◎不信任の成否にかかわらず菅は「死に体」となる
◎不信任の成否にかかわらず菅は「死に体」となる
首相・菅直人が「鼎(かなえ)の軽重」を問われ、政界は攻防激化でその鼎が沸くがごとき状態となって来た。「女学校の校長」と都知事・石原慎太郎から揶揄(やゆ)された自民党総裁・谷垣禎一が一転、こめかみに癇癪(かんしゃく)筋を浮かび上がらせて「フシンニン!」と力めば、刑事被告人・小沢一郎は裁判などどこ吹く風とばかりに「決断するときは決断する」。じわじわ押され気味の幹事長・岡田克也はますますフランケンシュタインのそっくりさんになって目を血走らせ「除籍だぞぅ~」と若手を脅す。いまや「解散小僧」となった国会対策委員長・安住淳が人を見れば「解散だぁ」と威嚇。かくして「菅降ろし」は佳境に入って、世の中週内にも提出される内閣不信任案の可決か否決かが焦点となっているが、可決されようと否決されようと、菅は「死に体」となるのが今回の不信任案提出の特色なのだ。
まず「解散小僧」の解散論は、不信任案が可決されたら10日以内に首相は解散か総辞職を選ばなければならないことが根拠。しかし尻が割れている。解散すれば菅は「完敗」、自民が「圧勝」。「破れかぶれで気が触れた」と言う選択はいくら菅でもできまい。「小僧」は何も知らない当選1回生を脅しているだけだ。しかし風だけで当選してきた連中は遅かれ早かれ“淘汰(とうた)”が運命。大震災早期復興の“大義”のためにも「菅降ろし」に加わった方がよいのだ。
興味深いことに「被災地のことを思え」という俗論にもかかわらず、その被災地からも解散反対の声が上がった。岩手県知事・達増拓也は「衆院選をやるのは、被災地切り捨て解散をやることだ」と総辞職を要求して「菅降ろし」のろしを上げた。達増は小沢の子分だからさもありなんというところだが、さすがに小沢はいいところに目を付けて、手を回した。加えてあのまじめ一方の宮城県知事・村井嘉浩も「県議選も延期になっている。総選挙は沿岸部で難しい」とのべており、この発言は信用できるし重みがある。被災地の知事からの声は説得力がある。
筆者は先に不信任案同調の小沢系は「50程度」と見たが、30日の自民党・伊吹文明、古賀誠と公明党国対委員長・漆原良夫らの会合でも「50人」と分析したようだ。しかし小沢の側近でマスコミだったらとっくに誤報の連続でクビになっている山岡賢次は「90人を上回った」とまたまた豪語。本当なら社民党を除く野党全員が賛成した場合には、与党から80人前後の賛成があればよいのだから、可決されることになる。政治は弾みだからまだ数は分からないが、たとえ50人でも、先に分析したように欠席者が出れば可決の可能性が一挙に増える。どうも鳩山由起夫あたりはグループの欠席戦術を狙っているのではないか。30日の小沢・鳩山会談は同調できない者をいかに欠席にもってゆくかが焦点であったに違いない。
不信任案が可決されれば退陣が流れだ。可決されなかった場合はどうなるかだが、「不信任が入り口、問責は出口」という流れとなる。否決されれば参院での問責決議案が待っている。それも民主党小沢系は衆院で不信任案に賛成した後であり、参院での問責にも賛成する流れだろう。ただでさえ参院はねじれており、問責は確実に可決されるだろう。
問責は不信任案のように法的に菅を退陣させる根拠はないが、一院が時の首相を“否定”した政治的な意味は大きい。菅が退陣するまで参院は動かないだろう。したがって菅は赤字公債特例法案をはじめ重要法案を成立させるためにも、自らのクビを差し出さざるを得なくなるだろう。問責が可決された場合の過去の例では、2008年に福田康夫は3か月後に辞任。2009年の麻生太郎は2か月後に辞任に追い込まれている。菅は大震災復興のためにも過去の2人の例より早く退陣すべきだ。それが国への「最後で最良のご奉公」となるのだ。いずれにしても菅は不信任案の上程が固まった段階で「死に体」への階段を一歩一歩上がってゆくことになる。
◎「政権リセット」で「原発停止大不況」を回避せよ
◎「政権リセット」で「原発停止大不況」を回避せよ
どうも民主党の首相は10年先の「空想科学小説」がお好きなようだ。鳩山由紀夫が国連気候変動サミットで「2020年までに25%の温室効果ガスを削減する」と言えば、菅直人もサミットで「2020年代の出来るだけ早い時期に、自然エネルギーは少なくとも20%を超えさせる。一千万戸にソーラーパネルを付ける」と自然エネルギーの利用を拡大する方針を強調。鳩山の25%は、鳩山にとってだけは“幸い”なことに、原発事故で吹き飛んだ。もともと不可能だったが、もう誰もできると信ずる者はいまい。菅の20%は、そのころ首相をやっていないから責任を問われることもない。ところが首相がその“夢”を語っているうちに、原発長期停止で全国的に電力不足が現実のものとなりつつある。夏だけでなく構造的電力不足である。菅は原発再稼働を突きつけられているのが実態なのだが、本人は気付いていないか、ほおかむりしているのだろう。
問題なのは「20%」も「1千万戸」もいわば、「唐突消費税」「唐突船長釈放」「唐突外国人献金受領」「唐突谷垣副総理」「唐突浜岡」に次いで、またまた悪い癖の“唐突発言”なのである。その証拠に経産相・海江田万里は「1千万戸にソーラーパネルを取り付けるという話は聞いておりません」。経産政務官・中山義勝に至っては「20%はどこから出た話か分からない。エネルギーを知るものとして違和感が伴う」と、なんと菅を“軽蔑”してしまった。要するに菅は経産省事務当局はおろか閣僚や政務官にすら一言も言わずに、サミットという重要な場で発言、「国際公約」としてしまったのだ。
菅がトリッキーなのは、原発をエネルギーの4本柱の一つに据えつつ自然エネルギーだけ、数値目標を提示したことである。一般国民には原発が徐々に減ってゆき、自然エネルギーに代替されてゆくような“聞き心地”の良い論理構成としたわけだ。実際にはドイツ首相・メルケルのように完全な脱原発に舵を切る度胸はないにもかかわらずである。G8首脳の多くは、原発政策で菅が何を言うかに注目していた。日本の首相の発言がこれほど注目されたことはかってなかったが、菅は原発をどうするを言わずに、“夢”だけを語ったのだ。菅は国内向けの支持率しか考えていなかったことになる。つまりまたまた己が身大事のパフォーマンスである。
そもそも自然エネルギーは現在水力を入れて10%、水力を除けば太陽光、風力などは1%そこそこだ。「20%」構想も菅自身が昨年6月に閣議決定したエネルギー基本計画を10年前倒ししたもので、論議の積み上げなしに「エイヤッ」とやってしまったのだ。これまで自然エネルギーが普及しないのは、その質とコストに大きな壁があるからだ。誰も現段階では原子力に代替できると言う専門家はいない。政治家の多くも原発の安全性強化の上維持するしかないというのが大勢の“本音”だ。
“夢”に向かって技術革新を促進することは誰も異論を唱えることではないが、10年夢を追って、電気料金上昇と、電力不足を続けていたら日本の産業は全て、安価な原発の電力が豊富に使える外国に脱出して、国内はもぬけの殻となりかねない。産業の完全空洞化が現実のものとなるだろう。そうなれば日本は、あの懐かしい戦争直後のように、貧しい部屋にLED裸電球を一つ付けただけの貧乏家族が寄り添って幸せに暮らし、省エネなどとっくに必要なくなるかも知れない。まさに川柳風に言えば、「武士は食わねど脱原発」だ。
冗談はともかくとして、実際に原発再稼働が待ったなしの状況になりつつある。菅は決断しないだろうから、ポスト菅の新首相がに託すしかあるまい。菅が「浜岡停止」の根拠を大衆受けのする地震発生率だけに絞った結果、停止した全国の原発の稼働再開への道筋を消してしまったことが最大の原因だ。原発の現状は現在の54基のうち定期検査や事故などで37基が止まっており、順次再開していかなければ来年4月までには定期検査で54基全てが止まってしまう。日本の産業にとって、まさに死活に関わる電力不足が発生するのに、政治はほおかむりが続いている。菅が浜岡を政府部内の議論の積み上げがないままに、“独断専行”のごとくストップさせた結果、稼働を判断する各県知事は窮地に陥ってしまったのが実情だ。各地の原発は反対運動の盛り上がりで、にっちもさっちもいかなりつつあるのだ。社会運動家の菅と共産党や社民党、そして朝日新聞の思うがままになるようでは、我が国の産業政策も早晩末期症状に至るだろう。
敦賀原発の停止で電力に支障を来した関西電力首脳が、政府の無策ぶりに怒り心頭に発しているという。「再稼働しないと夏はとても東に電力はは送れない」というのだ。可能な限りの地震対策や津波対策を取った原発ですら再稼働を躊躇(ちゅうちょ)せざるを得ない状況なのだ。「原発停止大不況」がささやかれる差し迫った現実にどう対処するかだが、政治は我が国の現段階でのエネルギー確保で強いメッセージを発する必要がある。パフォーマンスなどしているときではない。原発なしでは成り立たないエネルギー・産業構造の現実をあえて国民に訴え、党利党略なしで原発再開の必要を説く勇気のある政治家をリーダーに据える必要がある。絵空事では国民の真の信用を得るのは困難と心得るべきだ。それには早期に首相を代えるしかない。政権リセットしか対応は難しい。
