◎野田の「輿石人事」は両刃の剣の危うさ
◎野田の「輿石人事」は両刃の剣の危うさ
自らを「ドジョウ」と名付けた首相・野田佳彦の意図は、2代続いたパフォーマンス政治の悪印象を「泥臭さ」で打ち消そうというところにある。じつに巧みな政治手法であり、マスコミがはやしたてて当面は成功している。「ドジョウ宰相」はご祝儀相場もあって支持率60%~70%くらいいくかも知れない。しかし、どうも民主党の政治家はやりすぎるから、やがて「ドジョウが出てきて今日は」の“パフォーマンス”にも飽きられるだろう。そのドジョウ宰相が最初に断行した人事が参院議員会長・輿石東の幹事長起用だ。相田みつおの言葉「どじょうがさ金魚のまねをすることねんだよなあ」を教えたのも輿石だから、ドジョウの取り持つ縁ということになる。しかし、輿石は紛れもなく穴蔵から小魚を狙うオオサンショウウオ小沢一郎の“執事”だ。ドジョウが不気味にもオオサンショウウオに丸のみにされる危険が出てきた。
輿石は顔を見る度に、かっての田中派会長・西村英一を思い出す。西村はシミで顔が汚れているから「汚れの爺さん」と親しまれた。シミの出具合、痩せ具合、年齢、切れ味などそっくりだ。おまけに刑事被告人に頼られているところまで似ている。しかし西村は田中角栄に時々苦言を呈したり忠告したりしていたが、輿石は「小沢丸ごと礼賛」であり根本的に違う。その証拠に記者団が小沢の悪口を言うと激怒する。かって小沢の政治家としての道義的進退について問われ「ふざけるな!」と怒鳴った。小沢処分決定に際し「処分すれば造反が起きて総辞職か解散しかなくなる」「衆院で3分の2を確保出来なくなる」と脅すといった具合だ。日教組の権力闘争のやっちゃ場をくぐり抜けてきただけあって、脅しは陰湿だがうまい。最近まで「推定無罪の原則から言って、裁判所の判断が出る前に処分すべきでない。新しい代表の下で、党員資格停止は凍結なり解除なりすることが望ましい」と処分見直し論を公言していた。
この輿石を幹事長に起用した背景をみると、小沢側の幹事長ポストへの執着がいかに激しいものであったかが分かる。小沢は前原誠司にも要求して断られ、野田で実現したのだ。野田は当面の挙党態勢を確保するために自ら内堀を埋めてしまったのだ。「入小沢」の印象を「ドジョウ」でごまかせるのも最初のうちだけだ。小沢の狙いは次の総選挙をろう断するところにある。というのも小沢グループは2年前の民主党バブルで獲得した新人が多く、次の選挙では落選必至の議員ばかりだ。幹事長のポストを確保すれば250億円残っていると言われる政党交付金も使いたい放題だ。候補者の調整、公認も小沢は「直接指示」ができる。輿石も選挙技術に長けている小沢を頼らざるを得ない。選挙を小沢が握るということは、全党が小沢にひれ伏すことになるのだ。
従って党は事実上小沢支配となりかねない兆しが見える。時の首相にとってこれは大きな欠陥体制と言わざるを得まい。というのも野田の増税路線はこれに反対する小沢のチェックが入るのだ。加えてマニフェスト見直しも停滞するだろう。まさか輿石はすぐに小沢の党員資格停止処分を撤回することはないだろうが、春に一審判決がシロと出れば、例え“灰色無罪”でも撤回に動くことは間違いない。もっとも撤回しようとしまいと、輿石幹事長人事は事実上撤回と同様の効果を生じさせる。前原が政調会長でこの党本部小沢支配を阻止できるかどうかが鍵となるが、心許ない。小沢は高笑いが止まらないのだ。
野田は党を明け渡して自分は行政に専念したいところのようだが、小沢支配は政策にも及ぶ。自民党幹事長・石原伸晃は「政権の第一歩は3党合意を履行できるかどうかだ。マニフェストの変更についてしっかりした見解を示してもらう」とけん制している。石原は小沢の党支配が与野党協調態勢に悪影響を及ぼすと判断しているのだろう。野田にしてみれば「小沢を立てれば野党が立たず、野党を立てれば小沢が立たず」の絶対矛盾に遭遇することになるのだ。この矛盾には、待ったなしで対応を迫られる。第3次補正予算案の編成、来年度予算の概算要求と難題がひしめいている。ドジョウ宰相が「今日は」などと油断していると、本当に小沢サンショウウオに食われかねないのだ。その意味で輿石人事は両刃の剣の危うさを持つ。
◎隙のない野田のアキレス腱を分析する
◎隙のない野田のアキレス腱を分析する
今回ほど首相を決める選挙でマスコミの警告が利いた例は少ないだろう。小沢一郎にすり寄った海江田万里に新聞テレビがこぞって反対、浮動票に影響して、代表が5人の候補の中ではもっとも言動に隙(すき)がない野田佳彦に決まった。大政党のリーダー選出での逆転劇は、1956年の石橋湛山選出以来のことだ。小沢対反小沢の代表選は連続3回にわたって小沢が敗北、その求心力にようやく陰りが見えた。民主党は鳩山由紀夫、小沢、菅直人というトロイカ体制から離脱し、世代交代の潮流が一層強まった形だ。ただ「ノーサイド」を主張する新首相・野田が「小沢のくびき」から完全離脱することは、海江田の得票が177票と半数に迫ったことからもなお困難である。政権運営は波乱含みだ。野党の思惑も作用して、衆院の解散・総選挙は秋の臨時国会末以降赤信号が点灯する状態になろう。政局は解散綱引きを軸に展開する。
代表選の結果は、何と言っても民主党を覆う危機感が最大の作用をした。総選挙大敗必至を誰が食い止められるかの選択だったのだ。その意味で小沢支配の「海江田政権」はあり得ない選択であったのだろう。あまりにも露骨な海江田の“小沢崇拝”は、永田町で「侮蔑」の対象にすらなっており、敗北で小沢神話は馬脚を現したことになる。小沢はグループ弱体化に危機感をあらわにしており、これまでの世代別のグループを一体化する動きに出ている。今後人事、政策で注文をつけ続けるだろう。また主流派から野田と前原誠司の二人が立候補して、競争激化を招き、結果的に決選投票での支持票を拡大したことも勝因だ。
野田は幹事長・岡田克也が辛うじてつけた道筋、つまり与野党融和路線を継承することになる。子ども手当廃止など3党合意も踏襲する。野田は候補の中で一番はっきりと増税不可避の見解を表明しており、消費増税、復興増税への道筋をつけようとするだろう。マニフェストも「理念は尊重」と述べつつも、修正の現実路線を選択するだろう。この路線は参院のねじれ現象を考慮に入れれば避けられず、とりわけ災害復興のための第3次補正予算案では、作成の段階から野党の主張を取り入れようとするだろう。
ここに重要な波乱要素が生ずる。「隙のない野田」の第1のアキレス腱だ。というのも増税にせよ、マニフェスト見直しにせよ小沢が真っ向から反対する路線であるからだ。野田がねじれを意識して野党に接近すれば、小沢が反対し、小沢に接近すれば野党が拒絶反応をする。この構図から抜け出るのは容易ではない。そうかと言って持論の大連立が実現するかというと、野党は総選挙を意識して乗る気配がない。復興に限っての大連立もない。自民党政調会長石破茂は「復興をテーマとした大連立はあり得ない。そもそも国民から与えられた議席は大連立が前提ではない」としている。
第2のアキレス腱は衆院の任期が2年を過ぎ、解散モードとなって来たことだ。自民党の基本路線は、臨時国会では3次補正は協力するが、協力はそれまでであり、後は早期解散戦略が基本だ。9月の11日には被災地岩手の知事選があり、これが意味するところは、解散・総選挙もようやく“解禁”されることにあるのだ。 自民党総裁谷垣禎一は野田に対して「3次補正が成立したら、国民に信を問うべき時期が来る」とけん制している。野田も記者会見で、自ら衆院解散に踏み切る可能性について「基本的には衆院任期の4年間は仕事をし続けていくが、その前にいろいろなことが起これば、解散はありうる」と述べた。要するに自らの手で解散せざるを得ない宿命を自覚しているのだ。
アキレス腱はまだある。まず経験不足から来る問題だろう。野田が要職に就いたのは党が国対委員長、内閣が財務相だけであり、外交の経験がない。野田は8月に、「A級戦犯は戦争犯罪人ではない」とする見解を改めて表明して、中国や韓国の反発を買っている。外交を知っていればあり得ない発言だ。ましてや首相発言なら外交に致命傷となる。立て板に水の弁舌や美辞麗句も1度や2度は新鮮だが、首相がこれをやり過ぎると鼻につき始める。やはり弁舌巧みな海部俊樹の評判が悪かったのと同じだ。首相のポジションは弁舌よりも実行力の有無だ。代表選に先立って「大連立」を唱えた方向感覚も疑われる。大震災をマニフェスト見直しの口実にする傾向も、欺瞞(ぎまん)性が強い。
内閣支持率はご祝儀相場でそれなりの高さを得るだろうが、高いうちに解散して、敗北の歩留まりを少なくするか、追い込まれての解散で大敗するかの選択を迫られよう。いずれにせよ、民主党のかねてからの主張である「政権交代したら解散しなければ内閣の正統性がない」は野田本人の持論でもある。3次補正で大震災復興にメドがついたら、早期に解散・総選挙で国民の信を問うのが憲政の常道だろう。
◎民主党は「海江田首相」なら自爆路線だ
◎民主党は「海江田首相」なら自爆路線だ
民主党代表選は29日、1位が海江田万里になりそうなものの過半数に達せず、2位を野田佳彦、前原誠司の順で争う流れが出てきた。その場合、海江田と2位の候補の決戦投票にもつれ込む可能性が強く、「2位以下連合」で覆せるかが鍵だ。民主党議員は、まさに党の存亡がかかった代表選に臨むことになる。というのも秋の臨時国会の審議が始まって新首相が立ち往生するまでの期間を分析すれば、海江田万里は「いきなり」、前原誠司3か月、野田佳彦半年と予想される。海江田はなぜ「いきなり」かというと、首相としての適格性に決定的に欠けるからである。
まず子ども手当破棄の3党合意白紙化に言及しており、野党がいきり立っている。加えて危機管理能力のなさ、政治判断力の欠如はルーピー鳩山由紀夫以上であろう。物事を感情論で対応しがちだ。極めつけは刑事被告人・小沢一郎の操り人形となってしまったことだ。これは日本の政治を小沢がろう断することを意味する。今回の代表選は民主党にとって最後の最後の首相を決めるためのものであり、海江田の立ち往生は、民主党の終焉を意味する。
