法匪”と言われるほど理屈っぽく横柄で、官僚の間で毛嫌いされている。死刑囚は過去最多の120人に達している上に、法相の舌禍は辞任に追い込まれるケースが多い。一川の「私は安全保障の素人だが、それが本当のシビリアンコントロール(文民統制)だ」という“間抜け”きわまりない発言も、石破が「閣僚解任に値する。任命した野田佳彦首相の見識も問われる」と述べれば、参院自民党政審会長の山本一太も「問責決議第一号」と問題視。いやはや新内閣もただでは済みそうもない。挙党態勢のかけ声とは裏腹に増税、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)、金融緩和の是非など重要施策をめぐる根深い対立の構図は変化しておらず、マグマとなって吹き出す機会を狙っているのだ。オバマが野田に求めた普天間問題の早期解決も、担当の外務、総務、防衛が「素人」ではおぼつかない。組閣に当たって普天間が野田の視野にあったのか疑わしい。
◎ドジョウ流“自民党政治”で自公にくさび
◎ドジョウ流“自民党政治”で自公にくさび
テレビ撮影の時から自民党総裁・谷垣禎一とは緊張感が漂い、公明党代表・山口那津男とは和気あいあい。首相・野田佳彦と自公党首との会談冒頭を見ただけで流れが分かる。結果を見れば一目瞭然。野田の提案した3党協議機関設置で自公両党は賛否が割れた。解散戦略も自公で異なることが鮮明化した。野田は事実上自公に“柔らかいくさび”を打ち込んだ形となった。今後、公明党は政策によっては賛成に回り「脱自民・入民主」を選択肢とする可能性がある。法案内容によっては「ねじれの部分解消」が視野に入ると見なければなるまい。野田は自民党政治に酷似した政治手法を取り始めた。
見所は会談を自公別々に行ったことだ。狙いは自公のスタンスの違いを鮮明にするところにある。野田が山口に、おそらく用意に用意を重ねたであろう発言をした。「公明新聞に首相は被災地に行くように書いてあった。いきたいと思う」と見事な“よいしょ”をしたのだ。山口は悪い気はしない。会談は解散のかの字も出ずに、和気あいあいに終始した。一方谷垣は、「震災の復旧・復興には協力するが、そこが終わったら国民に信を問うのが基本だ」とはじめからけんか腰。ここで解散戦略をめぐる自公のスタンスが鮮明になった。野田の狙いの第1目標達成だ。
さらに野田は3次補正、復興増税、円高で3党協議機関の設置を申し入れた。政策決定過程に自公両党との協議を組み入れるというもので、これにも山口は乗ったが、谷垣は渋った。公明党には事前調整が働いていたといわれる。自民党には、協議機関に乗れば、ずるずると協調体制が続き、早期解散へと追い込めないという危機感がある。当然、野田はそこを読んでの提案だろう。党首会談後、自公両党は幹事長・国対委員長が対応を協議したが、自民党は慎重な構えを崩さなかったのに対し、公明党は前向き検討を主張、対応が割れた。自公にはくさびが入ったのだ。野田の人柄からどぎつさを感じさせない、柔らかいくさびだが、自民党にとっては放置しておけない問題をはらむ。この協議機関に公明党が乗ったのは大きいのだ。昨年公明党は子ども手当賛成に回ったが、こんご政策によっては同様のケースがあり得ることを物語るものだ。3党間協議機関でなくても民公協議は出来るのだ。野田は大変なアドバンテージを挙げたことになる。
谷垣の早期解散一本やりの強硬戦略は、ここにつまずいた形となった。だいたい公明党とは自公連立10年の付き合いであり、相手の動きは手に取るように見えるはずだが、谷垣は見逃した。解散でスタンスの違いがあるのは、公明党は状況が変化すればすぐに変わるから別に大きな問題ではない。しかし協議機関提案を公明党のように事前に察知できなかったことは失態だ。協議機関で民公連携が積み重ねられては、主導権を完全に奪われる。3次補正までは自民党も協力するが、本予算での民公連携が実現すれば、自民党はねじれの意味がなくなり、置いてけぼりを食らうことになる。渋々ながら協議機関に乗って、ブレーキ役を演ずるか、指をくわえて民公連携を見守るかの選択を迫られた形だ。
ここまで自民党を追い込んだ野田は、出だしにしては好調だ。経団連会長・米倉弘昌が「菅氏とは首から上の質が違う」と褒めたたえただけのことはある。前任者が駄目すぎて後任が得をするケースは多いが、2代続いた暗愚・愚昧首相とは様変わりと言える。様変わりの第1が「ドジョウ」が象徴する泥臭さで、パフォーマンスを感じさせないことだ。また組閣に先立つ異例の党首会談は、菅と違って「人の話を聞く」姿勢が際立つ。公明党との協議機関の事前根回しも、菅の唐突政治とは一線を画す。政治主導どころか官僚重視の姿勢は財務相時代に明白となっている。要するに鳩山由紀夫と菅が余りにも民主党的なパフォーマンス政治に終始したのとは逆に、野田は自民党政治に近い手法を取り始めているのだ。