◎責任は首相にあり、“トカゲのしっぽ切り”をするな
◎責任は首相にあり、“トカゲのしっぽ切り”をするな
擬態には目立たなくするものと目立つようにする両極端があるが、「菅擬態政権」のケースは後者の目立たせるケースだ。自分より大きく見せるエリマキトカゲ型だ。今回のあっと驚く「海水注入中断なし」も根底には首相・菅直人の擬態が原因として存在する。しかし菅の“間接指示”にうろたえて、海水注入中止を命じた東電幹部の意向を無視した現場の所長は、職務に徹した勇気のある判断をしたとも言える。副社長・武藤栄が「処分する」などと述べているが、もってのほかの「トカゲのしっぽ切り」だろう。第一義的には責任は官邸にある。
何でも“前さばき”で責任を転嫁しようとする官房長官・枝野幸男は、今度もまた「東電は、正確な報告をいただきたい」と全てを東電のせいにしようとしているが、根本的な認識が間違っている。21日の中断の発表は、政府・東電統合対策室の事務局長を務める首相補佐官・細野豪の責任において行われたのである。細野自身が「ヒアリングは東京電力に任せていて、私はそれを責任を持ってまとめる立場だった。政府も訂正があり、東京電力も訂正することになり、21日の段階で国民に正確な情報を知らせることができなかったのは誠に申し訳なかった」と潔く陳謝しているではないか。
この原発事故の初期段階の対応を左右する超重要な場面で、十分に確かめもせずに原子力安全委員長の発言を訂正し、再び中断発表を訂正した背景には、安易に重要文書をまとめてしまうことが象徴する民主党政権特有の“甘さ”がある。その根底には自分を常によく見せようという首相・菅直人自身の擬態があるのだ。元外相・高村正彦が「東電を生かすも殺すも政府の手の中にあるという状況で、政府は『東電は悪い会社』、『菅総理はよい人』というウソを流し続けている。菅政権は自分をよく見せることに熱心な政権だが、それにしてもひどすぎる」と述べているとおりだ。擬態政権なのだ。
中断がなかったことが明らかになっても、首相官邸の迷走ぶりには「訂正」が利くものではない。そもそも全ての発端は、菅が極めて可能性の少ない塩水注入の危険性を下問し、原子力安全委員会委員長・班目春樹が明確に否定しなかったことにあるのだ。愚かにも官邸の空気が「危険だ」一色となり、これを忖度(そんたく)した東電社員が首脳に連絡、首脳は現場に中止の指示を出したのだ。しかし東電の原子力部門の中でも原子炉への対応を知り尽くしている第一人者が激しく抵抗、指示を黙殺した。第一原発所長の吉田昌郎は“根性”があったのだ。おそらく“ど素人”の官邸や、“東京のお偉方”よりは原発を知っているとの自負があったのだろう。所長の部下たちも一致して中断することの無意味さと危険性を指摘したと言われている。これが現場の組織ぐるみの対応となったのだ。組織ぐるみと言っても大勢が関わることであり、漏洩は必至であったと思われるが、公表まで2か月間も漏れなかったこと自体が、現場における「気骨の所長判断支持」の雰囲気を物語っている。
「中断せず」を明らかにした理由について武藤は、「所長は『新聞報道や国会の審議、それにIAEAの調査があり、国際的に今後の教訓とするためにも、正しい事実に基づくべきだと考え、事実を報告したいと思った』と話していた」と述べているが、その判断も正しい。しかし組織の一員として上層部に報告しなかったことには問題が残るが、政治も東電幹部も大きいところを見なければなるまい。あの班目ですら「中断は悪化をもたらす」との判断を示しているではないか。武藤自身も「原子炉を冷やすという判断は技術的には妥当だったが、報告が遅れたのは残念だった」と述べている。危急存亡の時にその妥当な判断をした社員を「処分」するということでは、“御政道”が成り立たない。2700人の現場の士気を阻喪させる。事故対策はこれからという時に現場がやる気をなくすことが一番危険なのだ。細野は「きょう福島第一原発の吉田所長と直接話をして確認をした。海水注入を継続したことは当時困難な状況をどう乗り切るか判断して決断をしたわけで、やむをえない状況と思う。事故対応に欠かせない人物だ」と述べ、所長を擁護した。その通りだ。班目が「中断がなかったのなら、私はいったい何だったのでしょう。頭の中は、はてなマーク」と馬鹿なコメントをしているが、何だったのかを教えよう。「官邸迷走の発生源」だったのだ。「処分」するならまず菅、次いで班目だ。
◎潜行する「不信任本会議欠席」の小沢戦術
◎潜行する「不信任本会議欠席」の小沢戦術
政治家の会合でのひそひそ話は、丹念にフォローすればだいたい後になって様子が分かるものだ。24日夜の民主党元代表・小沢一郎と前首相・鳩山由紀夫の会談で何が語られたかが気になっていたが、鳩山の25日の講演で分かった。鳩山は「小沢さんは覚悟を持った政治家。その覚悟の素晴らしさにひかれるものがある」と絶賛したのだ。その上で鳩山自身も「国難の時に求められているのは最終的覚悟だ」と述べた。明らかに会合では、小沢が離党も辞せずに内閣不信任案に同調する“覚悟”を述べ、鳩山もようやく不信任案同調の“覚悟”に傾いたことを意味している。
しかし覚悟だけでは物事は動かない。不信任案の可決に持ち込む手段が必要だ。小沢が側近らを使ってやらせている党内での不信任案同調の署名集めも、社民党が反対すると可決に必要な77人の署名が必要となる。小沢周辺は「可決できる状況になりつつある」と漏らしているが、野党の不信任案上程に間に合うかどうかも分からない。そこでささやかれ始めたのが不信任本会議「欠席戦術」だ。署名をした者が小沢以下賛成に回り、賛成に踏み切れない者が本会議を欠席して、結果的に可決に持ち込もうというわけだ。
小沢のとっておきの“隠し球”はこれに違いない。欠席戦術は昔から旗幟(きし)を鮮明にできない議員のために行われてきた。1952年に通産相・池田勇人が「インフレ経済から 安定経済に移る時に中小企業の5人や10人の倒産などやむをえない」と述べた問題で通産相不信任決議案が提出され、 鳩山派の欠席戦術により可決され、池田は辞任に追い込まれている。
ハプニング解散につながった大平内閣不信任案可決も欠席戦術が成功した例だ。1980年日本社会党委員長・飛鳥田一雄が、不信任決議案を提出。これに前年の四十日抗争で大角(大平派と田中派)連合に敗れ、自民党内で反主流派となっていた三木派や福田派、中川グル-プなどの議員69人が本会議を欠席した。これにより不信任決議案は賛成243票・反対187票で可決となった。2000年の「加藤の乱」では加藤紘一支持勢力が森内閣不信任案にいったん同調しようとしたが、結局踏み切れずに欠席して、否決された。
小沢がこうした経緯を見逃しているはずはない。はずはないどころか署名を渋る議員には働きかけているのだ。どのような展開が予想されるかだが、手っ取り早く昨年11月の官房長官・仙谷由人への不信任案のケースを参考にすると、賛成152、反対314で否決している。仮定のケースだが、この賛成152に例えば民主党から50人が賛成、70人が欠席したら賛成202対反対194で可決されてしまうのだ。
小沢にはついて行けないが首相・菅直人の“体たらく”に不満がうっ積している民主党内で、この欠席戦術には乗りやすい。悩んでいる中間派や中堅・若手議員も同調しやすい。執行部は欠席者に対しても「厳重処分する」と懸命の締め付けをしているが、実際には国会で多数確保の上からも除名処分というわけにもゆくまい。可決されれば10日以内にまず退陣だろう。解散は被災地の事情を考えると難しいが、「破れかぶれ解散」となれば野党とりわけ自民党にとっては、まさに思うつぼだ。否決されても、小差になることが予想される。この“打撃”に菅が長期にわたって居座ることは極めて困難になるだろう。
◎避けられない政界“6月上旬の乱”
◎避けられない政界“6月上旬の乱”
タイや中東では首相が外遊の時によくクーデターが起きる。首相・菅直人がサミットに出発したが、この時点での帰国する29日までの6日間はいかにも長い。日本ではクーデターは発生し得ないが、この間に“菅包囲網”が一段とその輪を縮めることは確かだ。自民党は、来月1日の党首討論の終了を待って内閣不信任案を上程する構えであり、そのための党内外の工作を活発させる。“6月上旬の乱”は避けられない形勢となって来た。
さすがに朝日新聞の「声」欄はしっかりしている。不偏不党の社是にもかかわらず社説が菅支持を打ち出しても、堂々と政権交代の主張を掲載する。20日付の同欄には「菅直人首相の震災対応能力に疑問が呈されても、『この危機に菅降ろしは論外』との主張がある。この危機だからこそ政治の立て直しにためらいは許されない。非常時の名の下で政権批判を封じるような民主主義の自殺行為は決して許してはならない」という投書があった。もっともである。この国の知識層の間には、政治家のやっていることの全てを「汚い」とか「権力闘争」とか一段下に見る風潮があるが、「人を見る目」を職業としている多くの政治家が、大震災に当たっての菅の「政治」に「ダメ出し」をしていることを一概にそう決めつけるのはいかがなものか。「国難の時に…」という議論には「菅の存在自体が国難だから、一段落したいま国難除去に当たる」という反論が容易に成り立つのだ。