小沢による海江田選考の経緯を見れば明白だが、小沢は海江田には最後まで持って行きたくなかったのである。参院議員会長の輿石東や議長の江田五月という特異の人材を打診して断られ、土壇場で海江田となった。そもそも小沢は海江田について「泣いちゃあ駄目だ」と漏らしており、その駄目な「号泣万里」を選択した理由は、小沢の持論から解ける。海部俊樹を首相にしたときに「総理は軽くてパーがいい」と述べたとおり、今回も言うことを聞く「軽くてパー」を選んだのだ。小沢は不遜にも一国の首相の座をもてあそんでいるのだ。その証拠に最近まで「菅以外なら誰でもいい」と述べていた。
海江田は小沢に世間体もなく、臆面もなくひれ伏している。発言から見ても明白だ。「小沢先生のお力を借りなければこの代表選はおろか、日本の国は救えない」と、国家まで冒涜した。加えて「私は小沢先生の力を存分にふるっていただけるよう最大限の努力を申し上げる」とまで言いきった。小沢の要求する幹事長人事に応ずる方針を鮮明にさせたのだ。海江田の脳裏には一国の首相としての有り様(よう)などは眼中にない。なりふり構わず小沢にすがりついて首相になりたいという浅ましいまでの権力亡者の姿がそこにある。「自分の価値はどうでもいいんです」と号泣したはずが、全ての小沢の要求を受け入れて、自らの価値を首相の高みまで上らせようとしているのだ。
しかし、政治家で泣いては限界が露呈する。国会では、大した追及でもないのにたびたび涙を見せ、27日の記者会見でも小沢との関係を何度も質されると「なんで私ばかりに・・・」と、泣き面を見せた。「私ばかり」が、一番小沢にすり寄ったから、質されていることを理解できない。要するに政治判断力はゼロなのだ。バブル期の経済評論家時代にバブル崩壊を予知できないまま最後まで無責任にも「今株を買わなければ買うときがない」と民放番組であおりにあおった話しは有名だ。重要な点は経産相として検討すべき浜岡原発停止も首相・菅直人に横取りされ、玄海原発も再稼働寸前に菅に横やりを入れられてなすすべを知らない。辞任すると怒っても、結局出来ずじまいだ。優柔不断の極みである人物が日本の首相に適格だと思うのは小沢と鳩山とその配下しかいない。
小沢の狙いは幹事長・岡田克也が使わずに残した250億円の政党交付金であると言われる。だから幹事長ポストを狙って、前原が断ると「パー」を選択してまでこだわったのだ。野党は民主党政権にとどめを刺すことが出来る最高の標的を得ることになる。10月からの小沢裁判が始まり、「政治とカネ」の追及材料には事欠かない。海江田が本来なら小沢に向けられる追及を一挙に引き受けることになる。矢ぶすまの憂き目が目に見えている。また小沢の指示通りに海江田がマニフェスト維持を言明しているのも、与野党の潮流と正反対の立場となる。28日のNHKでも子ども手当廃止などの与野党合意白紙化に言及した。公党の約束を反故にした「首相」に、野党は間違いなく攻勢を仕掛ける。集中攻撃に、首相がワンワン泣きながらの答弁が展開されては、世界中からの嘲笑の的となる。スタート時の内閣支持率も小沢の操り人形と分かっていては30%がいいところだ。
かねてから「新政権は政権の正統性からいっても解散すべき」と言うのが民主党の主張であった。その民主党が3代のたらい回しで口をぬぐうことは許されない。誰がなろうと遅かれ早かれ「 売り家と唐様で書く三代目」だろう。しかし民主党がぼろぼろになるのを少しでも遅らせたかったら、決選投票で「海江田首相」の流れを覆すしか手はない。海江田が1位なら「2位以下連合」でひっくり返すしかない。前原は新たな外国人献金が発覚して失速気味であり、野田が2位になりそうだ。その場合「野田首相」を目指した連合で勝負するしか民主党が生き延びる道はない。全国紙も読売が「首相の器を見極めよ」、朝日が「政治を前に進める人を」と海江田に否定的な社説を展開している。
◎小沢の「前原不支持」で民主代表選激突の構図
◎小沢の「前原不支持」で民主代表選激突の構図 政局ファイターの元民主党代表・小沢一郎が、またまた「乱」を選択した。民主党最後の切り札の前外相・前原誠司をあえて推さずに、他の候補を推すというのだ。これで代表選は事実上前原陣営対小沢陣営激突の図式となる。しかし自ら出馬して菅直人を相手にしても勝てなかった小沢が、「次善の候補」を押し立てて勝てるかというと微妙だ。むしろ総選挙を前にした危機感が前原を押し出しているのが民主党内の潮流であり、前原を超える「選挙の顔」が見つかるかというと容易ではあるまい。前原優勢の流れは変わるまい。
自分の言うことを聞かない勢力を力でねじ伏せてきたのが小沢政治であった。24日の小沢・前原会談も、前原の激高ぶりから見ても事実上物別れであったのだろう。水面下の小沢の要求は、自分の前に前原がひれ伏すかどうかであった。まず第一に小沢自身の党員資格処分の見直しをするかどうか。つぎに人事で自分自身を幹事長に据える意志があるかどうか。自分が駄目なら息のかかったものを幹事長にするかどうかであった。
しかし前原はことごとく拒否した。他の候補者皆が小沢処分撤回の踏み絵を踏んでいるのに対して、きっぱりと「党の決定は変えない」と言い切った。幹事長人事にしてみても前原は鳩山に対して、「あなたも小沢幹事長の処遇には困ったのではないか」と逆ネジを食らわしたと言われている。これが鳩山の小沢へのご注進となり、やはり鳩山の「小沢氏も含めて挙党態勢を築こうという考えではないように思える」という発言にもつながった。小沢と鳩山が25日の会談で「激突」路線を選んだのは、前原が開き直ったからでもあろう。同日朝には議員会館の議員事務所に「政治とカネ問題を抱えた前原誠司が首相になればすぐ解散に追い込まれる」という怪文書が投げ込まれたが、小沢グループ幹部らは「前原氏が首相になったらすぐに解散に追い込まれる」と全く同じことを述べており符合している。やることが臭いのだ。前原が解散すれば、もともとバブルの小沢グループはうたかたのように消え去る危険があるのだ。
ここで浮き上がってきたのは忠臣蔵で吉良上野介が浅野内匠頭をいじめる構図だ。しかし今度の前原内匠頭は小沢に向こう傷どころか致命傷を負わせる可能性がある。まず世論がテレビも新聞も「小沢アレルギー」に陥っており、表面上は「邪悪対正義」の戦いの構図が浮上し得るからだ。小沢に対して真っ正面からけんかを仕掛ける前原に世論はやんやの喝采をする。だいたい戦わないで小沢にこびを売って、首相の座を仕留めようなどという候補は、根性が卑しいのだ。この流れを受けて民主党の浮動票がどう出るかと言えば、前原に流れるのだ。だいたい他の候補と言っても海江田万里、野田佳彦、鹿野道彦は前原に比べれば「二流」を免れない。その他の候補は売名目当ての雑魚ばかりだ。鳩山の言う「独自候補」なる者も小沢、鳩山陣営150人をまとめきれるとは思えない。ささやかれる原口一博ではとても太刀打ちできまい。参院議長・西岡武夫を選択すれば驚きの選択だが、それでも数は集まるまい。人物がエキセントリックすぎて国の首相には不向きだ。
去年9月の代表選挙の議員票は菅が206票、小沢が200票の大接戦だったが、この200票が小沢陣営にとってぎりぎり最大限の数字だろう。小沢自らが出馬しての200票であり、他の候補ではとてもこれだけの数字はまとまらない。一昨年6月の代表選では菅が291票、樽床伸二が129票で菅の圧勝だ。小沢グループは自由投票を強いられている。ただ今回の選挙は候補者乱立で、いずれの候補も、今回の過半数200票にに達さないこともありうる。 過半数を得た者がいない場合は得票数の上位2名により決選投票が行われる。仮に1位が前原になった場合、他の候補が「2,3位連合」を組めばひっくり返される可能性もある。小沢の「独自候補」はそこまで狙っている公算が高い。また選挙に先立って27日の告示ぎりぎりまで候補者一本化による合従連衡の動きが活発化しよう。小沢は馬鹿な戦いを展開して民主党をぐちゃぐちゃにしては意味はない。今からでも遅くはない。前原を推すべきだ。
◎近ごろ都にはやる落書は「馬鹿の選択」
◎近ごろ都にはやる落書は「馬鹿の選択」
「此頃都ニハヤル物、夜討、強盗・・」と続くのが二条河原落書(らくしょ)だが、近頃、「永田町落書」がはやりだした。「馬鹿野仙沢前頼万伸」で「馬鹿の選択前よりまし」と読む。馬淵、鹿野、野田、仙谷、小沢、前原、海江田万里、樽床伸二の名前が皆入っている。民主党代議士の松野頼久が作ったと言われ、その証拠に唐突にも「頼」の文字が入っているのがご愛敬。機知に富むところも顔も父親の頼三とそっくりだ。確かに菅直人よりはましだが、政策をどうするかの政権構想を忘れた“政局馬鹿”たちによる「馬鹿の選択」は、佳境に入った。焦点は前原誠司と小沢一郎の腹の探り合いだ。
立候補した前原は24日、小沢や鳩山由紀夫と一連の会談をこなしたが、小沢との会談は例によって小沢の“面接”スタイルであったらしい。その証拠には会談から出てきた前原が怒り心頭に発したような顔つきになっていた。おまけに記者団に八つ当たりして、小沢の感触を聞かれると「小沢さんに聞いてください」と突っぱね、小沢処分解除の話についても「するわけがない」とけんもほろろ。小沢がよほど上から目線のうえに横柄で、カチンと来なければ出てこない態度だ。
かといって、小沢が前原支持の選択を消したわけではない。エリマキトカゲのように偉そうに見せているが、窮地に陥っているのは小沢の方でもあるのだ。なぜなら小沢グループ130人と言ってもかき集めの集団で、かっての田中軍団とはほど遠い。グループ内は「鹿野だ」「海江田だ」とばらばら。折からの「前原コール」に乗ってしまいそうな若手議員も多い。130人のうち60人は浮動票とみてよい。小沢が下手な指令を出せばグループは四分五裂しかねない。とりわけ自分の選挙基盤がぼろぼろの若手議員らは「選挙の顔」で選択したい指向性が強い。
小沢の致命傷は独自候補を持たないことでもある。自分自身の立候補は、裁判でシロと出たうえでないと無理で、早くても来年9月の代表選までない。そうかと言って落書の「馬鹿野」と「万」では心許ない。おそらく今回の代表選はムードが左右するから、前原が過半数をとれなくても優位に立つ可能性が高い。前原が1位になれば決選投票では雪崩を打つ。前原に負けてしまっては“威光”も地に落ちるのだ。だから「勝ち馬に乗る」選択肢もあるのだ。また前原と激突して前原が勝った場合、政府・与党と野党が結束して、「小沢の袋叩き」を展開する可能性もある。なぜなら10月からの裁判が小沢にとって最大の弱みとなるからだ。ここは敵を作れないところだろう。