その好例が政調会長を重視して、前原誠司に専念させ、法案、内政、外交など政府の政策決定においては、「政調会長了承」を前提としたことだ。まさに組織的にも、自民党政治そのものだ。米倉が「全面協力」を約したのも、財界の安心感を背景にしたものといえる。しかし「始めよければ終わりよし」とは言えないのが政治の世界だ。小沢一郎と輿石東が党をろうだんしつつある状態は、今後、増税、マニフェスト見直しなど急所で隙(すき)が生ずる事になる。小沢は野田の“自民党政治”に、なにかと待ったをかける可能性が強い。その隙を自民党が突けるかどうかが勝負だろう。自民党にとって「ドジョウ宰相」は前任者達とは格段に戦いにくい相手であることがはっきりしてきた。
◎はやくも「解散綱引き」が始まった
◎はやくも「解散綱引き」が始まった
自民党総裁の谷垣禎一が声高に早期衆院解散を唱えはじめ、解散回避が基本の首相・野田佳彦との「解散綱引き」が早くも始まった。1日の党首会談などを経て次第に解散での対立の構図は鮮明となろう。しかし、野党は公明党が例によって野田に接近しようとしており、加えて世論が野田とは当分ハネムーンに入った。早期解散の突破口を見つけるのは容易ではないが、水と油の党内抗争を抱え政権のほころびは意外と早い。内閣支持率は当面高くても、日教組のばりばりで親小沢の幹事長・輿石東では民主党の支持率は上がるまい。もっとも谷垣が「一刻も早く解散」を唱えるのは“掛け値”であり、本当の解散風は臨時国会末から吹き始めて、来年度予算案審議が佳境を迎える3月頃に吹きすさぶだろう。
民主党が早くも逃げの姿勢だ。野党が9月9日からの臨時国会招集を主張しているのに対し、民主党は9月下旬に持ち込みたい考えで大震災対策が叫ばれる中、1か月の空白が出来そうだ。こうした中で自民党は早期解散を合い言葉に政権を追い込む姿勢を固めた。谷垣は「一刻も早く解散に追い込んで国民の信を問い政権を奪還する。この目標は微動だにすることがあってはならない」と意気込んでいる。自民党は菅政権で2度解散の絶好のチャンスを逃している。一つは大震災直前で、外国人献金で菅を解散か総辞職かと言う場面まで追い込んだが、震災が不可能にした。次は菅が狙う「脱原発解散」を逆手に採った8月解散だったが、菅が戦略の破たんに気付いて急速にしぼんだ。
今度は3度目の正直だ。確かに「2年間に3人の首相が交代して国民の信を問わないのは政権の正統性が問われる」という自民党の主張は、マスコミの主張とも合致している。しかし野田は「解散で政治空白をつくれる状況ではない。解散はそもそもできない」と突っぱねている。野田は「首相の解散権を縛る話でもない。いろんなことが起これば、解散はあり得る」とも述べているが、これは本人の意志と反した“つけたり”だろう。野田の戦略は2代続いた政権の体たらくを立て直して、党の支持率の回復を待って解散に踏み切るところにあり、現段階の解散は自殺行為に等しいのだ。
自民党戦略にとっての問題は公明党が、得意のコウモリ作戦で野田にすり寄りつつあることある。代表・山口那津男は、「選挙をやれ、解散しろという政党がある。でも、一番先にやらなければいけないことは、復興のために政治の力を合わせることだ」と自民党をけん制している。しかし解散に関する公明党の主張ほど当てにならないものはない。今年初めは統一地方選挙があるから解散反対と述べていた山口自身が、大震災直前に菅内閣を追い込めると判断するや、総選挙と地方選挙のダブルを是認しだしたのだ。この党は解散に関しては状況次第でくるくる変わる。
問題はマスコミの動向だが、社説は、読売が「自公両党は、衆院解散・総選挙に追い込むより、日本経済の再生を優先すべきだ」と主張しているほかは、全紙が解散指向だ。朝日は「野田氏は国民の信任を直接は得ていない。その正統性の弱さを忘れてもらっては困る。民意を問うために、政策実現の実績を積むとともに、新しいマニフェストづくりを急がねばならない」と主張。毎日は「衆院選を経ず首相を2度にわたり交代した以上、できるだけ速やかに民意の審判を仰ぐことが必要だ」産経も「やはり早期解散こそ筋だ」と早期解散論だ。
こうした論調が正面切って出てくるのは政権とマスコミのハネムーン期間100日が過ぎてからだろう。一見すきがないように見える野田政権も、ほころびは幹事長・輿石あたりから目立ち始めるだろう。輿石は自らの仕える「ご主人様」である小沢一郎の党員資格停止処分の撤回発言を繰り返し、31日も「元代表にもこの難局に参加してほしい。そのことにみなさん異論はないと思う」と、全党を統括しなければならぬ幹事長らしからぬ発言をしている。輿石は小沢の“どつぼ”にはまっているのだ。まだ、マスコミが発言をさせるだけさせて、手ぐすねを引いて叩こうとしていることを愚かにも気付いていない。この調子では民主党支持率の野田内閣支持率への連動など期待できまい。従って自民党の早期解散戦略は成り立ちうるのだ。マスコミとのハネムーンも、みんなの党代表・渡辺喜美が「2年で3回目のハネムーンなんて一体あるのか」と批判している通り爆笑ものだ。臨時国会を何とかやり過ごせても、通常国会は参院のねじれが再び作用して、予算関連法案をめぐる攻防が激化、解散は一触即発のモードに入るだろう。

