こうした主張に急速に傾いているのが野党だ。24日に自民、公明、みんなの各党が不信任案提出に向けてルビコンを渡った。自民党は役員会で、菅内閣を今の国会で退陣に追い込むべきという意見が相次ぎ、総裁・谷垣禎一は「菅政権は、原発事故の情報を隠蔽し、組織も動かせない政権だということが浮き彫りになってきている。政権を延命させることは許されず、全力を挙げて打倒していく」と表明、役員会は不信任案提出を総裁一任とした。公明党も自民党と共同提出する方針を固めた。自民党には「もう止まらない。勝とうが負けようが勝負度外視でなだれ込む」(幹部)と言う流れができてきた。
その「勝負度外視」だが、確かに勝つか負けるかはまだ分からない。最低75議席が与党から不信任案に同調しない限り可決されないからだ。そこで小沢一郎が展開している不信任案同調の署名活動の行方が注視されるところなのだ。小沢が一切数を外に出さないことについて「達していない証拠」と見る説があるが、小沢の手法からいって落ちこぼれを防ぐために、ぎりぎりまで手の内を見せないのだという見方が正しいだろう。小沢は既に離党も覚悟でやっているとしか言いようがない。物言いも「谷垣でいいと言っているのに谷垣は動かない」と“谷垣首相”も辞さぬ構えである。
こうした中で24日の渡部恒三との合同誕生パーティーに160人が集まったことをどう見るかだが、少なくとも菅にプラスの動きではない。「誕生パーティーをやる」と菅との会食で報告していた政界風見鶏・渡部が、厳しい批判に転じたのだ。渡部は「菅総首相のことは尊敬していないし、岡田幹事長も気が利かない。党員みんなが、代わったほうがいいとなれば、代わってもらう」と「菅降ろし」ともとれる発言をしている。誕生会は小沢にとって「反菅ムード」の醸成に向けてプラスに作用したとみるべきだろう。
同日夜小沢は、前首相・鳩山由紀夫、参院議員会長・輿石東と会食しているが、「党を割らない菅降ろし」が基本の鳩山との調整がポイントであったと思われる。少なくとも3者は「菅と岡田のままでは党が駄目になる」という認識では一致した模様だ。菅が駄目なのは常識だが、確かに岡田克也も幹事長になってから期待はずれの言動が多い。政権与党をまとめる力量がないのだ。統一地方選挙の敗北にしても「原因は党が割れたこと」と述べて反感を買っているし、責任放棄の姿勢もありありだ。野党に対しても谷垣が23日の質問後に、菅の答弁について、「うその上にうそを塗り固めている」と感想を述べたことを取り上げ、「国会審議の冒とくであり、自らの質問の力が足りなかったのを言い訳したと受け止められても仕方がない」とまでこき下ろした。これでは野党との法案の調整などとてもおぼつかない。菅と“心中”するつもりとしか思えない。若手議員が離党して不信任賛成の方針を明らかにしたが、岡田の求心力の無さを象徴している。参院議長・西岡武夫の菅批判のボルテージも上がる一方であり、6月上旬の“滝壺”に向けて大河の流れがその速度を速めている。
◎塩水注入中断の実態は菅の“間接指示”だ
◎塩水注入中断の実態は菅の“間接指示”だ
「海水注入の報告が上がっていなかったから、止めよというわけがない」という、首相・菅直人のトリッキーな“理論武装”に二の矢を継ぐことができず、23日の論戦は「谷垣山」の負けと言ったところだ。前夜総裁・谷垣禎一、副総裁・大島理森、幹事長・石原伸晃が集まって鳩首協議しながら、衆院特別委での追及は新聞報道の域を出なかった。しかし、浮かび上がった事実関係は菅が明らかに可能性の極めて少ない再臨界を懸念しすぎて、これが東電関係者を通じて本社に伝わり、注入を止めたことにある。本質的には菅の“間接指示”と言って良い状況が生まれていたのだ。この“核心”を谷垣の追及が及ばなかっただけだ。もっとも「負けて勝つ」とっかかりだけはつかんだと言えよう。
論戦を詳細に分析したが明らかに菅は2点で言い逃れをする作戦だった。一つは「私や、私と一緒にいたメンバーが海水の注入を止めたことは全くない」であり、他の一つは「注入の報告が上がっていないものを『やめろ』とか『やめるな』とか言うはずがない」だ。そして菅の作戦に谷垣の力量が及ばずに突破できず、最後に「大きな覚悟をもって今後に臨む」と捨てゼリフを吐いて終わった。しかしそれではなぜ東電がいったん開始した塩水注入を止めたかと言うことになる。東電側は原子力立地本部長代理・松本純一が「官邸側から『再臨界の可能性があるとの認識を持っている』と伝わってきたのでいったん止めた」と公式会見で官邸の意向を忖度(そんたく)した内情を明らかにしている。一体誰が伝えたかということになるが、昨日書いたように官邸にいた東電関係者が伝えたのだ。
24日付の朝日に詳しく報じられているが、官邸に詰めていた東電元副社長の武黒一郎が“雰囲気”を伝えたのだ。東電は現場に「武黒フェローから連絡があった。首相から指示があるまで中止せよとの要請だ」と、注入ストップをかけたのだ。問題は武黒にこのような反応をさせた官邸で、一体何が行われていたかだが、まさに“知らぬ同士のチャンチキおけさ”だ。菅が、その資質に問題のある原子力安全委員会委員長・班目春樹に海水注入による臨界の可能性を聞き、班目が「可能性はゼロではない」との回答をして、「さあ大変だ」との反応が同席者に走ったのであろう。しかし再臨界は地震直後に自動的に核燃料集合体の隙間に制御棒が挿入された段階では起き得ない。問題は燃料棒が溶融して落ちた段階での可能性がないわけではない。しかしこれには溶融した燃料が一定間隔に再配置されなければならないことなど条件がある。そんなことはまずあり得ないのだ。したがって「可能性はゼロに限りなく近い」(専門家)のだ。また、再臨界が起きた場合も爆発して圧力容器が破損し、放射性物質が一気に拡散するなどという事態にはならない。一度、原子炉が停止した後の再臨界では、稼働中のエネルギーとはほど遠いエネルギーしか出ない。
こうした因果関係を知らない菅がチェルノブイリの影におびえて過剰反応、会議が「大変だ」という空気になったに違いない。班目が「可能性がゼロではない」と述べたにしても、その場の雰囲気というものがある。少なくとも発言には心配を加速させる方向で相づちを打った要素があったに違いない。結果は、最も重要な段階で、可能性がゼロに限りなく近い問題で議論が巻き起こり、武黒はその官邸の雰囲気を東電に伝達したのだろう。谷垣は核心が菅の発言にあるのではなく、なぜ東電がストップをかけたのか、から質問を説き起こすべきだった。
それにつけても班目はお粗末だ。国会答弁でも「いまでも再臨界にあるとおっしゃる学者がいる」とマイナーな学者の言葉を引用してこだわっているが、圧倒的多数の学者は「あり得ない」で一致している。読売によると国民新党代表・亀井静香が23日、班目を「でたらめ委員長が修羅場であんなことを言っている。日本の危機を迎えたその場において、原子力安全委員会の責任者が、そういうことしか首相にアドバイスできない」と講演で批判、菅に同日夜電話し、更迭を求めた。確かに「原子力唖然委員会」の「でたらめ委員長」は菅と共に舞台から去るべきだ。
◎歴史に残る官邸「3・12の暗愚」
◎歴史に残る官邸「3・12の暗愚」
端的に言えば原子力事故発生途上にあった初期段階での官邸の対応は“知らぬ同士のチャンチキおけさ”であった。とりわけ「3・11大震災」直後の3月12日の首相官邸はその無能ぶりの露呈で歴史に残るものになると言えるのではないか。その中心に座った立役者が首相・菅直人と原子力安全委員会委員長・班目春樹であった。国会では23日の衆院東日本大震災復興特別委員会における自民党総裁・谷垣禎一の追及を皮切りに「3・12の暗愚」ぶりが露呈され、サミット後の不信任案上程に向けて政局は加速するだろう。
日本の危機管理にとって「3・12」は魔の一日だった。まず官邸に腰を据えて陣頭指揮すべき菅が、格納容器の内圧を低下させて破損を防ぐベントを準備中の福島第一原発を早朝ヘリで視察して、ベントを遅らせた。これが水素爆発に至らしめる要素の一つになったのではないか。そのヘリに同席したのが班目だった。班目は機中で菅に「総理、原発は大丈夫なんです。構造上爆発しません」と述べて菅を安心させたのだ。この段階で水素爆発の可能性を指摘できないことが、まず委員長としての資質の欠如を物語る。その直後午後3時36分に水素爆発で建屋が吹き飛んでいる。さらに重要な事態が夜になって発生した。菅が班目に「1号機に海水を注入した場合、再臨界の危険はないか」と質問した。班目が愚かにも「塩水の注入は再臨界の危険がある」と返答したのだ。朝の班目発言の間違いをとっくに忘れてれて菅は信用し、原子力安全・保安院に対し「再臨界を防ぐ方法を検討せよ」と指示した。
おそらく菅と班目の主導で、官邸内部は午後7時4分に東電が塩水の試験注入を開始したことに対する懸念が横溢(おういつ)していたのであろう。その雰囲気を受けて官邸にいた東電フェロー・武黒一郎が東電に連絡、東電は始めた注水を中止した。東電は21日の記者会見で、「首相官邸の意向をくみ」一時中断していたことを明らかにした。これにより再開まで55分の“真空”ができてしまったのだ。これはメルトダウンにとって重要なミス判断ではないだろうか。要するに班目は地震発生とともに制御棒が自動挿入され、臨界にはなり得ないという“常識”の把握ができていなかったのだ。菅は菅で後の「東日本が潰れる」との発言から見ても、当初からチェルノブイリの爆発と同等視するという、これまた決定的な認識上の過ちを犯していたとしか思えない。だから菅は班目の発言に敏感すぎる対応をしたのだ。