だから人事での条件闘争の要素が大きくなってきているのだ。おそらく前回も書いたが、小沢サイドは「小沢幹事長」でバーゲンを吹きかけている可能性が高い。幹事長は資金をフルに使えるから総選挙で小沢陣営を拡大強化できるのだ。ルーピー鳩山のルーピーたるゆえんは、すぐに本音を吐露してしまうところにある。鳩山は「前原氏は、小沢氏との距離感を保ちながら、自分の思うような人事を行いたいという発想で、小沢氏も含めて挙党態勢を築こうという考えではないように思える」と述べて、焦点が人事になっていることをはからずも露呈したのだ。しかし「小沢幹事長」ではいくら小沢が選挙技術に長けていても、「政治とカネ」が災いして、選挙には勝てまい。また前原も世論の支持がなくなる露骨な小沢崇拝はできまい。前原が利口なら「小沢幹事長」は無理でも、党役員・組閣人事である程度の妥協をほのめかして、小沢の顔を立てるのだが、突っぱねれば激突だ。
小沢グループがこの調子だから他のグループに至っては毎日くるくる変わる浮動票だ。もともと「昨日勤皇、明日は佐幕、その日その日の出来心」の浮動票が左右するのが民主党代表選の特色だ。一方、前原にとっての弱みは主流派を一本化出来ないことだ。前原と野田の間に立って調整をしている最高顧問・渡部恒三も「2人の意志は固い」として、代表選前の一本化は困難との見通しを述べた。渡部はかくなる上は代表選に突入したうえで、過半数を前原がとれなければ決選投票で野田を降ろして前原に一本化することを視野に入れ始めた。
◎協調か激突か土壇場の攻防:民主代表選
◎協調か激突か土壇場の攻防:民主代表選
辻回しでひっくり返りかねない「欠陥山鉾」だが、民主党最後の切り札であることは確かだ。前外相・前原誠司の代表選立候補は政商・稲森和夫も巻き込んで、土壇場の展開を見せ始めた。本命登場で、かしましかった他の候補はかすみ、焦点は、舞台裏の“稲森調停”で小沢一郎が前原を推すかどうかだ。小沢が前原を推せば“決まり”だ。推さずに財務相・野田佳彦を推せばいい勝負になる。
前原が23日朝、選挙区・京都のスポンサー稲森に立候補に先立って早々と会いに行ったのはなぜかと首をかしげたが、午後、稲森が小沢を呼んで会談したので分かった。前原は明らかに稲森に小沢との調停を依頼したのだ。稲森は財界人でも数少ない民主党系で、財界本流には評判が悪い。もっとも最近では2代続いた政権の体たらくに「落胆した、政権交代も民主主義の結果であるが、色んなことが起きて、歳もとったので今後は党への支援には距離を置き静観する」と述べていた。民主党に深入りしすぎたことへの反省だ。しかし、前原にしてみれば新進党時代から小沢と親しい稲森に小沢を説得してもらい、一挙に勝負を決めたい腹なのだろう。稲森は前原に「挙党態勢を作るよう努力すべきだ」と述べ、反小沢的な言動を慎むよう求めている。
小沢が稲森の調停にどう反応したかはやぶの中だが、前原立候補で代表選の構図ががらりと変わった。売名目当ての泡沫候補らは推薦人20人の確保すらままならぬ状況となり、野田、海江田万里、鹿野道彦くらいしかまともな対立候補がいなくなった。まず野田は前原に蹴落とされつつある状況に陥った。政局を読めぬ大連立発言などが災いして主流派の人心が去ったのだ。推薦人集めにも汲汲(きゅうきゅう)としている始末だ。小沢の支持が得られなければ、前原で候補者“一本化”の話しも現実味を帯びてくる。一方閣僚辞任を先延ばしにしてきた海江田は、23日ついに辞任しない方針を明らかにした。衆人環視の中での号泣といい、自分の進退すら決断できない優柔不断さといい、事実上指導者不適格の烙印が押されつつある。小沢が「辞めれば首相になれるのに」と漏らしてから1か月を経ても辞めず、揚げ句の果ては「辞めるのやめた」では、よほどのことがなければ見放される。鹿野は黙っていることだけで小沢の支持を得たい戦術のように見えるが、物欲しげでいじましい。小沢と会っても冷たくあしらわれたようだ。こうして対立候補らが三者三様に窮地に陥っている。
小沢の選択肢はますます広がり、「院政」にむけて「高く売る」政治を展開している。小沢が前原以外を推すなら、まともな候補は野田しかいまい。反小沢の急先鋒だったが、現在は世間体も気にせずに小沢の党員資格停止処分の解除を示唆し続けている。哀れさすら感じさせるが、小沢が野田を推せば、主流派は一挙に分断されることになり、前原優勢の状況は一変しかねない。
その前原を小沢が推すかどうかだが、小沢は裁判を控えて時の首相を敵に回したくないことだけは確かだ。裁判が最大の弱みなのだ。新事実が出れば当然国会での追及も始まる。野党と一緒になって証人喚問されてはたまらないのだろう。前原が「小沢史観のようなものからは脱却しなければならない」と、親小沢・脱小沢に拘泥しない体制を目指しているのは小沢に対するエールだろう。結局は人事での妥協が焦点となり得るのだろう。小沢サイドは、まさか「小沢幹事長」は要求しないだろうし、裁判でシロの判決が出ないと小沢自身の人事は無理だ。従って閣僚・党役員人事での小沢グループ起用が裏取引の焦点となろう。
いずれにせよ有資格議員398人の過半数200人を確保することは並大抵ではあるまい。はやくも誰も過半数をとれずに1位と2位の決選投票説が台頭している。その場合でも前原が1位か2位になることは確実だろう。2・3位連合で1位を覆すことも可能だ。
◎前原の「虚像」が永田町を徘徊している
◎前原の「虚像」が永田町を徘徊している
おぼれる者はイケメンにすがるというわけで、民主党主流派が嫌がる前外相・前原誠司をついに代表選に担ぎ出した。背景には言うまでもなく散々たる選挙区の情勢がある。確実に落選するとなれば、勝てそうな代表をわらをもつかむ思いで前面に立てて総選挙に臨むしかない。それを意識してか前原は、小沢一郎の党員資格停止処分撤回に異論を表明した。だからと言って、小沢がいきり立つかというとまだ微妙だ。小沢は前原を懐柔するか、激突するかのはざまで揺れている。
前原がなぜ固辞し続けたかといえば、それは自信がないからだ。外相時代に外国人献金問題で、粘りもせずにあっさりと辞任したのも、根底に自信喪失がある。偽メール事件で大失策をして代表を辞任して以来のトラウマがこの政治家にはつきまとう。しかし、民主党にとっては世論調査で、唯一人抜きん出ている前原に希望を託すしかない。読売の調査で誰が最もふさわしいと思うかを聞いたところ、前原が21%、共同も28.0%でいずれもトップだ。しかしリーダーを問う世論調査ほどいいかげんなものは無い。一般人に首相としての適格性を聞くことは、無意味に近い。人となりや政治家を判断するノウハウを知らないからだ。一見誠実そうでうそをつかないような容貌でこれほど得をしている政治家はいないのだ。世論調査などは、少女や婆さんに至るまでが、中身が空っぽのイケメン韓流スターにおぼれている人気の類いとそっくり同じだ。
自分のことは前原自身が一番よく知っている。今月半ばまでは「首相と閣僚では仕事の重さが違う。私には能力も覚悟もない」と言い切っていたのが証拠だ。それが財務相・野田佳彦の「大連立」と「A級戦犯擁護」のずっこけ発言で、この代表では自分の議席が危ないと多くの議員が思った結果、人気度の高い前原に期待をつなごうとしているのだ。全ては議員個人個人の選挙情勢が危機的状況にあることに端を発している。
しかし、前原で本当に大丈夫かというと、野党にとって追及材料が豊富すぎて、とても予算委員会が持たないのではないか。前原の政治手法は、華々しく打ち出して後は野となれ山となれ型であり、2代続いた愚昧(ぐまい)首相と本質的には変わらない。国交相の時は八ッ場ダムの工事をマニフェストに書いてあるという理由だけで中止宣言したが、あとはうやむや。外相時代は右傾化思想とイケメンが米国務相・クリントンに受けたのはいいが、尖閣事件で官房長官・仙谷由人とつるんで船長釈放に動いた。クリントンに「近く解決します」といち早く情報を伝えたのがその証拠だ。
状況がどう展開するかの掌握力に乏しいのだ。加えて、外国人献金問題、暴力団との関係、北朝鮮との緊密な関係、訪朝の際の同行女性との親密な関係など、国会で取り上げられ、中途半端になっている問題は、あまたある。これに全面的なスポットが当たる。野党も必死になって暴くだろう。首相の座とは政治家を素っ裸にする場所なのだ。間違いなくボロボロになることを知っているから、「能力も覚悟もない」であったのだ。
しかし、上っ面をみる国民世論は「前原政権」なら出だしは、はやすだろう。内閣支持率も50~70%くらいは獲得するが、上記の理由で急落する。唯一前原がなし得る状況突破策は、内閣支持率が急落する前に解散総選挙に打って出て、民主党の「大惨敗」を「敗北」程度にとどめることだろう。幸い野党も第3次補正予算案だけは、成立に協力せざるを得まい。その後臨時国会末か通常国会冒頭に運を天に任せて一か八かの解散勝負に出ることしかない。とても通常国会の半ばまでは支持率は持つまい。大新聞の中には自民党に勝たせたくない一心で、選挙向きの候補をはやし立てる傾向があるから、その分「前原コール」にバイアスがかかっていることを見逃してはなるまい。あおられて小沢グループの若手議員までが前原に傾斜し始めているのだ。
そこで問題は小沢がどう出るかだが、前原に対抗して推すべき候補が「号泣万里」「ずっこけ野田」「幽霊鹿野」では決められないのも無理はない。前原が小沢処分撤回を言わないのは、踏み絵を踏まずにけしからんと言いたいところだろうが、小沢にしてみても少しでも総選挙で大敗しない候補が必要なことは言うまでもない。おまけに10月には裁判が始まって、自らが国会や世論の袋叩きの目に遭うのが見えている。ここは「親小沢」「反小沢」の激突を出来れば避けたいのではないか。そこに前原との話し合いの余地が残る。候補乱立でどの候補も過半数に達せず、再投票で2,3位連合などの手段もあり、予断は全く出来ないのが実態だ。
◎これでは「小沢支配」のための代表選だ
◎これでは「小沢支配」のための代表選だ
