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◎野党質問は“冷め切ったピザ”だ


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◎野党質問は“冷め切ったピザ”だ
  形骸化した党首討論はもうよい
 イギリス議会における二大政党のクエスチョンタイムをモデルにして、日本でも1999年7月に党首討論が開始された。内閣総理大臣小渕恵三に対して民主党代表鳩山由紀夫が行った質疑が草分けだ。鳩山は「きょう総理は朝何を召し上がったでしょうか。私は、けさはピザを食べてまいりました。」と質問。小渕は「いつものとおり日本食の食事をいたしてまいりました。温かいピザを食べられたということでありますが、アメリカのオルブライト国務長官から以前、冷たいピザもまたおいしいと言われたことがあります」と皮肉った。ニューヨーク・タイムズが取り上げて小渕を「冷めたピザ」と評したことから有名になった。30日の首相安倍晋三と野党の質疑を聞いたが、野党の質問は既に出た話しの繰り返しで「冷め切ったピザだ」やめた方がよい.
 とりわけ立憲民主党代表の枝野幸男の質問は、何ら進展のないモリカケ論争に終始した。従来と同じ質問を繰り返す枝野の姿勢には、「もういいかげんにした方がよい」という茶の間の声が聞こえるようであった。片山虎之助が「もう党首討論のあり方を全面的に見直した方がいい」と述べているがもっともだ。
 枝野は安倍が「贈収賄では全くない」と答弁したのをとらえて、「急に贈収賄に限定したのはひきょうな振る舞いだ」とくってかかったが、贈収賄でなければなぜ追及するのか。安倍も夫人も潔白が証明済みであり、贈収賄でもない事柄を性懲りもなく過去1年半にわたって繰り返し追及する方が、重要な国会論議という資源の無駄遣いをしているのではないか。枝野は「金品の流れがあったかどうか。森友問題の本質とはそういうことだ」と断定したが、大阪地検の捜査からも政界を直撃する問題は、何も出てきそうもないではないか。贈収賄があるがごとく国会で発言する以上、金品の流れの証拠を提示すべきだろう。
 枝野に比較すれば外交問題を取り上げた国民民主党共同代表の玉木雄一郎のほうが聞き応えのある質問をした。安倍からプーチンとの個別会談について「テタテでは平和条約の話ししかしていない」との答弁を引き出したのは1歩前進であった。
 総じて論戦は野党の焦点が定まらないため深まらず、開催意義そのものが問われる結果となった。当初は英国議会の例にならって2大政党の党首による政策論争を想定したが、現状は少数野党の分裂で、質問時間も立憲民主党19分、国民民主党15分、共産党6分、日本維新の会5分と細分化された。野党は自己宣伝が精一杯であり、まともな質問をしにくい傾向を示している。
 枝野は「追及から逃げるひきょうな姿勢」と「ひきょう」という言葉を何度も繰り返すが、こういう質疑の構図が生じたのはひとえに野党の議席減という自ら招いた結果であることを忘れるべきではあるまい。終了後、枝野はただ一ついいことを言った。「党首討論は歴史的意味を終えた」である。確かに与野党党首の真剣勝負の場は形骸化した。野党も分かっているなら開催要求をすべきではない。国会にはちゃんと予算委員会という総合質疑の場があるではないか。あれもこれもと要求しても、あぶはち取らずが関の山だ。
◎俳談
【俳句と政治家】
 政治家の俳人で本物は大野伴睦と藤波孝生だろう。俳号「万木」の大野が保守合同の立役者三木武吉を詠んだ句が
三木武吉涼しく痩せて眉太し  万木
人物描写の句は珍しいが、秀逸である。「涼しく痩せて」はなかなか言えるものではない。
 政治家には運不運がつきものだが、中曽根康弘と死んだ藤波孝生ほど際だつものはない。藤波の俳号は孝堂(こうどう)。
両人とも俳句をやるが性格はその作に如実に現れている。
暮れてなお命の限り蝉時雨 康弘
控えめに生くる幸せ根深汁 孝堂
 中曽根は首相になって藤波は官房長官にとどまったが、ライフスタイルが天と地の開きがあった。
 俳句の通りに中曽根は日がとっぷり暮れたのにもかかわらず、あちこちでうるさく鳴き続けた。まさに「生き強い」人間の典型である。しかし俳句の方は中曽根の創作ではあるまい。芭蕉の
やがて死ぬけしきは見えず蝉の声
のパロディーと言ってよい。プロならその類想性をすぐに看破する。それでも中曽根は
したたかと言われて久し栗をむく
だそうだ。
 一方、藤波はリクルート事件の波をもろにかぶった。一部に総理大臣候補だとされていたと言うが、盟友竹下登のリップサービスが作った虚像の色彩が濃い。本人はその意欲もなく、能力もあったかどうかは疑わしい。控えめに生きて中曽根の補佐をするのが幸せな部類の政治家であった。しかし俳句だけは政界では大野と並ぶ一流だろう。