当初のパニック状態が一応冷静さを取り戻した現在、原子炉の海水冷却中断が、どのような経緯でなされ、事態の悪化にどう影響したかは、今後の検証や国会論議における最大の焦点になるとみられる。班目はいまになって「淡水を海水に替えたからといって臨界を心配するようなことはあり得ない」と自らの発言を否定しているが、政府・東電統合対策室の「3/12の福島第一原発1号機への海水注入に関する事実関係」という発表文書の中に、午後8時20分頃に「原子力委員長から『再臨界の危険性がある』との意見が出されたのでホウ酸投入などそれを防ぐ方法を含め検討」とあるのが動かぬ証拠ではないか。
政府は22日になって班目と調整し、発表文の記述を「総理から再臨界の可能性について問われた原子力安全委員長が可能性はゼロではないとの趣旨の回答をした」と訂正した。ここは「危険性がある」だろうが「ゼロではない」だろうが言葉尻の問題ではない。首相補佐官・細野豪も22日のテレビ番組で「総理が再臨界を心配していたのは事実。班目さんからの意見でそうなったと私は記憶している」と述べている。問題は言った言わないの“内紛”よりも、塩水注入中止の雰囲気が歴然として存在したことにある。だから武黒が東電に連絡したのだ。火のないところに煙は立たない。班目は潔く連続的な誤判断を認め、辞表を提出するのが筋だと思う。
要するに「3.12」は、冒頭指摘した通り信じられないような“専門家”と、信じられないような首相がタッグを組んで初期段階の重要ポイントを間違ったとしか言いようがないのだ。朝日は23日の天声人語で「原子力安全委員会」を「暗然委員会」と名付けたが、ここは「唖然委員会」の方が適切だ。
菅の危うさは復興構想会議の人選にあたって、官僚、財界人を排除し、議長・五百旗頭真をして冒頭から「復興税」を唱えさせたあげく、会議の提言を待たずに復興基本法案を上程するなど場当たり的な対応を見ても明白だ。6月8日で政権担当1年目となるが、1年で辞任に追い込まれた安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と比べても、266日で辞めた鳩山由紀夫と比べても、自ら思うように決して優秀ではないし、首相としての資質もない。これを肝に銘じて、サミットを花道と心得、退陣すべきだ。「菅降ろし」を何が何でも「失速」に結びつけようと論陣を張ってきた朝日新聞の解説委員・星浩ですら「菅首相が課題を解決するには、通常国会を大幅延長して“通年国会”とするぐらいの意気込みが欠かせない。全力疾走する気概を示すべきだ。山積する懸案や野党の攻勢にひるむ首相なら、続投など無理な話だ」と“軌道修正”して“注文”を付け始めたのだ。やはり「失速」は「失速」しつつある。
◎朝日の参入で電子新聞戦国時代へ
◎朝日の参入で電子新聞戦国時代へ
トップを切った産経新聞に引き続き昨年4月に日経が、そして19日に朝日が電子新聞を発刊した。産経、日経は新聞紙面をそのままパソコンで見られる一覧性が特色だが、「朝日デジタル」の場合は横書きで編集し直し、紙面に準じた一覧性を確保している。早速契約したが、「新聞中の新聞」朝日の参入により、先行している米国に引き続き日本も電子新聞時代に突入する。紙面の電子化とはiPod、iPadなど電子端末を通じて通勤電車でも紙面が読めることを意味し、実際に実に見やすい画面が提供されている。通信社やテレビのニュース報道にも影響を与えざるを得ない流れとなろう。
情報を圧倒的に紙面でなくパソコンから得ている筆者の場合、最近奇妙なことに気付いた。発足と同時に取っている日経電子新聞の縦書きの記事を、操作によって横書きに直して読んでいることに気付いたのだ。おそらくパソコンや電子端末からの情報収集に慣れている若い世代は同様の傾向ではないか。つまり同じ一覧性でも朝日の手法が若い世代に受け入れやすいのだろう。恐らく朝日内部では新聞紙面をそのまま表示するか、横書きにするかで議論があったに違いないが、横書きは若者の新聞離れにストップをかける意味で有効な手段であろう。筆者は読む気の起こらない長文の特集記事でも電子版なら読む気が起きる。電子版の持つ不思議な特性だ。
電子新聞の特色は、産経を除いて、欲しいニュースを収集して提示する機能、検索機能、そしてスクラップ機能だ。朝日デジタルの場合、「MYキーワード」で必要な単語を入力しておけば関連ニュースを全て集める。筆者の場合「首相」「党」「議員」「院」「相」と設定しているが、これで政治記事のほとんど全てが瞬時に出せる。日経も「MY日経」があるが、朝日のようにピンポイントで取り出してくれない。不要な記事まで提示する。さらに重要なのは検索機能である。日経はケチなことに月25件までの検索しか認めておらず、なんと超過分は1件当たり175円取られる。朝日の場合は過去一年分の記事を無料で見られる。朝日は「朝日コム・パーフェクト」で月525円の契約をすれば一件あたり84円で過去一年分を検索できるが、早速解約させて貰った。本紙との併読の場合「デジタル」の料金は1000円だから、解約すればお釣りが来る。朝日は社説、天声人語の過去3か月分を別途315円で売っているが、検索では過去一年分がストレスなしに提示される。スクラップは記事の上をクリックするだけだ。
問題は無料で見られるニュースサイトasahi・comとの差別化だが、ニュース記事の場合は時間も量もほとんど差が付けられていない。特集記事や解説記事が不要な読者ならasahi・comだけで十分だ。もっともその特集記事も「デジタル」は午前4時にならないと出さないのはおかしい。社説もcomでは夜半から出しているのに、朝まで読めない。“逆差別”ではないか。日経は書かれた記事は全てすぐに読める。ニュース記事に関しては、日経が無料サイトでは記事のリード部分だけしか見せないのとは対照的だ。朝日は無料サイトは広告で成り立っていることから、広告収入が減っては困るのだろうが、肝心のニュースで無差別なのは「デジタル」の読者獲得に影響することは避けられまい。ニュースの表示もcomでは一本で済むものをデジタルでは分割していて読みにくい。たとえばcomでは一本の首相会見詳報を、デジタルでは7本に分けて表示しており、操作が増えて面倒だ。社説まで2つに分割している。
19日は「実質GDP3.7%減」の大ニュースがあったが、夕刊用最終本記が流れた時間を比較すると日経が10時37分、朝日が10時43分、時事通信ドットコムが11時3分で通信社を新聞が凌駕している。新聞もデジタル時代に入って速報態勢が充実してきている。速報と言えば日経には読者にニュース発生のフラッシュを送るメール・システムが付属しているが、朝日にはない。これは大きな欠陥だろう。電子新聞の特色はスピードを伴うことが不可欠である。日経は毎日20本近く速報しており、どこにいてもニュースを知ることができる。産経は月額料金が315円と格安なのが取りえだ。4000円の日経よりは紙面が見やすい。
この朝日の電子化は新聞の宅配システムにも大きな影響を及ぼすだろう。北海道で4000円かけてペイしない宅配をしている朝日が、読者に電子新聞購読を呼びかければ、まるまる月額購読料3800円の中に占める配達料がなくなる。産経や日経のように完全な全国紙とは言い切れないケースでは電子新聞が比較的容易に成り立つが、朝日、読売の場合は宅配を成り立たせてきた販売店との関係も微妙なものになるだろう。「販売店なくして新聞なし」の時代が変わろうとしている。それにしても読売や毎日はのんびりしている。「まだか」と言いたい。
加えて地方紙や通信社の在り方にも影響が必至だ。地方紙は既に朝日や読売から配信を受けているケースがあるが、全国どこでも良質な紙面が見られる時代となれば発行部数にも影響するだろう。一方で朝日が電子新聞の記事を地方紙に売り込めば共同、時事の領域はますます狭められる。共同と時事は日経が速報に参入して三つどもえの速報合戦を展開しているが、そろそろ合併して一つの強力な通信社を作るべき時ではないか。終戦直後の同盟通信弱体化を狙ったマッカーサー司令部の方針を唯々諾々として維持している時でもあるまい。分裂する際両社首脳は「4~5年たったらまた合併しよう」と誓い合ったではないか。民放テレビも浅薄なコメンテーターによる論評、分析が朝日に先行されては形無しだ。
“菅馬”では乗り換えざるを得まい
◎“菅馬”では乗り換えざるを得まい
急流で馬を乗り換えるべきか否かーが政界で一大議論となっている。参院議長・西岡武夫が「乗り換えるべきだ」と18日付の読売新聞で述べれば、阪神大震災で地震対策担当相を務めた自民党の小里貞利(80)が17日、「乗り換えるな」と強調。どちらが勝つかはまだ不明だが、首相・菅直人は急流で流されそうになって立ち往生していることは確かだ。