まるで昔の吉原で、「格子女郎」の流し目を見ているような“おぞましさ”を感ずるのが民主党代表選挙だ。全候補が小沢一郎に「秋波」を送っているのだ。だいたい秋波とは楚々たる美女が送るもので、太った男やマッチョマンがやっては薄気味悪さが先に立つだけだ。それも相手は名だたる刑事被告人だ。これでは、やっと菅直人という北条氏が滅びたかと思ったら、民衆にとってもっと悪い足利氏が登場するようなものだ。もう誰が首相になっても「小沢院政」となる可能性が強く、口々に小沢の党員資格停止処分の撤回を言う候補らの“ふがいなさ”は極まった。
こうした空気を敏感に察してか小沢の一の子分の参院議員会長・輿石東は18日、小沢が起訴されたことなどとんと忘れて「推定無罪の原則から言って、裁判所の判断が出る前に処分すべきでない。新しい代表の下で、党員資格停止は凍結なり解除なりすることが望ましい」と宣った。起訴されて裁判が始まってもいない段階でのこの発言は増長も甚だしい。どの政党でも起訴されれば議員は辞職や離党するか、党からの処分を甘んじて受けるのが常である。輿石の主張とは逆に、判決の“推定有罪”を考慮してのことだ。李下に冠を正さずが政治道徳の基本だ。国民は、代表選候補らが刑事被告人に媚びを売って首相を目指す代表選挙を、古今東西で始めて目にすることになる。同じ刑事被告人でも田中角栄は少なくとも離党したうえでの影響力行使であった。
驚いたことに代表選候補らは、その李下に冠を正して、瓜田に履(くつ)をいれてしまった小沢への公然たる「擦り寄り」を始めたのだ。「号泣万里」こと経産相・海江田を始め、馬淵澄夫、小沢鋭仁などが次々に小沢を訪れ、ひれ伏した。さすがにひれ伏すのは、これまでの小沢批判からいって体裁が悪いとみたか、言葉で媚びを売るのが財務相・野田佳彦だ。「小沢先生は依然として政局の中心にいる。希有(けう)な存在であり、すごい力量のある方だ」と臆面もなくよく言った。党員資格停止処分についても、「自分が、仮にしかるべき立場になったら、今までの経緯を踏まえ、よく事情を聞いたうえで対応したい」とギリギリ最大限「処分の凍結か解除」に接近した。野田ですらこれだから海江田や泡沫の馬淵や小沢(鋭)に至っては、代表になれればすぐにでも解除するような発言を繰り返す。小沢グループ内に支持がある農水相・鹿野道彦も全く同様に小沢すり寄り路線だ。立候補がはっきりしない前原誠司も、去る5月に小沢と渡部恒三の合同誕生会の呼びかけ人となっており、最近では小沢の覚えめでたい感じとなっている。
要するに小沢は20年前の悪名高き自民党代表選以来の「小沢詣で」と同じことをやろうとしているのだ。91年当時49歳の若さで竹下派・経世会会長代行のナンバー2の地位にあった小沢は、会長・金丸信から総裁選に出馬するよう指示されたが、心臓病と年齢を理由に固辞。その首相にあえてならなかったことを背景に小沢は、候補者・宮沢喜一、渡辺美智雄、三塚博らを事務所に呼びつけ“面接”して「経世会支配」と「剛腕小沢」を印象づけたのだ。「生意気の極み」と故福田赳夫が漏らした言葉を覚えている。今の民主党内の状況は20年前のコピーと言ってもよい状況に立ち至った。その小沢戦略はどうかというと、“じらし戦術”に出るだろう。小沢は18日、「今、誰かを支持すると言っても、相手側を結束させるだけなので、決定は直前になるだろう」と漏らしている。この場面は態度を明確にせずに候補者をじらせばじらせばじらすほど、小沢の立場は強くなるのだ。小沢グループ120人に鳩山グループの30人を加えた勢力を“競り”にかけて“高値”がつくのを待つのだ。
それにつけても、この滔滔(とうとう)たる「小沢院政復活」に向けての動きを、ジャーナリズムは全国紙が戒めるどころかはやし続けているのはどうしたことか。20日付の朝日新聞にいたっては、2面トップに「代表選、主役は小沢氏」との見出しをでかでかととったのには驚いた。さすがに読売は22日付の記事で問題視し始めたが、社説で取り上げた全国紙はいまだに1紙もないのだ。菅が滅びて有り難がっていると、国の政治がまたまたとんでもない邪悪なものに取り憑かれることになりかねない。自民党政調会長の石破茂が20日「何で小沢氏の問題がチャラになるのか。このように『数』を頼むようなことがあってはならないとして、民主党が誕生したのではないか」と悲憤慷慨しているが、自民党にとっては、“敵失”ほどありがたいものは無い。民主党は誰が首相になっても小沢支配の下では、2年前の栄光を取り戻すことはあり得ない。一方で、小沢が前に出ればでるほど総選挙は自民党にプラスだ。ここは旗幟を鮮明にしていない前原あたりが立候補するなら土性骨を示すべき時だが、その度胸があるかどうか。
◎新政権には「脱原発」の選択肢はない
◎新政権には「脱原発」の選択肢はない
広島・長崎で性懲りもなく「パフォーマンス型脱原発」を首相・菅直人が唱え続けたのとは対照的に、「ポスト菅」の候補らはこれを継承するどころか、一斉に「脱・脱原発」を唱え始めた。代表選に「脱原発」を唱える候補はゼロだ。これが意味するところは、はからずも菅の「脱原発」発言が、エネルギー政策で「雨降って地固まる」の効果を生じさせたことを物語る。そもそも福島原発事故の粉じんも収まらない中、感情論で原発の是非を唱えるべきではない。新政権は誰が首相になっても脱原発でのエネルギー政策の急転換はない情勢となった。
菅は、浜岡原発停止の独断以来、原爆式典に至るまで強弱の差はあるが一貫して「パフォーマンス型脱原発」に徹した。しかし、当初は「脱原発」で解散可能と判断して、世論をあおったものの、政財界、世論の猛反発を受け最近では事実上「お題目」を唱えるだけとなっている。日本経済にとっての生命線であるエネルギー政策の壁を崩すことは出来なかったのだ。これとは逆に代表選候補らは一様に、ポピュリズムの極みである「菅型脱原発論」に異論を唱えている。財務相・野田佳彦は「電力不足が経済の足を引っ張ってはいけない。少なくとも30年までは既存の発電所を活用する」と20年間は現状維持だ。前外相・前原誠司も「菅さんの脱原発はポピュリズムに走りすぎだ」と本質を突く。経産相・海江田万里も「安定的な電力供給は経済を回復軌道に乗せるために不可欠。安全性が確認され次第原発を動かす」と再稼働の方針だ。その他の候補も皆「脱原発」への反対を表明している。あえて火中のクリを拾うものはいない。
まさに「脱・脱原発」の潮流だが、その理由はどこにあるのだろうか。まず第一に俗受けを狙った「外連味政治」が民主党政権自体不可能に陥ったことが挙げられる。2代続いた首相によるパフォーマンス政治は、いずれも支持率が10%台にまで落ち込んで、国民から嫌悪されていることが証明された。子ども手当廃止が象徴するマニフェストの破綻が物語るものは、国会対策上もポピュリズムでは政治が動かない現実を突きつけた。そして「菅型脱原発」も破綻に至ったのだ。「脱原発」は朝日の世論調査でも72%が支持しているが、菅発言を契機に全党がそれぞれに「将来の脱原発」を是認して、支持率の上昇にはつながらないことが証明された。支持率はかえって落ちているのだ。
加えて次期政権は当面災害対策の第3次補正予算を軸に自民党との良好な関係維持が不可欠な状態に立ち至っている。野党との関係改善は、代表選候補の必須条件と言ってもよい。その中で自民党とのあつれきの元である「脱原発」を唱えることは、自殺行為に等しいのだ。また支持労組の「脱原発忌避」も大きい。自民党の脱原発にブレーキをかけているのが電事連(電気事業連合会)の存在である一方、民主党の脱原発に歯止めをかけるのが電力総連(全国電力関連産業労働組合総連合)なのだ。電力総連はかつての民社党支持の同盟系労組に所属し、原発は労使一体型で推進だ。選挙を前にその支持を失うことはできまい。
こうして代表選では「脱原発」を唱える候補はいなくなったのだ。代表選でいなくなったということは、誰が首相になっても、選挙後の党役員・組閣人事で政府・与党首脳の多くが「脱原発」ではなくなることを意味する。つまり国民の感情論を狙った「パフォーマンス型脱原発」は、事実上消え去ることになるのだ。そもそも国の安全保障とエネルギー対策を政争の具に使うこと自体が邪道の“禁じ手”なのだ。国会では再生エネルギー買い取り法案が修正の上成立する。原発事故が収束するのを待って冷静に再生可能エネルギーの利用を原発、化石燃料とのベストマッチで推進すればよいことだ。折からの電力危機は紛れもなく菅のポピュリズムがなせる業であり、老人らの熱中症による死者数の急増など深刻な実害を生じさせている。新首相は早急にストレステストなどを進めた上で、休止中の原発の再稼働に向けて動かなければならない。毎日新聞論説委員の与良正男が、みのもんたの朝ズバで12日「代表選挙で脱原発の流れをストップさせてはならない。代表選まで雄叫びを上げ続ける」と宣った。よく「脱・脱原発」の動きに気付いたと褒めてあげたいが、いささか常軌を逸している。公党への内政干渉であるうえに、いかに一部のイデオロギーに根ざした「脱原発」が、民主党内の潮流に慌てふためいているかの左証でもある。「思い上がるな」と言いたい。
【筆者より】夏休みのため1週間休載します。「脱原稿」です。22日に再開します。
◎ポスト菅は野田を軸に展開
◎ポスト菅は野田を軸に展開
またまた懲りない男の登場だ。何と議員148人も集めて元代表・小沢一郎が講演だ。言うまでもなくポスト菅をにらんでの党内けん制に出た。「おれの意向を無視しては決まらないぞ」というわけだが、無視できないところに民主党の抱える業(ごう)がある。月末28日と予想される代表選に向けて誰が先頭を切っているかというと、紛れもなく財務相・野田佳彦であろう。他に手を挙げている候補はまだ雑魚しかいないが、農水相・鹿野道彦らも近く立候補するだろう。今後半月の間に例え有力候補が現れても、先行した野田を軸に展開するものとみられる。最大のテーマが増税となるだろう。
その増税への対応で、この国を担える人物かどうかの判断が可能となる。小沢が増税に反対しているからと言って、こびを売ってすり寄ってまで政権を手に入れるとすれば、紛れもなく破綻したマニフェストと同じ因果関係が生じてしまう。政府の復興基本方針における復興事業の総額は23兆円。最初の5年間に19兆円を投入することになる。このうち赤字国債でまかなう復興債は10兆円を超える。この財源を増税以外でまかなうことは不可能であり、可能と主張するならば根拠を示す必要がある。しかし根拠は出てこない。無理にこじつければ、16・8兆円の財源が節約で出てくるとうそをつきまくって、破綻したマニフェストと全く同じことになるのだ。