三権の長である参院議長が正面切って首相に退陣要求するのは、きわめて異例のことである。しかも長文の首相弾劾寄稿文であり、その内容は理路整然としており、26日のサミット前にも衆院で内閣不信任案を出すことを促している。「馬を乗り換えるな」論について西岡は「この言葉は賛成だ」としながらも「それは馬に急流を何とか乗り切ろうと、必死になって激流に立ち向かっている雄々しい姿があってのこと」と条件を付けた。続けて西岡は「けれど、菅首相には、その必死さも決意も、術もなく、急流で乗り換える危険よりも、現状の危険の方が大きい」と真っ向幹竹割りの退陣論を展開している。
これに対して、小里は「阪神大震災の時、野党は気軽に助言してくれた。自然災害こそ国力、国民力を問われる。災害復旧についても超党派で、あらゆるものを犠牲にして取り組むことが大事」とオールジャパンでの取り組みの必要を強調、「急流で馬を乗り換えるべきでない」としている。小里の阪神大震災での指揮ぶりは総じて見事であったと言って良いだろう。しかし小里は重要なポイントを忘れている。時の首相・村山富市が大震災に直面して、自分では対処が無理だと判断、小里を地震対策担当相に任命して“丸投げ”したことである。この「自分では無理」と自らの能力を“見切る”と同時に誰に任せるべきかを判断する能力は宰相たるものの必要不可欠の条件である。ところが菅は「おれがおれが」が先行して、重要施策をことごとく誤っている。とりわけ原発事故の初期対応に致命的な欠陥があるのだ。
一方で、復興実施本部構想でしゃしゃり出て大失敗した国民新党代表・亀井静香は、不信任案上程について「震災への対応をしなければいけないときに、そんなことをしていたら、将来、歴史から笑われる」と述べたが、歴史が笑うだろうか。決して笑わない。むしろ賞賛すると思う。分かりやすいのが明治維新だ。黒船来襲で列強に取り囲まれ、元寇以来の危機に瀕した日本は、徳川幕藩体制をひっくり返して明治維新を成し遂げ、国難を乗り切ったではないか。先人は馬を乗り換えているのだ。
徳川家康に至っては馬を、兵の背中に乗り換えて谷川を渡っている。小田原の陣での出来事だ。家康は大坪流馬術の名手として名高いが、急流を渡るに当たって全ての兵に馬から下りるよう命じ、自分は兵におぶさった。自陣から爆笑が起こったという。しかしものを見る目のある武将らは「海道一の馬乗りとはこのことであろう」と褒め称えた。「馬上の巧者は危ういまねはせぬ」のだという。恐らく家康なら菅の居座りを「急流を越えられぬ馬に乗って死ねと申すか」と一喝したに違いない。確かに駿馬なら降りなくてもいいかもしれないが、制御しにくい悍(かん)馬、跳ね上がる癖のある駻(かん)馬、独りであらぬ方向に走るくせのある“菅馬”では急流で乗り換えねばなるまい。
◎「国会閉幕反対」軸に“菅包囲網”
◎「国会閉幕反対」軸に“菅包囲網”
さすがにこの緊急時に「国会閉幕逃げ切り作戦」はいただけない。自民・公明・共産の各党に加えて新規に発足した超党派の「民自連」までが17日会期延長で固まった。自公両党は会期延長がなければ内閣不信任案を上程するという。いわば会期延長をきっかけにした首相・菅直人への“包囲網”が出来上がった形だ。閉幕方針は被災者無視の政治道義上の問題であり、自己保身で国会を閉じられると踏んだ民主党政権の常識が疑われるところだろう。政権内には「小幅補正の小幅延長」で対処する動きが出ているが、野党は「姑息だ」としており、そう簡単には受け入れまい。
絶好の口実をつかんだと判断したか、優柔不断の自民党総裁・谷垣禎一もようやく本格的“倒閣路線”に踏み込んだ。公明党も同調せざるを得ないだろう。谷垣は「復旧の分野でやるべきことは多く、予算化する必要がある。菅首相が国民の不安を解消できないのであれば、政権担当能力がないということだ。そうであれば、不信任決議案も考えなければならない」と明言。幹事長・石原伸晃にいたっては「国会逃げ切り閉会なるものを、菅首相が本当に考えているならば、亡国だ。万死に値する」とまで言い切った。公明党代表・山口那津男も「しかるべき条件が整えば、菅内閣に対する不信任決議案を提出するということは、一般論としてはありうる」と流れに乗る構えだ。
谷垣の動きの背景には菅の閉幕方針が絶対に世論に受け入れられず、追及の絶好の目標が生まれたと判断したことにある。折から優柔不断の谷垣に対する風当たりも強まりはじめ「菅降ろしの前に谷垣降ろしだ」という声まで生じていた。加えて元首相・森喜朗など党長老らからの“圧力”も相当あったと言われる。森は16日に「民主党を含めどの政党も菅直人首相を代えるべきだと言っている。自民党が提出する場合は『民主党の中で100人近くが賛成する』という人もいる」と述べ執行部に不信任案提出を促している。森の動きの背景には持論の大連立指向があることは確かだ。昨年森らに反発して町村派を離脱した自民党参院政審会長・山本一太のブログでの分析によれば、森の意図は「内閣不信任案を出して、万一可決されれば菅総理は退陣。退陣すれば、次の総理の下で連立をやる。可決されなくても、民主党の内部が割れる。離党したグループと結んで、連立につなげていけばいい」というところにあるようだ。しかし山本は不信任案反対から賛成に転じた。
もっともこうした長老主導による大連立の思惑に中堅・若手らの反発する空気は強い。17日発足した「民自連」もその傾向が濃厚だ。民主党から87人、自民党から22人の合計109人 だからかなりの数が集まった、自民党の場合は森など長老支配への反発が強いようだ。一方民主党の場合は中間派が多く呉越同舟だが、その数から見ても小沢一郎にはくみしないが、菅にも批判的な議員が身の振り方にいかに苦悩しているかを物語っている。議連はあからさまな「菅降ろし」とまではいかないが、国会延長を議決したことからみても「非菅」では共通項がある。ポスト菅で小沢主導ではない大連立を目指す流れを内包しているとも言えるだろう。
このように様々な思惑を秘めながら、大きな政界の潮流は会期延長へと向かいつつある。これに対して民主党執行部は慌てて方針を転換しそうな雲行きだ。2次補正をやるしかないという空気が出てきたのだ。しかしその規模は被災者への支援金加算分など数千億円から1兆円弱程度の小規模で、延長幅も1~2週間の小幅にとどめたい方針のようだ。この方針からは依然保身のための逃げ切り作戦がうかがえる。一方自民党は独自の2次補正案を6月上旬にもまとめるが、規模も内容も本格的な復興補正となる見込みであり、民主党の小幅案はとてものめまい。いずれにせよ補正があろうとなかろうと自公両党の不信任案上程方針は、倒閣が目的であり変えないだろう。参院でも問責決議へと連動する動きがある。
◎じわりと巻狩の輪が狭まってきた:菅降ろし
◎じわりと巻狩の輪が狭まってきた:菅降ろし
狩り場を四方から取り巻き、獣を中に追い詰めて捕らえる巻狩の輪がじわじわと狭められてきた。ポイントとなる不信任案に同調を求める「小沢署名」は徐々に集まりつつある。首相・菅直人はひたすら通常国会閉幕へ逃げ切りの姿勢を見せているが、重要法案の処理が引っかかって逃げ切れるかどうか分からない。
タクシーの老運転手が「歌謡曲じゃないが『お酒だお酒だよ』といいたくなる」とぼやいていた。確かにやけ酒でも飲みたくなる閉塞感が社会にあふれている。政治がリーダーシップを発揮して、明るい展望を示さないことが全ての原因だ。菅政権の打ち出す大震災対策はなんでこうマイナス思考に徹しているのかと思える。「浜岡やめる」に始まって「2次補正早期提出やめる」「国会延長やめる」終いには金融機関に「東電への債権放棄を」と言いだした。銀行の金融支援には、金利の減免や返済計画の見直しなど様々な対応があり、まず民間で話し合うべきものだろう。またまた唐突かつ強権的に債権放棄の案が最初に出てきて、民主党政権は社会全体主義にでもこの国を逆行させるつもりかと言いたくなる。
さすがに国民の目も厳しく、新聞各社の世論調査では二つの傾向が共通して出た。ひとつは「浜岡原発停止支持」だ。各社とも6割から7割に達する。ところが内閣の支持率にこの「浜岡」が作用していないのだ。支持率は各社とも前回と大差なくほぼ横ばい。大震災対策は「評価しない」と答えた人は読売が59%。朝日は「早くやめてほしい」という人が41%、「続けてほしい」は34%。分析すれば「浜岡だけは良いが、あとは皆ダメ」が国民の評価なのであろう。「浜岡」は一過性のパフォーマンスと受け止められているのだ。本質を見抜かれている。
こうした傾向は、ようやく野党を勢いづかせ、政権内にも小沢一郎とは別に微妙な反菅ムードが醸成され始めた。自民党は幹事長・石原伸晃が「菅総理大臣がわが国のかじ取りをしていくことが本当によいのか率直に疑問だ。菅政権に対して、レッドカードをどこかでしっかりと示さなければならない」と不信任案上程を明確にさせた。これまで沈黙を守ってきた政調会長・石破茂も「菅首相に内閣不信任決議案で『辞めろ』と言わなければいけない。衆院では野党を全部足しても可決できる数に届かないので頭の痛いところだが、内閣総辞職に追い込むためあらゆる知恵を絞る」と決議上程に踏み切った。「知恵」とは何かだが、小沢嫌いの石破のことだ、恐らく親しい国家戦略担当相・玄葉光一郎など民主党中間派などへの働きかけだろう。
その側近であったはず玄葉が明らかに「菅離れ」の言動を取り始めた。菅が中部電力浜岡原発の全面停止要請に踏み切ったことを「事前に相談がなく遺憾だ」と批判し、「脱ポピュリズムで強い政権をつくることが求められている」とまで言い切ったのだ。耐えに耐えて菅に仕えてきた玄葉の菅離れは、近くで見れば見るほど菅が首相としての素質がないことを物語るものでもあろう。玄葉の動向は、中間派議員らに影響を及ぼす可能性がある。
一方、小沢サイドは黙々と不信任案に同調させるべく署名活動を展開させている。17日付朝日新聞によると側近が「100人近く集まった」と豪語しているという。話半分とまではいかないだろう。筆者は不信任案成立に必要な75人には限りなく近づいているように思う。小沢サイドが正確な数を隠しているのは、一挙に浮上させる際の常套手段だ。谷垣が「いま刀を研いでいる」と煮え切らないのは、小沢の集める数を注視しているからに他ならない。数が75人に達したとみるや、不信任案上程に公明党も含めて雪崩を打つだろう。
これに対して菅は、幹事長・岡田克也が既にしているように、不信任同調者をけん制しつつ、6月22日の会期切れに逃げ込むしか対抗手段がない。菅は2次補正が遅れる理由について16日「被災地の自治体、県などが7月、8月に復興計画を出す」ことを理由に挙げているが、これはとんでもない詭弁だ。窮地にあるのは被災者であり、一刻も早く予算の裏付けのある復興計画を打ち出すべき時ではないか。自治体のせいにせず、なんで自ら率先して早期に復興計画を作らせ、自治体に対しても早期提出を求めないのか。自らの保身のためと馬脚が現れているではないか。この緊急時に政治の放棄ともいえる「逃げ菅」路線だけでも不信任案上程の最大の理由になり得る。
◎脱原発、サミット向けに早くも「トーンダウン」
◎脱原発、サミット向けに早くも「トーンダウン」
窮地に陥った人物のやりたい放題を論語で「小人窮すればここに濫(らん)す」というが、どこかの国の首相のためにあるような言葉だ。当初はしてやったりとばかりに意気揚々だった「浜岡原発停止」をうけた「原発ドミノ倒し路線」も、首相・菅直人は早くもサミットを控えてトーンダウンを余儀なくされ始めた。方向は「原発安全性高め堅持」であり、新エネルギー計画の柱に据えたはずの再生可能エネルギーも「重視」の表現にとどめるという。国民の感情論をあおって支持率回復を狙いはじめた市民運動家・菅に、人気取り政策の効かない国際社会の現実は厳しい。
最近の政界を取り巻く奇妙な風潮は、原発事故で総裁・谷垣禎一以下自民党が従来の原発政策を反省してうなだれ、菅が鬼の首を取ったように一転活性化していることだが、ちょっと話しが違うのではないか。原発重視のエネルギー戦略は確かに自民党政権が推進し、日本の産業構造を世界に冠たるものに仕立て上げる原動力となっててきたが、民主党政権はこれに輪を掛けた原発重視路線を打ち出しているのだ。現在30%にとどまっている原発依存度を「2030年には総発電量のうち50%を原子力とする」と決めたのは2010年6月の菅内閣の閣議決定だ。何と14基以上も増やすという方針であり、まさに原発ルネサンスの先頭を切る勢いだった。菅はこの基本路線を突っ走ったあげくに、海外への売り込みもなりふり構わずに展開し、同年10月にはベトナムのグエン・タン・ズン首相との首脳会談で売り込みに成功。規模は1兆円にのぼる成約だ。
これに味を占めた菅は首脳外交で米国などへの積極的に売り込みを展開しようとしていた矢先の福島原発事故である。民主党内では歴代自民党政権の原発政策の責任に転嫁しようとする発言が相次ぐが、これを「猿の尻笑い」という。一方、「浜岡」は君子豹変というより「窮すれば濫す」が正解だ。全くの独断で「手柄を独り占めしようと」突っ走ったのが証拠だ。筆者が「原発ドミノ倒し」と指摘した通り、発表の直後に臆面もなく「原発50%」を取り下げ「白紙に戻す」と言明した。しかし菅はサミットがあるのを忘れていた。
サミットは仏ドービルで26、27日開かれるが、諸外国首脳の中で議長である大統領・サルコジが「浜岡停止」の報に一番驚いたようだ。超原発依存国であるフランスにとって福島事故はその政策の基本を揺るがしかねない問題をはらんでおり、原発推進のアメリカ、イギリスと組んでなんとか原発政策維持の方向で議長声明をまとめるべく調整をしているところだったのだ。ドービルを「原発サミット」にしたいのだ。このためサルコジが訪日の際菅に対して原発政策維持を要請したとの説もある。日本が方向転換しなければ、あとはドイツ首相のメルケルが脱原発で声を荒げないように説得すれば良いのだ。このためサルコジは東京の大使館に対して「直ちに真意を探れ」との指示を出したとされる。
こうした反応が首相官邸にも届き、菅はフランスの思惑と国内向けに「良い顔」をしたいはざまで揺れ始めた。しかし官房副長官・仙谷由人は「原発はベストミックスを修正しながら堅持する。これまで以上に気をつけながら継続する」としている。東京電力が、安定供給、環境性、経済性を総合的に考えながら、原子力、火力、水力など、それぞれ特長を持つ発電方式をバランスよく組み合わせた電源設備づくりを「電源のベストミックス」と呼んでいるのを受けた言葉だ。おそらくこの仙谷の方針に影響を受けたのであろう、サミット向けに菅もトーンを変えざるを得ない方向となって来たのだ。だいいち菅が強調する太陽光や風力、バイオマスといった再生可能エネルギーを原発を補う柱に据えるのは現在の科学技術では不可能の部類に属する。空想的に将来を語るのは自由だが、サミットで現実の解決策として提示するには無理があるのだ。毎日新聞によると菅は再生可能エネルギーへの「シフト(移行)」という考えを21日からの日・中・韓首脳会談で表明したい考えだったようだが、脱原発の姿勢だと誤解を招きかねないないことから同首脳会談でもサミットでも「重視する」程度の表現に落ち着く方向だという。また読売によるとサミットでは「原発は安全性を高めた上での利用継続」の方針を打ち出すという。
サミットでは「より安全な原発維持」を前面に出し、再生可能エネルギーの推進は将来の課題とせざるを得ない流れとなって来ているのだ。要するにトーンダウンである。そもそも福島原発事故はチェルノブイリの惨事とはほど遠いものの、収束にむかっての苦闘が続き、避難を余儀なくされている住民が出ている状況である。この段階で長期エネルギー計画を提示することは、感情論に流されやすく国家百年の計にはなり得ない。ましてやその国民感情を“活用”して保身を計るごときは許されるものではあるまい。ここは原発が落ち着きを取り戻し、国民感情が平静になった時点で考えるべき課題だろう。
16日付朝日の世論調査の特徴は「浜丘停止」の大向こう受け政策にもかかわらず、菅に早く辞めて欲しいが41%と変化がなく、同紙は「政権への眼差しが大きく好転したとは言いがたい」と分析している。調査結果をきっかけに朝日は、これまで「菅降ろし」を「失速」と断定してきた方針を転換、関連政局原稿で、「野党が内閣不信任案提出を視野に対決姿勢を強めるだけでなく、民主党内にも同調を探る動きもあり政権の反転攻勢は容易ではない」と何と“失速を失速”させたのだ。読売の調査でも支持率は30%で、不支持率が60%と大きく上回った。何はともあれ講談では「小人に罪なし玉を抱きて罪あり」とも言う。菅さんには罪がなく、首相の地位という玉座が悪いのでござりましょうか。母親なら「この手が悪い。この手が」としかる。
◎ささやかれる「問責」での参院先行説
◎ささやかれる「問責」での参院先行説
内閣不信任案提出で煮え切らない衆院に業を煮やしてか、参院自民党内で首相問責決議先行説がささやかれている。問責決議なら野党だけでも可決可能であり、首相・菅直人退陣への導火線にしようというわけだ。早ければ5月下旬か遅くとも6月上旬に可決させてムードを盛り上げ、最終的には衆院が内閣不信任案でとどめを刺すという戦略だ。菅は問責には法的根拠がないとして居座るだろうが、問責を可決されて逃げ切れた政治家はいない。問題は世論の反発が激しいかどうかであり、これを気にする公明党の動向も問題だ。「やる場合は一挙に浮上させて可決に持ち込むしかない」と自民党筋は漏らしている。
参院問責先行論は菅が6月22日で通常国会を閉幕させ2次補正を臨時国会で行う方針を固めたことから、対応を急ぐ必要があると、焦燥感が伴って出てきている。12日はこの菅の「夏休みへの逃げ込み」策に対して、澎湃(ほうはい)と反対論がわき起こった。自民党の派閥の長が一斉に反対したのだ。伊吹文明が「少なくとも被災者の生活支援は今の国会ですぐに手を打つべきだ。これすらやらずに国会を閉じることは許されない」と述べれば、麻生太郎は「これはまさに『政治空白』だ」。町村信孝は「『国会は休んでます。菅総理は海外で華やかな外交をやっています』ではおさまらない」と猛反対。
参院議長・西岡武夫も「2次補正は復興会議の結果を待ってとなると何のめに内閣、国会があるのか」と政権の本末転倒を指摘。「首相としての資格を改めて疑う」と菅の資質論にまで踏み込んだ。西岡は4月下旬に鳩山由紀夫から「参院で問責を考えて欲しい」と持ちかけられて言を左右にしたが、12日の発言は問責も辞さない方向へ踏み込みそうな気配を見せている。参院に人脈のある自民党代議士・塩崎恭久もメディアで「不信任案の提出は党内では議論が分かれるところだが、5月中に参院での問責決議の提出はあり得る」と問責先行説をほのめかしている。