こうした中で野田は10日発売の文藝春秋で税と社会保障の一体改革の実現に向けた覚悟を訴えている。野田は「大震災を理由に、財政健全化への取り組みを先延ばしにすることはできない。財政再建は未来への責任だ」と強調するとともに「覚悟を持ってこの一体改革を実現したい」と公約している。ただ後述するが、なぜか「消費税」と言う文言は使っていない。一方で代表選への立候補が取り沙汰される前外相・前原誠司や経産相・海江田万里は、消費増税路線とは一線を画している。前原は「日本がかかっているデフレという病気を脱却し、安定した経済成長に移るまでは増税すべきではない」と主張している。馬淵澄夫、小沢鋭仁も同様だ。
あきらかに120人を擁する小沢グループを意識しており、ここにも「小沢か、脱小沢か」の旧態依然たる力学が作用している。しかし未来永劫増税なしで対応できると見る国会議員は共産党以外にはいまい。煎じ詰めれば時間軸をどうとらえるかの問題なのだ。「今は反対」(馬淵)と言っているのであり、「10年代半ば」の実施時期を言う野田とどう違うのかと言えば、反対派はひたすら小沢にこびを売るための発言としか思えない。一方で政権運営の鍵を握る野党との関係では、自民党総裁・谷垣禎一が「野田さんの言動を見ると、思いつきをポンポン打ち上げる人ではない。ああいうキャラクターにはもう少し頑張ってもらう必要がある」とエールを送っていることがプラスであろう。
こうした中で小沢の真意はどこにあるのかを探ると、去る6月半ばに小沢は既に、野田に対して極秘裏に「代表選で消費税増税路線を凍結せよ」という“条件”を伝えているのだ。そういう背景をもとに野田の論文を見れば、「消費税」の文言がない意味が分かる。また政府・与党の社会保障改革検討本部が6月30日決定した「消費増税10%」の方針も「10年代半ば」とぼかしている。こういう時期には野田が政治家なら文春論文を小沢に先に見せて懐柔を図るものだが、その辺は霧の中だ。小沢は鳩山由起夫と「経済情勢が悪化する中、増税は支持を得られない」として、「ポスト菅」候補は増税慎重派が望ましいとの認識で一致したが、棒を飲んだような表現を避けている。10日も2009年衆院選マニフェストについて「個別の政策は大事だが、国民が本当に期待した原点は何なのか。お互いに心に問いかけないといけない」と、見直しを容認する発言をしている。
小沢は、まだ「増税の野田は駄目」と旗幟(きし)鮮明にしていないのだ。というのも、小沢にとって担ぐべき候補が見当たらないのが実情だろう。野田も「誰かから脱するとか、誰かを除くとかいう話は不毛だ。一番超えなくてはならないのは怨念の政治だ」として、明らかに小沢との融和路線を目指している。裁判を抱える小沢にとって敵対政権ほどまずいものは無い。敵対しなければよいのだ。号泣の海江田万里や存在感が希薄な鹿野道彦、基本的に泡沫の樽床伸二、馬淵、小沢鋭仁を支持するにはためらいがあろう。前原を押すとなれば一挙に野田は予断を許さなくなる。しかし野田以上に「反小沢」の言動を繰り返した前原である。いくら「増税に反対」と言っても推すだろうか。小沢は「菅以外なら誰でもいい」とも漏らしており、まだ白紙で様子見なのだろう。
◎逃げ場なし、菅事実上月内退陣を表明
◎逃げ場なし、菅事実上月内退陣を表明
まるで歌舞伎で問答や口論の末に、「さあ、さあさあさあさあ」と双方が調子を高めていく極めつけ場面だ。悪代官が追い詰められて、「うぐっ!辞めたぁ~~~」と苦悶の声を振り絞る。観客は割れんばかりの拍手だ。そういう状況になるかというと、なるのだ。ここまで追い詰められれば首相・菅直人に逃げ場はない。与野党合意で外堀も内堀も埋まった。ようやく退陣にめどが付き、月内にもポスト菅が決まる方向と見る。
野党からはこけにされ、菅からは「退陣せず」をほのめかされ続け、板挟みのストレスが募る一方であったのだろう。幹事長・岡田克也が「辞めると思うという認識に変わりはないか」と記者から問われ「思うでなくて、お辞めになります」と言い捨てた。むかつきが頂点に来て吐き出させた言葉だ。「辞めなきゃあ、ただおかねえ」という感情が込められているし、それなりの確証も菅から得てのことだろう。一方菅は、記者団から「3つの条件が整ったら退陣するという意向に変わりはないか」と聞かれたのに対し、「これまで自分が言ったことについては、ちゃんと責任を持ちます」と答えた。この時点におけるこの返答は誰が考えても、赤字国債発行法案と再生エネルギー特措法案が成立すれば月内に退陣する意向を表明したことになる。
しかし信用度ゼロの人の場合は、念には念を押さなければならない。2法案の成立が確定的となったのに辞めないことがあり得るかどうかだ。最後の最後まで卑しげにポストに執着してきた菅でもそれだけは無理だ。「辞めなければ辞めさせられるから辞めざるを得ない」という単純な方程式に達するからだ。なぜなら、国会が与野党一致で時の首相を辞めさせるための一点に絞って、法案の成立を図る。こんなことが一体過去にあったであろうか。会期の延長も煎じ詰めれば菅を辞めさせるためだ。憲政史上はじめて首相を辞めさせるために通常国会を延長して、法案を成立させるという事態なのだ。9日の赤字公債発行法案成立の与野党合意は、ただひたすら菅を辞めさせたいという思いが実態として存在するから出来得たことなのだ。
これを菅が裏切ったらどうなるかだが、辞めなければ国会の怒りが爆発する。怒りと嫌悪と憎悪が「不信任案の再提出」の一点に凝縮して噴出する形となるのだ。床にガソリンがまかれてマッチ一本で燃え上がる状態になる。小沢一郎が、民主党から不信任案を再提出する構えなのは、辞めなければ政界全体の堪忍袋の緒が切れることを予測してのことだ。そしてその不信任案は確実に成立する。成立した場合解散できるかというと、有能な刺客を立てれば菅自身が落選しかねない選挙分析があるような事態ではとてもできまい。破れかぶれの発狂解散まではいくら菅でもできまい。菅にとっての選択肢は野垂れ死に型の総辞職しかなくなるのだ。いくら権力欲の妄念に取り憑かれた首相でもそこは気付くだろう。解散権は新首相の手に委ねられる方向となった。
もはや菅が解散するなどと言うのは、みのもんたとそのコメンテーター程度の判断レベルに限られる。こうして菅は完全に退路を断たれた形だ。残る退陣2条件が成立すれば、退陣せざるを得ない情勢に立ち至ったと言える。自民党もこれ以上予算関連法案を人質にとってごね続ければ、世論の批判が自分に跳ね返るという危機感を抱くに至ったのだ。ここまで追い込んだ以上、野党も一刻も早く菅を退陣させて、邪悪なる存在を政権から取り除くべきだ。2法案の早期成立に協力すべき時だ。民主党は28日にも代表選挙をしたいとしている。それに間に合わせるべきだ。月末の首班指名を可能とすべきだろう。
◎自民党は人質法案を解放すべき時だ
◎自民党は人質法案を解放すべき時だ
このままなら自民党は赤字国債発行のための特例公債法案をめぐって孤立する流れとなる。米国債格下げで世界経済の先行きに暗雲が垂れ込める中で、自民党だけが能天気にも同法案を人質にとって日本経済の展望が開けないまま放置してよいのかという事態に立ち至っているのだ。同党の狙いの背景には、不人気な首相・菅直人のもとで解散・総選挙を目指したい党利党略があるが、責任政党としてのあるべき姿は“敵失”でなく、堂々と横綱相撲をとるべき時だ。早々に人質法案を解放して、菅退陣への展望を開け。
確かに菅が退陣条件の特例公債法案と再生可能可能エネルギー買い取り法案を成立させれば、本当に退陣するかどうかを予断することは難しい。この国の政治は憲政史上もっとも卑劣な首相に遭遇しており、経験則で判断出来ない状態だからだ。8日も国連事務総長のパン・ギムンに国連会合への出席を明言しなかったが、菅は法案成立の微妙な情勢を意識しているだけで、法案が通ってしまえば「出る」と言い出しかねないのである。しかし筆者は、それでも残る2法案を通して、政治の有り様(よう)を試してみるべきではないかと思う。ここまで来ると、ことは正義か邪悪かと言う根源的政治判断が問われる段階に達しており、退陣しなければ与野党の「正義」が決起して、内閣不信任案が確実に成立する情勢となり得るのだ。
こうした情勢の中で公明党は子供手当廃止の合意を受けて、赤字公債法案に賛成する方向に事実上かじを切った。ところが自民党は成立をやむなしとする副総裁・大島理森、幹事長・石原伸晃に対して国対委員長・逢沢一郎や派閥領袖、参院自民党幹部が強硬論であり、割れている。リーダーシップを発揮すべき総裁・谷垣禎一は相変わらずの優柔不断さだ。自民党内で強硬論があるのは一にかかって、政権奪還のチャンスと見るからであろう。同党が最近極秘裏に実施した300選挙区の情勢調査では、今選挙をやれば「自公圧勝」という結果が出たという。朝日新聞の調査でも比例区での投票先は民主党15%に対して、自民党28%だ。浮動票が多いが民主党には行かない流れであろう。自民単独過半数も夢ではない。
強硬論の参院自民党政審会長・山本一太は「本来は、解散総選挙をやるべきだと私は思っている。選挙をやらない限り、政治をリセットすることが出来ない」と述べて、あくまで菅を解散・総選挙に追い込みたい構えだ。たしかに政党の戦略としては、解散・総選挙を狙うのはもっともである。しかし、大状況はいま解散・総選挙が出来る状況にはない。あえぐ被災地を放置できるのかという問題に加えて、米国債格下げで世界経済の先行きが予断できない情勢となった。日本だけが2か月の政治空白を作っていられるときではないのだ。
ここは自民党が絶好のチャンスでも敢えて見送るべきであろう。誰が見ても卑劣な首相を追い込んで選挙に勝っても空しいだけだ。
敵失で勝った民主党政権の体たらくを見れば分かる。因果応報なのだ。自民党が横綱相撲をとるなら、堂々と民主党の新首相の下での早期解散を目指すべきだろう。重要なことは2代続いた「失政首相」は民主党政権の構造的欠陥を図らずも露呈しており、新首相になっても基本は変わらないだろう。それは根付いたパフォーマンス政治であり、政治主導という官僚無視であり、経験不足に根ざした首相自身の当事者能力欠如であるのだ。従って、政権発足当初は内閣支持率が一時的に上昇するだろうが、すぐに落ち始める。また政党支持率は大きな動きを見せないだろう。
つまり自民党にとってチャンスはまだあるのだ。ここは桶狭間の急襲を狙うより、堂々と関ヶ原の合戦を目指すべきだろう。それには災害地対策の3次補正を早期に成立を図り、被災地に希望と夢を与えるのがまず政党としての王道であろう。その上で臨時国会末か、通常国会での解散・総選挙に持ち込むのだ。マニフェスト問題は一丁目一番地である子供手当を廃止に持ち込んだだけでもうよい。マニフェストはもう破綻したのだ。これ以上こだわり続けても世論の共感は得られない。矛先はマニフェスト至上主義政党から転じて党利党略至上主義の自らに向かうと心得るべきだ。
◎NHKは「原発」を「反核」と同化させるな
◎NHKは「原発」を「反核」と同化させるな
かねてからNHKの原発報道の中立性に疑問があると指摘してきたが、6日の原爆忌における報道は、各メディアのなかでも特異なほど「核廃絶」と「原発事故」の“連動”一色に貫かれていた。神聖な祈りの場における首相・菅直人の「脱原発」への言及は、野党や識者から一斉に非難の声が上がったが、NHKは批判するどころか、確信犯的に「原爆」と「原発」を重ねる論調を貫いた。これは反核運動を原発事故で盛り上げようとする党派性の強い動きに酷似しており、厳正なる中立性が要求される公共放送の規範に明らかなる逸脱している。政府の指導はもちろんのこと、国会で取り上げるべき問題だろう。
先に指摘したようにNHKの原発報道は最近「脱原発」一色に塗り固められてきており、自治労・全道庁労連のホームページでも「NHKは報道の姿勢を明らかに脱原発へシフトした」と大歓迎されている。原爆忌の報道がNHKの中立逸脱の証になると注目していたが、案の定「原爆」と「原発」の“同化”一色であった。まず前日5日の解説番組「ここに注目!」で「あす 広島原爆の日」と題して解説委員・渥美哲が「菅総理大臣があすの平和記念式典で、エネルギー政策を白紙から見直し、原発に依存しない社会をめざす考えを表明することについて、こうしたことを求めてきた被爆者団体などは、その実現を望んでいます」と、菅の発言以前から歓迎するといった調子だ。
6日夜のニュース7では原爆忌報道の全てを福島の原発事故に結びつけた。菅の「原発白紙からの見直し」発言を何の批判もなく取り上げたばかりか、市民のコメントも原発事故に関連するものだけを取り上げた。客観性を意図してか、海外メディアの記者にまで原爆と福島事故の関連をコメントさせた。アナウンサーのコメントも「核兵器廃絶を訴え続けてきた被爆者たちの思いは、今原子力利用の在り方にも向けられています」と結んだ。10分以上にわたる原爆忌報道の中で、菅の場違いの脱原発発言への批判や、原発維持を当面是認せざるを得ないという市民からの声は一切報じられなかった。つまり一方通行の報道に徹したのだ。
これは民放番組が少なくとも“両論併記型”であったのとは対照的であった。それどころか日テレは朝の番組ウエークで原爆忌を取材した結果「原爆と原発を同じ土台で話すのは違和感を覚えるという人の方が多かった」と報じているのだ。菅の発言についても評論家・寺島実郎に「この方がどこまで国のエネルギー政策に責任を持てる立場なのかは微妙だ」とこき下ろさせている。一方、読売新聞は7日付の社説で菅の発言を、「『脱原発』にふさわしい場か」と題して、「世界の注目する記念式典で持ち出したのは、原爆と原発事故を重ねることで自らの主張をより効果的にアピールしたかったのだろう。鎮魂のセレモニーのいわば“政治利用”ではないか」と断じている。産経もやはり「反核に利用される脱原発」と題する社説で「日本の将来のエネルギー政策が党派制の強い反核運動に左右されてはならない」と警告している。
これと対照的にNHKのニュース7は、菅発言を批判した野党の反応まで報じなかった。その意味でも公正を欠く“偏り”が顕著だ。自民党総裁の谷垣禎一は「難しい事柄はトップリーダーの確固たる決意がなければ進まない。やはり今の首相には限界がある」と述べ、原爆記念日を「脱原発」に利用しようとする首相をけん制した。公明党代表の山口那津男も「遠い将来の政策を縛るようなことを、退陣表明した首相が口にするのはやや無責任だ。説得力に乏しい」と批判しているのだ。
要するにNHKの報道姿勢は、一方的な「反核と原発事故の融合」で統一されているのだ。世界的な経済情勢が景気後退の危機に瀕している今、日本が「脱原発」一辺倒で生き残れるかの視点に全く欠ける報道だ。少なくともこの10年、20年は原子力と化石燃料、自然エネルギーのベストミックスだけが日本の生き残る道なのだ。また原子力の平和利用の分野で、日本が国際的に果たすべき役割は大きい。余り知られていないが世界の原子炉圧力容器の8割が日本製鋼所で製造されている。それほど日本製原子炉への信頼度は高いのだ。圧力容器はまさに心臓部分であり、日本の技術抜きでは世界の原発は成り立たないといってもよい。核廃絶の感情論で原発事故を論議することのみにスポットを当てたNHKの報道は、国民を心理的に誤誘導するものにほかならない。受信料で成り立っていることも全くわきまえていない。政府・国会は事情聴取し是正させるべきであろう。
◎半年に1度の俳句自慢
毎日俳壇西村和子選2席
毛糸編む話しかけてはならぬ貌
選者評=編み目を数えている顔つきか。はた目にもその呼吸を読み取って、おかしみの漂う句になった。
産経俳壇寺井谷子選一席
明眸の負けん気で出すカーリング
選者評=「カーリング」は氷上のチェスと呼ばれる。この競技の終盤、ストーンを滑らせる時の静かに漲る緊張。大きな瞳が迫ってくるようである。
每日俳壇西村和子選一席
春灯娘の部屋に娘たち
選者評=娘さんのへやに娘たちが集まり、笑い声が絶えない。春の宵のはなやかなひととき。季語の春灯が響く。
毎日俳壇大峯あきら選一席
房総の卯波とどろき月上る
選者評=房総半島に卯波がとどろき、太平洋から月が昇ろうとしている。勇壮な景である。蕪村をも彷彿とさせる。
産経俳壇寺井谷子選一席
今朝の夏娘の胎児「つつんと蹴る」
選者評=「つつんと蹴る」は娘さんの言葉。男親にとっては分からぬ感覚ながら、胎児=孫の元気さを伝える言葉に頬が緩む。明るく希望に満ちた「今朝の夏」。
入選俳句一覧
1参詣俳壇寺井谷子選
2人ゐて寒夕焼の温みかな
2日経俳壇黒田杏子選
白息を吾に届けに子の走る
3毎日俳壇西村和子選2席
毛糸編む話しかけてはならぬ貌
選者評=編み目を数えている顔つきか。はた目にもその呼吸を読み取って、おかしみの漂う句になった。
4毎日俳壇西村和子選
相槌を打ちゐるだけや懐手
5産経俳壇寺井谷子選
閑かなることも二人の年忘れ
6東京俳壇鍵和田柚子選
事件記者晩年日向ぼこりかな
7産経俳壇寺井谷子選
何かしていたき母なり毛糸編む
8産経俳壇寺井谷子選
成人の帯のきつさに疲れをり
9每日俳壇堀口星眠選
日脚伸ぶ仮眠の口の中にまで
10産経俳壇寺井谷子選
うらうらと薄紅梅のほとりかな
11産経俳壇寺井谷子選一席
明眸の負けん気で出すカーリング
選者評=「カーリング」は氷上のチェスと呼ばれる。この競技の終盤、ストーンを滑らせる時の静かに漲る緊張。大きな瞳が迫ってくるようである。
12産経俳壇寺井谷子選
陽炎る猫載せ船の出でにけり
13NHK俳壇西村和子選
受験子に在校生のまぶしけれ
14東京俳壇小澤實選
春は曙猫のいびきと息が合ふ
15東京俳壇小澤實選
一湾の雨意強まりて春惜しむ
16東京俳壇鍵和田柚子
遙かなる桜吹雪に急ぐかな
17NHK俳壇西村和子選
大粒の涙と食べる桜餅
18産経俳壇宮坂静生選
明易し貰ひし猫の名は忘れ
19東京俳壇小澤實選
玄関を開ければこぼれ花ミモザ
20每日俳壇西村和子選一席
春灯娘の部屋に娘たち
選者評=娘さんのへやに娘たちが集まり、笑い声が絶えない。春の宵のはなやかなひととき。季語の春灯が響く。
21産経俳壇宮坂静生選
茎立や一月見ねば背の伸びる
22産経俳壇寺井谷子選
猫の子の遊びせんとや寄り来たる
23毎日俳壇西村和子選
生れてまだ五日目なるぞ柏餅
24東京俳壇鍵和田柚子選
峠よりスカイツリーが土筆ほど
25産経俳壇寺井谷子選
先生の顔見て逃げし軒燕
26東京俳壇小澤實選
羽抜鳥得体の知れぬもの銜え
27産経俳壇寺井谷子選
来生は妻に報いる杜若
28日経俳壇茨木和生選
暑き夜はリルケを読みて生くるかな
29産経俳壇寺井谷子選
小手毬や熊野謡ふ声路地にあり
30読売俳壇小澤實選
担ぎ終へ父の背に濃き汗ありし
31東京俳壇小澤實選
甚平やよくぞ胴長人種たる
32NHK俳壇大石悦子選
妻吹けば草笛妻の音がして
33産経俳壇寺井谷子選
夕顔や水底のごと老ゆるかな
34毎日俳壇大峯あきら選一席
房総の卯波とどろき月上る
選者評=房総半島に卯波がとどろき、太平洋から月が昇ろうとしている。勇壮な景である。蕪村を彷彿とさせる。
35毎日俳壇西村和子選
眼鏡拭く夏嶺の空に透かしつつ
36日経俳壇茨木和生選
浜木綿の花盛りなる海女の墓
37毎日俳壇堀口星眠選
更衣背丈五分ほど縮みたる
38産経俳壇寺井谷子選一席
今朝の夏娘の胎児「つつんと蹴る」
選者評=「つつんと蹴る」は娘さんの言葉。男親にとっては分からぬ感覚ながら、胎児=孫の元気さを伝える言葉に頬が緩む。明るく希望に満ちた「今朝の夏」。
39産経俳壇寺井谷子選
蒙古斑狙ひて撃ちし水鉄砲
40東京俳壇小澤實選
乙女らのゐさらひ弾み飛び込みぬ
41産経俳壇寺井谷子選
桑の実を涙の数だけ食べるかな
42毎日新聞大峯あきら選
帰省子の峠越えれば母の待つ
◎経産首脳人事で政権の“学級崩壊”極まる:舞台裏解剖
◎経産首脳人事で政権の“学級崩壊”極まる:舞台裏解剖
一省庁の人事で断末魔の政権が浮揚・延命できるはずがないことが分からない首相・菅直人。自分の部下を切ることを、代表選挙への切り札に使おうとした経産相・海江田万里。この国政の大局を忘れた「政権亡者」二人の戦いが、経産相次官らの人事をめぐるバトルの核心だ。とりわけ、政治主導どころか官僚をリードできず、逆に“敵”に回してしまった首相の政権担当能力欠如は、図らずも白日の下に露呈されてしまったことになる。ここまでくると民主党政権の“学級崩壊”は極まったというしかない。