ささやかれている問責戦略は、問責を可決しても、大震災対策を考慮して参院審議は粛々として行い世論の反発を回避するのが眼目。震災対策などの法案も通すべきものは通すことを基本としているようだ。菅への不支持だけを“浮き彫り”にして、菅への質問も行って、政治的に追い詰めようというわけだ。菅が辞任しない場合には、民主党内の動向を見極めつつ、衆院での不信任決議の可決に持ち込む機会をうかがうというもののようだ。
問題は問責で菅が辞めるかどうかだが、政権に固執する菅は76年の「三木降ろし」で抵抗した首相・三木武夫そっくりだ。やはり連休明けに浮上した倒閣の「椎名工作」に端を発した動きは、自民党内で高まりを見せたが、三木は辞めず、結局任期満了選挙で敗退して12月に退陣した。半年かかったのである。しかし問責を可決させた場合は話は別だ。冒頭述べたように問責可決を受けて最終的には辞任に追い込まれなかった政治家はいないのだ。首相に対する問責も、2008年に福田康夫は3か月後に辞任。2009年の麻生太郎は2か月後に辞任に追い込まれている。時間はかかるが問責が退陣を担保する手段としては最適だ。逆に言うとこれしか手がないかも知れない。
◎渡部黄門が“誕生会”で党分裂回避狙う
◎渡部黄門が“誕生会”で党分裂回避狙う
中曽根康弘を継ぐ「政界風見鶏」は誰かと言えば、民主党最高顧問・渡部恒三だろう。筆者とは「ワタスは東北のケネディーだす」と言って当選してきて以来の仲だが、渡部の言動をつぶさに追っていれば、だいたいの方向は分かる。田中角栄の薫陶を受けただけあって筆者とは政局観が奇妙に一致するのだ。今度の小沢一郎との誕生会復活も、渡部の嗅覚が見事に働いている。おぼれる菅が「浜岡原発停止」で“浮き輪”を掴んだと判断、当面菅を助けようとしているに違いない。しかし今回の渡部判断の欠陥は、ジョークで済むほど事態は甘くないことだ。
とにかく同期の戦いは政界でも民間でも死ぬまで続くが、負ける方はだいたい人が良くて、ずるがしこさがない。69年当選の渡部は小沢と同期で、田中派時代は二人とも7奉行とされ、年の差が10歳あったが互いに競い合ったものだ。碁仲間ではあるが、時にはすさまじい戦いも展開した。最近では小沢の意向で衆院議長になれず、横路孝弘に奪われたし、最高顧問もクビになった。仕返しは小沢の党員資格停止処分だ。「政治とカネ」で、党倫理委員長として処分を答申したのは渡部自身だ。
渡部はこの党員資格剥奪で最終戦争に勝ったと踏んでいた。ところがどっこい小沢は復活した。折からの菅批判の波に乗って党分裂も辞さぬ動きを開始したのだ。すでに菅を追い詰めるため、両院議員総会招集に必要な136人を上回る署名を集め終わり、戦う準備は着々と進んでいる。内閣不信任案にも同調しかねないとされる。一方菅は「浜岡で勝った」とばかりにはしゃぎ始めており、周辺に内閣改造説まで流させて、元国会対策委員長・樽床伸二ら「中間派」への“おいしい話し”を持ちかけている。閣僚定員増加法案の成立などとてもおぼつかないのに、改造情報とは恐れ入る。捕らぬ狸の皮算用とはこのことだ。このまま激突のコースを走れば、党分裂だが、渡部にとって分裂ほど怖いものは無い。79歳で政治家人生は事実上終わりとなる。どの政党ももう“雇って”くれないからだ。
したがって菅には11日夜公邸で会食して「菅内閣を支える」と表明。小沢対策としては原理主義者の幹事長・岡田克也に党員資格問題で「融通を利かせろ」と働きかけたのだ。しかし、渡部は菅をとことん支援する構えにはないとみた。今月24日にともに誕生日を迎える小沢との誕生会に愛弟子・前原誠司を同席させるのがその証拠だ。渡部はとかく小沢批判で厳しい立場を貫いてきた前原を同席させることで、ポスト菅の「認知」をさせようと計っているのだ。前原は最近グループの若手が小沢グループと接触するのを奨励しており、スタンスを変えようとしている。小沢も悪い感情をぬぐいつつあるようだ。渡部は菅への「絶対支持」ではなく、あくまで党分裂回避が狙いなのだ。
このように誕生会をめぐる渡部の思惑は“特定”できるが、冒頭述べたように誕生会をやったからと言って、物事が収まるわけではあるまい。政治家は最終決戦の腹は固めていても、最後の最後まで多数の支持を目指すものだ。誕生会をやろうといえば小沢も「ノー」とは言わないのだ。菅政権をめぐる病状は会期末に向けてより深刻度を増そうとしており、根本的な治療につながらない対症療法を繰り返してもらちは明かないだろう。
◎与野党は復興のため今こそ「通年国会」を目指せ
◎与野党は復興のため今こそ「通年国会」を目指せ
「首相の座にしがみつくことだけが目標の人」とは元官房長官・武村正義の名言だが、首相・菅直人の言動は全て“唯地位論”で説明が付く。今国会を6月22日で閉じて、復興のための第2次補正予算案提出は8月下旬の臨時国会という方針も、自らの地位保全のための“逃げ菅路線”に他ならない。一刻も早く復興に着手するための財源手当が3~4か月遅れることになる。「復興に命を賭ける」という菅の発言は「保身に命を賭ける」と訂正して貰いたい。口先とは逆にあえぐ罹災者が目に入っていないではないか。人道的にも許されない国会空白化の夏休み方針だ。
筆者はかねてから菅が通常国会を6月22日で閉じると予測していたが、いよいよ具体的になって来た。菅自身は10日、延長につながる2次補正の国会提出を「白紙」としたが、周りは「延長なし」で固まっている。というか菅が固めさせたのだろう。国会対策委員長・安住淳は9日、会期延長について「延長は考えていない」と述べるとともに、第2次補正予算案に関しては「早ければいいという話ではない。復興構想会議や地元自治体の議論を見ながら対応すべきだ」と述べ、今国会での処理を見送り、次期臨時国会に先送りする方針を明らかにした。ところが安住は5日には「今国会中になんとか1次、2次と連続的にやるべきだ」と述べたばかりである。これは、同日官房副長官・仙谷由人が会期延長を否定していることから、政権内部で調整がなされたのは明らかだ。
なぜ避難者が11万人も避難所であえいでいる時点で 、国会だけ早々と「店じまい」できるのだろうか。背景には、冒頭指摘したように、ひとえに菅の保身がある。一つは20兆円に達するとみられている2次補正財源のめどを立てられず、追及から逃れるため。一つは与野党にある「菅降ろし」から身をかわすためである。この自分あって被災者なしの方策をどうやって成し遂げようとしているかだが、そういう知恵だけは達者だ。もっとも筆者に分かるようでは淺知恵だが。まず菅は復興構想会議の答申と「税と社会保障の一体改革」の結論を6月末に設定した。同月22日の会期切れをわざわざ越えての設定は当初から会期延長せずの意図があった。とくに復興構想会議議長・五百旗頭真は、おそらく菅のいいなりに復興税を冒頭から提唱しており、答申も菅の目指すであろう国債発行と消費税による償還を軸にしようとしているのだろう。この“自ら作ったお墨付き”を得た上でないと、20兆もの復興財源を確保出来ないとみたのだ。
かって田中角栄は「国会議員は毎月給与を貰っているのだから、国会も一年中開いておくべき」と通年国会論を主張したものだ。海外では日本のような議会の会期制はほとんど用いられていない。アメリカやイギリスでは会期は1年単位であり、ドイツやフランスは下院議員の任期中が1会期である。会期で区切る方が異例なのだ。支援してくれている諸外国が、日本は国会が夏休みにはいったそうだと知ったら、あきれるのではないか。菅は自らの歳費の6月からの返上を発表したが、まさか田中流思考に配慮したものでもあるまい。政治は今こそ通年国会を目指すべき時ではないか。
当然野党は「無慈悲な自己保身」を突くべきだろうが、優柔不断な自民党総裁・谷垣禎一では心許ない。わずかに問題点をとらえたのは参院自民党幹事長・小坂憲次だけだ。「被災地は復興が軌道に乗ったと言える状況にない。国会を閉じるというのはとても考えられる状況ではない」と批判している。
もっともこの「逃げ菅」路線はそう簡単ではない。だいいち011年予算執行の裏付けとなる特例公債法案が成立しなければ、内閣は責任を取って総辞職すべきものであろう。予算の執行が滞るのでは内閣の存在意義がなくなるわけだ。当然野党はここを突く。そして参院の問責決議を先行させるか、衆院に不信任決議を提出するだろう。また復興基本法案や閣僚増員のための内閣法改正案も内閣の命運を左右する法案だ。これらの法案を会期延長なしに通すことはきわめて難しいと見なければなるまい。したがって会期延長をめぐる綱引きが今後始まるが、自己保身と看破されては「延長なし」は容易ではあるまい。まさに政治の道義的責任が問われる事態だ。
◎“英断”の背後に「原発ドミノ倒し」の思惑
◎“英断”の背後に「原発ドミノ倒し」の思惑
浜岡原発問題は防潮堤の構築を急いで遅くとも二年後には運転を再開すればよい。安全確保の施策に大騒ぎすることはない。問題は原発事故が首相・菅直人の市民運動家としての原点を目覚めさせたことにある。さすがに影響の大きさを考えて「浜岡限定」を口にしているが、長期的には「原発ドミノ倒し」によるエネルギー政策の転換を目指しているのとしか思えない。新エネルギーといえば聞こえがよい。選挙もこれを争点にすれば民主党は窮地を脱せられるかもしれない。しかしできもしない新エネルギーの幻想をばらまいたままの、原発ドミノは即日本経済の破綻に直結する。