「人心一新は1か月前から考えていた」という海江田は、4日付の朝日新聞のスクープ報道「経産省3首脳更迭へ、首相意向」という記事を見て飛び上がって、激怒した。明らかに官邸側からのリークと分かる記事であり、それも首相自身か側近からのリークであろう。海江田は朝駆けの記者らに怒りの感情を隠さなかった。「菅さんは自分が人事を決めるような情報操作をしている」と菅によるリークを怒っただけではおさまらず「余りにひどい腹に据えかねる」「姑息であり卑怯だ」と憤まんをぶちまけた。その上で急きょ会見して発表してしまうことを思いついたのだ。
なぜこれほどまでに怒ったかというと、経産省人事は既に海江田が菅の玄海原発再稼働への横やりで辞任の意向を漏らした7月上旬の時点で動き始めていたのだ。事務次官・松永和夫以下3首脳が「大臣が辞めるのなら我々も辞めます」と辞任を伝えていたからだ。これを受けて海江田は後任人事構想を練った。もちろん基本は「更迭」でなく「通常人事」の方向だ。次官らはもういつ辞めてもいい任期を勤めており、海江田はこの人事を成し遂げたことを花道に自らも辞任して、「悪名高き経産省の人事を遂行」と、喝采を浴びつつ代表選へという筋書きを描いていたのだ。
一方、菅はこの「宿敵」経産省の動きを察知して、7月下旬から首相主導による「経産省切り」へと動いた。改革派の抜擢人事で同省を牛耳るというのが基本だった。経産省出身の東大教授・奥村裕一や、発送電分離論の元事務次官・村田成二、その他の民間人らの事務次官起用などを検討していたといわれる。今度はこの官邸の動きを逆探知した経産省側に、にわかに緊張感が走った。これを受けて海江田が機先を制するために2日、菅を訪れて人事の大枠を伝えて、一応菅の了承を取り付けて押さえ込みにかかったのだ。しかし、海江田は判断を間違った。過去数度にわたって菅に煮え湯を飲まされていることを、愚かにも忘れていたのだ。経産相抜きの1000万戸に太陽パネル構想発表を皮切りに、浜岡原発停止の横取り発表、玄海原発再稼働阻止など全て海江田無視で行われた。
海江田の報告を受けた菅は「しめた」とばかりに対策を練ったが、今回ばかりは自ら発表するわけにはいかない。そこで朝日にリークする手法を選んだのだ。朝日は喜んでトップで報じたが、見出しに「首相意向」とやっては、ネタ元がばれる。そして海江田の激怒に直結したわけだ。ただでさえ辞める時機を逸したと嘲笑の対象になっていた海江田にしてみれば、人事があるから辞めるに辞められなかったのだと世間を納得させるチャンスであった。同情を買おうとしていたのであろうが、まさに名うてのすり「ちゃっきり金太」に大事なネタをすられた形だ。
海江田は新次官らに辞令を12日に交付したうえで辞任することになろうが、号泣したり、すられたりで、首相候補としての資質を疑われる事態となった。同じ鳩山グループの国土交通相・大畠章宏とともに辞任するのではないかという見方が強まっているが、そうなればまあそれなりのインパクトとなろう。まさに末期症状の醜悪なるドタバタ劇だが、みんなの党代表・渡辺喜美が「官邸と海江田氏でどっちが更迭したか手柄争いをやっている」と述べているとおりの愚劣さだ。菅にはそれくらいしか政権浮揚策が見当たらないのだ。大震災で喘ぐ国民は全く不在だ。
◎新党視野に小沢が動き始めた
◎新党視野に小沢が動き始めた
蛇の道は蛇というが、そのへびでも理解出来ないのが首相・菅直人の居座りだろう。小沢一郎が「すごい神経だ。まともな神経ならとうに辞めている。逆に感心してしまう」とあきれている。筆者は先に、大震災と不信任否決の“奇跡”が菅にあらぬ自信をつけてしまったと看破したが、案の定菅は「絶体絶命だと思っていても動いていれば、こっちに道が出来る。また動いていればこっちに道が出来る」とうそぶいているようだ。そこには唯我独尊のおごりしかなく、そこいらの有象無象では閉塞状況を打開できない。「くさびを以てくさびを抜き、毒を以て毒を制する」にはスーパーマンが必要なのだ。
そのスーパーマン小沢が、不信任案否決の“脳しんとう”から2か月目にしてようやく覚めつつあるようだ。側近によると今度は野党でなく民主党が不信任案を再上程して菅退陣に結びつけるのだという。小沢は7月26日夜から3夜連続で、自らに近い衆院当選1回生でつくる「北辰会」メンバーと懇談、今後の戦略をほのめかしている。小沢は菅の退陣問題について「当面は見守る」としながらも「民主党議員一人一人が決断しなければならないときが必ずくる。お盆がひとつの大きなターニングポイントになる」と述べている。これはお盆明けに最終戦争に臨む意思表示であろう。そして「辞めるなら結構だが、辞めないならば民主党議員が意を決する時が来る」と勝負に出る意気込みを示した。
それではどのような動きを小沢が考えているかだが、やはり最終決着は不信任案の再上程しかないと思っているようである。小沢は、7月28日の記者会見で「不信任案は提出者と理由が違えば一事不再議に反するものではない。首相が辞めないのならば民主党議員全員が深刻に考え、決断すべきだ」と述べている。これは自民党政調会長・石破茂の構想と全く一致する。要するに「鳩」が出て失敗した6月2日の「不信任の変」以前に主張していたことを、再び繰り返し始めたのだ。
しかし、幹事長・岡田克也以下民主党執行部は、「菅降ろし」というポイントを外して、あらぬ方向にばかり専念しているように見える。その上国対委員長・安住淳にいたっては小沢の不信任案再上程論に対して「私が国対委員長でいる限り、いかなることがあっても、慣例通り1国会で不信任案が2度議題に上ることはない。衆院議院運営委員会ではねつける」と言い切っている始末だ。主敵を前にして、法的根拠のない筋論を述べるようでは、菅の居座りに対処できるわけがない。まさにぐずぐず政党のぐず執行部であり、ライオンの動きをネズミが批判するようなものだ。
小沢は不信任案再上程という「毒」を以て、菅という「毒」を制する動きをしようとしているのだ。小沢が「民主党議員が意を決する時が来る」と述べているのは、ぐず執行部が乗らない可能性があることをを織り込んでのことだ。6月2日のケースと同様に新党結成も視野に入れての不信任案再上程なのである。小沢の知恵袋である元参院議員・平野貞夫がテレビで「想定外の事が起きる可能性がある」と漏らしているのだ。筆者も小沢の側近から「執行部が言うことを聞かなければ独自行動を取る」と聞いている。
自民党との接触も活発化している。鳩山由紀夫と自民党の石原伸晃、伊吹文明現元幹事長との会談もあやしい。「不信任案」が話し合われないはずはない。22日から始まるお盆明けの会期末は、菅が退陣しない限り「不信任成立→解散」「不信任成立→総辞職」が焦点になりそうな気配だ。4日付朝日によるとまたまた菅は“禁じ手”を使おうとしている。宿敵とみなす経産省の事務次官以下を更迭しようとしているというのだ。しかし、政府の最重要人事を退陣間際の首相が辞任間際の経産相・海江田万里を使ってやることではない。しかも感情論に根ざした露骨な報復人事だ。海江田が言われるままというのも相変わらずおかしい。原発事故に関しては菅の対応が全ての混乱の根源であり、責任を取るのはまず自分であることを忘れている。本末転倒とはまさにこのことだ。菅は捨てておくと何をしでかすか分からない異常心理の段階に入ってきた。
◎小沢による「不信任戦略」が決め手:菅降ろしシミュレーション
◎小沢による「不信任戦略」が決め手:菅降ろしシミュレーション
「号泣万里」も今日辞任すればたいしたものだが、どうも涙で導火線が湿ってぷすぷす音を立てていて定かでない。「8月政局」のきっかけがなかなか出てこないのだ。「海江田辞任」がなければどうも最終決着は月遅れの盆前には難しく、盆明けの下旬にまで持ち越しそうな雲行きだ。調子に乗って首相・菅直人がまたまた「9月も続投」にまで言及する始末だ。最大の原因は、矛先を直接菅に向けたアクションが伴わないところにあるが、永田町ではしびれを切らした民主党元代表・小沢一郎が民主党による内閣不信任案上程に踏み切るとの見方が急速に台頭してきた。
「あなたが泣いたら別れるわよ」と夫人・伸子に言われて菅は鼻の下を伸ばしている。伸子は「妖婦」ではないし「毒婦」ではかわいそう。亭主「奸」に悪知恵を授ける意味で「平成の奸婦」くらいであろうか。おそらく菅の延命の最大の支えとなっている。菅は経産相・海江田万里が手のひらに「忍」の一字を書いていることについて「俺だってこらえている。執務室には忍の文字が飾ってある」だそうだ。「忍」の文字は居座りを極め込む菅に対して国民の方が抱いている感情であることに思いが及ばない。やはり、近来まれに見る「独善首相」であろう。その菅の泣く顔を伸子に見せて「別れさせる」にはどうすればいかのシュミレーションをする。
【ドミノ辞任】 「犬の遠吠え政局」の原因は、これまで「政局マン」小沢一郎が登場しなかったことだろう。鳩山由紀夫のおかげで不信任案否決を食らって、“脳しんとう”を起こしたかのように動きを見せなかった。小沢は明らかに海江田の辞任に期待していたフシがあり、その海江田が煮え切らないのできっかけがつかめなかったのだ。海江田は先に原子力損害賠償支援法案の成立を辞任の条件に挙げたが、3日に成立する。冒頭述べたようにこれで辞任すればたいしたものだ。というのもお盆前の政局を動かすには海江田辞任をきっかけにした政府・与党の「辞任ドミノ」しか手はないのだ。やはり海江田の所掌する再生可能エネルギー特別措置法案の成立を待っていたらいつのことか分からない。自民党の硬化で8月上旬の成立が困難な情勢になってきており、お盆明けになりそうな気配もある。通常なら政界は14日からの週はお盆休み入りする。議員が地元対策で帰省するからだ。これを前提にした場合はお盆前のドミノ辞任で勝負に出るのが最善の策だ。
【小沢による不信任案再提出】ドミノ辞任が実現しないと、「菅降ろし」の焦点がお盆明け22日から月末までに集中してしまう。22日から月末までで再生エネ法案や赤字国債発行法案を一挙に処理できるだろうか。どうも自民党は処理しないまま最後に内閣不信任案を再提出して可決し、解散・総選挙か退陣に追い込みたい思惑があるように見えてならない。しかしやはり問題は小沢だ。1度消えてしまった不信任案可決の火を再びかき起こすのは並大抵なことではないが、小沢のことだからやりかねない。やれば決め手になり得る。永田町では今度は野党の信用を得るために、小沢は民主党が不信任案を提出する戦略を練り始めているという話しが出始めているのだ。産経がトップで報ずるところにによると、小沢は会期末までに①自ら執行部に不信任提出を促す②執行部が応じなければ新会派を結成して提出する、ことにより会期内決着を目指すという。自民党が、その小沢の動きが出るのを期待していることは間違いない。
【代表選先行】しかしもう一つの「菅降ろし」が実現すれば別だ。代表選先行の動きだ。民主党執行部がひそかに練っているのは代表選挙を20日か27日に設定してしまい、そこに向けての動きを加速させる策略だ。そうなれば「お盆返上政局」とならざるを得まい。既成事実が積み重なって、次期代表が決まってしまっては残る2法案が通ろうと通るまいと菅は退陣に追い込まれる。代表は辞任しても総理の座にはすがりつくことは可能であるが、党内の支持を完全に失って、そのときこそ不信任案の成立が確実となるのだ。
【3法成立】さらに参院自民党が問責決議の可決で追い込めないかを模索しているが、法的効果のない問責決議など参院政策審議会長・山本一太が言うように月末に出して可決しても無視されれば終わりだ。出すならお盆前に勝負に出て可決するくらいの意気込みがなければ無理だ。自民党は無理な解散戦略にこだわらず、赤字国債発行法案の早期成立を急ぐべきだ。3法すべてがそろって、菅が政権にとどまるのは無理がある。上記のシミュレーションを基本に、食うか食われるかのバトルとなることは確かだろう。
◎菅は「広島・長崎」を政治利用で冒涜するな
◎菅は「広島・長崎」を政治利用で冒涜するな
大震災も原発事故もあらゆる事象を延命のための政治利用として活用する首相・菅直人が今度は広島・長崎の平和式典に出席して「脱原発」を訴えようとしている。既に原水禁など市民運動はその闘争の主題として「核廃絶」と同一線上に「反原発」を加え、国民の感情論を利用して運動の拡大を図り始めた。NHKなどの原発報道も明らかに同調した左傾化が見られるようになった。菅の姿勢は、こうした「核兵器廃絶」と「反原発」を混在させる動きと呼応して、本来祈りの場である広島・長崎の式典の場を「延命のための政治」で冒涜(ぼうとく)する側面がある。
官房長官・枝野幸男の1日の発表によると、菅は6日に広島市で開かれる「原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」、9日に長崎市で開かれる「原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」にそれぞれ出席する。菅はかねてから両式典を活用して「脱原発解散」を打ち出す予定だったが、支持率低迷で不可能となり、「脱原発」によるエネルギー政策の見直しを訴えることになりそうだ。おりから原水禁の国民会議が初めて福島市で開かれ、原発の停止や廃止に向けた「反原発」の必要性を訴えた。従来の核兵器廃絶に偏りがちな運動方針を「反原発」へとかじを切る画期的な運動展開となった。この「反原発」を巡っては、原水協も広島と長崎で開く大会で議論することにしているほか、全国の被爆者でつくる日本被団協も反原発の姿勢を強める流れだ。
この動きを全国紙の多くが第2社会面などで扱ったが、NHKは31日の午後7時のニュースの3番目に長々とセンセーショナルに報じ、それでも足りないのか翌1日の朝には原水禁の動きと絡ませて第五福竜丸船員に「誰が核兵器に匹敵する原発を日本に導入したのか」とまで語らせている。福島原発事故発生以来NHKの原発報道は公共放送の中立性を逸脱しているとみられるケースが多く、おそらく社会部主導による左傾化傾向を強めていると感じていたが、自治労・全道庁労連のホームページを見て納得した。全面的に報道ぶりを礼賛しているのだ。7月10日の番組「NHKのシリーズ原発危機・どうする原発」をとらえて「通常、この種の番組は、特にNHKは組織の性格上、両論併記で幕を閉じるのが普通だが、今回は明確なメッセージを視聴者に残した点は驚きだった」「NHKの報道の姿勢を明らかに脱原発へシフトする内容だったといっていい」ともろ手を挙げて賛同。勢い余って、「思わずそうだとテーブルを叩いてしまった」とまで褒め称えている。自治労が大喜びするようでは、まさに報道左傾化の左証となろう。
同月23日の解説委員の討論会・双方向解説は「どうする原発・エネルギー政策」をテーマとした解説委員らの座談会だったが、原発維持派の解説委員が無能だったからでもあるが、「脱原発派」が圧勝した。このNHKの姿勢は日経の調査で「原発再稼働すべきだ」との回答が53%で、「再稼働すべきではない」の38%を大きく上回っているような情勢を見誤り、公共放送としての中立性を著しく逸脱している。当然国会で取り上げるべき問題だろう。将来の「脱原発」はそれが可能なら当然だが、現在それが成り立つような論理構成には無理がある。
喜んでいるのは菅だけだ。今度は広島と長崎のフル活用だ。きっとNHKが応援してくれる。しかし原爆式典は、原爆死没者の遺族をはじめとして、市民多数の参加のもとで挙行されるものであり、毎年広島市長によって行われる平和宣言は核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を訴え続けているものだ。原爆死没者の霊を慰め、世界の恒久平和を祈念するための式典である。本来ならば厳粛なる祈りの場であり、その場を利用して、菅は延命のための「脱原発」を原水禁にこびを売るごとく主張すべきではない。本来「核廃絶」と「原子力の平和利用」は同一線上で語られるべきものではあるまい。原発は原子力平和利用の象徴であって、核兵器でもない。菅の「脱原発」は表現を「減原発」に変更せざるを得なかったことが象徴するように、民主党政権内部ですら受け入れがたいものとなっている。その不満を菅は出自の市民運動レベルにまで先祖返りして、延命のきっかけとしようとしている。まさに悪あがきも極まれりだ。
◎「8月政局」は“泣いている場合”ではない
◎「8月政局」は“泣いている場合”ではない
「涙なんてェものは洒落や冗談で出るものじゃござんせん」とは古典落語「王子の幇間(たいこ)」のせりふだ。確かに洒落や冗談で経産相・海江田万里は泣いたのではないだろうが、「泣いちまっちゃあ、話しが続かねえ」のである。古来政治家が泣くと子供のけんかと全く同じで「負け」なのだ。いまの民主党には犬の遠吠えはあっても首相・菅直人と刺し違える度胸のある政治家は1人もいないのだろうか。政治家は泣いている場合ではない、泣きたいのは被災者・国民の方だ。
海江田は国会の委員会の場で泣く癖があるが、テレビで報じられただけで2回目だ。それも号泣してしまった。野党から「辞任を表明しながら辞めないのは菅直人首相とそっくり」と指摘されると「もう少しこらえてくださいよ」と半泣き。さらに 「政治家としての価値を落とすのではないか」と追撃されると「わたしはいいんです。自分の価値は」と泣き声を絞り出し、席に戻ると顔を手で覆って号泣。涙をぬぐった。菅と同類に扱われてよほど悔しかったと見えるが、記者団から「公の場で涙を流されるのは尋常ではない」と問われると、海江田「尋常でない状況がだいぶ続いているので」と菅への“恨み節”をたらたら。
政治家がなぜ泣いてはいけないかというと、「あ、ここまでの男か」と受け止められるからだ。周りの視線はリーダーと目される政治家に対して底知れぬ包容力と精神力とカリスマ性を期待しているのだ。極限状態を涙なしで乗り切らなければならないのは、古今東西同じだ。米国でも同様に見られている。1968年の大統領予備選において民主党候補で上院議員のマスキーが涙をこぼした結果、マクガバンに敗北。以来「大統領を目指す者は公の場で決して涙を見せてはならない」というのが選挙戦の不文律となった。ニューハンプシャー州の民主党予備選挙でクリントンが泣いたのは女性の涙で、逆に女性層の同情票を買ったものの、最終的にはオバマに敗退した。
佐藤栄作は涙腺が弱くてよく泣いたが、自分のことでは泣かない。福祉施設などを訪問する際に泣いたのだ。民主党最高顧問・渡部恒三が「政治家は人様のことで泣くのはいいが、自分のことで泣いたら終わりだ」と述べているとおりだ。党首討論で「かわいそうなくらい苦労しているんですよ」と発言して涙ぐんだ首相・福田康夫も、すぐに退陣。男の涙は田中角栄が裏で流した。喉頭がんの首相・池田勇人が世間にばれる前に盟友田中との酒席で、自分の手のひらにかっと痰を吐いて「角さん血が混ざっているだろ」といってがんを告白したときだ。肩を抱き合って男泣きに泣いた。ところが、海江田はいくら悔しくても、泣くにことかいて委員会で号泣してはいけない。先にも書いたが、海江田の政治家としての生き様はすぱっと辞表をたたきつけてはじめて明確となる。展望が開けるのだ。
おまけに海江田はどうもうそをついているとしか思えないふしがある。というのも、海江田は29日に東日本大震災の復興基本方針を正式決定した政府の復興対策本部会議を欠席したが、その理由を「連絡が私の所に入っていなかった」と言い訳したのだ。しかし小沢一郎と堺市で開かれた小沢系若手議員のパーティーにそろって出席することは、以前から決まっていたことだ。政府高官は「28日の段階で29日午後6時に開くことを予定していた。午後5時ごろ『延期になるから待機するように』と連絡した」と述べており、閣僚に連絡が行かないことはあり得ない。つまり、代表選に向けて国政より小沢の“支持”の方を選択したにおいが濃厚なのだ。そうでなければ海江田に伝えなかった事務当局の責任問題になるではないか。 いずれにせよ海江田は号泣で、やはり「ここまでの男か」という人物評価の底が割れた。この調子では菅は海江田や政府・与党からの批判を「昼寝の風鈴」と心地よく聞き流してしまう。「8月政局」がいよいよ幕を開けるが、戦端を開く前から仕掛ける方がずっこけていては始まらない。今からでも遅くない、お盆前には刺し違え覚悟の動きを海江田をはじめ政府・与党の政治家はするべきだ。海江田辞任と連動した政府・与党首脳の連快(れんぺい)辞任の動きを急速に立ち上げるべきだ。決断をすれば局面は大きく変わる。