社会党への“先祖返り”を繰り返し、普天間で鳩山由紀夫転落のきっかけを作った社民党党首・福島瑞穂が、またまた一役買っている。菅は4月はじめから「浜岡」が起死回生の妙手になると気付いていたようだが、最終的に決断したのは「浜岡停止」を迫った2日の福島の代表質問だったようだ。その後も福島は電話などで「浜岡のメリット」菅に吹き込んでいる。菅は、この日本の経済基盤が壊れようが左翼イデオロギーを貫き通す福島に乗ってしまったのだ。5日には経産相・海江田万里を浜岡に派遣、準備を整えた。視察後海江田は今月中頃に浜岡原発の緊急策が妥当かどうかの結論を出す方針を明らかにしたが、菅は何と翌日の6日に一足飛びに「浜岡停止」を発表してしまったのだ。
欣喜雀躍したのは社民党と共産党と朝日新聞だ。もろ手を挙げて歓迎し、朝日は七日付の社説でなんと率先して「原発ドミノ倒し」を主張したのだ。「原発、危ないなら止める」と題する社説で「ハイリスクと懸念される原発は浜岡以外にもある。危険性の高い原発を仕分けする必要がある。『危ない原発』なら深慮をもって止めるという道への一歩にしたい」と、さらなる原発停止を求めた。現在日本には54基の原発があり、このうち震災で停止が14基。定期検査で停止が17基で、これに浜岡の2基が加わる。13か月ごとに定期検査をするからさらに14基が定期検査予定だ。原発絶対阻止の市民運動グループは、菅の停止要請に勢いづいて原発稼働ゼロを目指しており、停止中の原発の再開阻止をそのきっかけにすべく各地で運動を起こしている。「ドミノ倒し」を合い言葉に、今後大きなムーブメントに発展して行くことは避けられないだろう。
この菅の「市民運動家返り」に加えて、もっとも違和感を感ずるのは保身しか考えない決定の過程である。連休明けの「菅降ろし」を意識して、エネルギー戦略の転換にもつながる超重要課題を閣議にもかけずに発表した手続きからも、いかに菅が焦ったかが分かる。菅は、海江田の浜岡視察をきっかけに、方針が漏れて党内や閣内から慎重論や反論が出るのを恐れたのだ。さすがに経団連会長・米倉弘昌は看破している。「民主党政権は結論に至る思考の過程がブラックボックスに入っている。民主党政権になってから結論だけがぽろっと出る。唐突感は否めない。だれがどう議論したのか。詳しく国民に根拠を示し説明すべきだ」と本質を切っているのだ。この「唐突感は否めない」は臆面もなく「首相英断」と賛美した静岡県知事を除いて、原発を抱える道県知事の共通した認識でもある。北海道、福井、石川、島根、愛媛、それに佐賀の各知事も、再稼働について、国による詳しい説明がないことから、「唐突だ」「判断ができない」と反発している。「唐突感は否めない」という発言は「保身だから信用出来ない」ことを婉曲に言っているにすぎない。
要するに「浜岡」のケースも菅の「独断専行の習癖」が出たのだ。誰にも相談なしの消費税導入に始まって、中国船船長釈放、谷垣への電話による大連立呼びかけなど一連の政治手法の延長線上のものだ。今回の特徴は原発事故を逆手にとって、それを水戸黄門の印籠のようにかざして国民の危機感をあおり、大衆の支持を得ようとする底意が見られるのだ。原発事故の深刻さをパフォーマンスに利用したとしかい言いようがない。大衆の象徴であるコメンテーターらがひっかかって一斉に「大英断」と賛美しているが、普通の首相だったら誰でも気付く問題を、実施に移しても大英断とは言わない。
かくなる上はサミットで菅が「新エネルギーでの代替」などとぶって、各国国首脳から「ほう、日本には原発に代わる大発明があるのですか」と軽蔑されないよう祈るばかりだ。原発による5千万キロワットの電力を太陽光でまかなうには東京と大阪を合わせた面積が必要との試算もある。現在の科学技術では不可能な領域なのだ。福島の原発事故は政治家の政治的思惑に“活用”すべきものなどではなく、より安全な原発への脱皮を目指す“聖域”ととらえるべきものなのだ。菅の意図する流れは「原発ドミノ倒しー産業界パニックー原発大不況へ」と直結するのだ。慌てて官房副長官・仙谷由人が「私どもの原発戦略として原発を堅持する」と水をかけはじめたのは、そこに気づいたからに他ならない。菅も「浜岡は特別なケース」とマッチポンプに懸命だが、とても信用出来ないうえに、警戒しなければなるまい。今週行われる集中審議で野党は、“英断”の背後を突くだろう。
◎連休明け政界、百鬼夜行の局面へ
◎連休明け政界、百鬼夜行の局面へ
連休中の政界とマスコミの動きを分析すると、政界は「菅降ろし」を遠巻きにして、連休明けからじわじわその輪を狭めようとしている。菅直人はしがみついた首相の座を死んでも離さない姿勢。一方全国紙は菅政権支持の方針を鮮明にさせた朝日が、全ての政治報道を「菅降ろし失速」のトーンで統一。逆に産経は全ての政治現象を「菅降ろし過熱」といった表現で、何が何でも倒閣につなげようとしている。いずれも不偏不党の標榜とはほど遠いありさまだが、現実に紛れもなく存在する政治の動きをあえて無視しようとしている朝日に報道の公正さに問題がある。
新聞紙面がこれほど割れたことは珍しい。朝日が「倒閣失速」と書いた3日に読売は、「菅降ろし駆け引き本格化」である。政局の読みが真っ向から対立した紙面だ。しかしその前の4月26日付社説で朝日は「菅おろしの余裕はない」と菅政権支持を打ち出しており、この編集方針に統一された意図的な記事だといえよう。朝日はまさに「菅降ろし反対」をキャンペーンにしており、4日の社説でも「政争やめるにしかず」で追い打ちを掛け、7日付紙面では編集委員・星浩が再び「菅降ろし失速」と駄目押しをした。ところが6日には小沢の注目すべき発言があった。内閣不信任案が提出された場合の対応について、「今、そんなことを考えるわけではない」としながらも、菅の東日本大震災、福島第1原発事故への対応を「手をこまねいていて済む問題ではない。『政府の対応はこのままではいけない』という声を強くしていきたい」と述べたのだ。この発言を読売が、「小沢氏『声大きくしていく』政権批判強化へ」、日経「小沢元代表、表立った首相批判を開始」、産経「首相退陣論の広がりに期待、菅政権を重ねて批判」と、いずれも菅降ろしへの前向き姿勢ととらえた。しかし朝日のみが「小沢氏、政権見守る考え、不信任案『今は考えていない』」と、あたかも菅降ろしを断念したかのような掌握の仕方だ。
事実や政治家の意図をねじ曲げてもここは菅降ろしをつぶそうという、魂胆がありありと見える紙面構成だ。朝日だけを取っている一般読者はそうかと思わざるを得ない巧妙な紙面でもある。しかし実際に菅降ろしは失速しているのだろうか。失速とは飛行機が飛びたったあと操縦の自由を失って危機的状態に陥ることを意味するが、実態は逆だ。菅包囲網はじわりと狭まっている。朝日は1次補正成立を、失速の原因に挙げるという決定的な間違いをしている。1次補正は緊急災害対策であり、野党も反対は不可能であろう。問題は巨額な財源を必要とする第2次補正をめぐる思惑や赤字国債発行法案など予算関連法案がひしめいている会期末までを見通しているかということだ。普通の政局判断があれば菅降ろしは、まだこれからであることが判る。
もっとも菅降ろしをする側も、与野党共に調整すべき課題はある。まず民主党内だが、小沢と鳩山由紀夫の間に取り組み方の齟齬(そご)がある。小沢は野党の不信任案に乗ってもよい構え、つまり党分裂も辞さない構えだが、鳩山は違う。鳩山は「党分裂を来さない菅降ろし」が基本だ。野党は公明党が“よい子”になろうとして、大震災無視の政変に躊躇しているのが気がかりだが、代表・山口那津男の物言いから見て、菅を見限っていることは確かだ。自民党内は、大連立を視野に入れた場合小沢と組めるかどうかが焦点だ。元首相・安倍晋三らは小沢と組んでもいいという姿勢だ。つまり倒閣で連立だ。逆に古賀誠らは菅で連立も辞さない構えだ。つまり現政権を母体にした連立だ。一方で連立自体に反対する勢力もある。統括すべき総裁・谷垣禎一は倒閣発言にふみきったものの、持ち前の優柔不断さが災いして党内の意見を集約して行動としての倒閣に踏み切れないでいる。
こうした攻める側の思惑が一つの動きとして収れんされていくまでには、時間を必要とする。しかし菅が逃げ込もうとする通常国会会期末6月22日までの1か月半は、まさに百鬼夜行の政局が現出するだろう。大震災への対応の緊急性から言っても会期延長は当然すべきであろう。とても早々と「菅降ろし失速」などと断言できる情勢ではあるまい。だいいち飛ばないうちから失速するわけがない。菅は浜岡原発の停止要請など一時しのぎのパフォーマンスで乗り切ろうとしているが、例によってあまりにも唐突で、根底には保身の思惑がありありである。やっと及ぼす問題の深刻さに気付いたか、急きょ政権は菅も官房副長官・仙谷由人も8日、原発停止を浜岡のみに絞ることを表明。新エネルギーが代替エネルギー源になり得ない状況下においては当然だ。これでは支持率が若干戻っても一過性だろう。























