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◎俳談

◎俳談
【言い過ぎない】
芭蕉の弟子服部土芳(はっとりとほう)が、芭蕉の教えを発言集の形でまとめた本に三冊子(さんぞうし)がある。「白冊子」「赤冊子」「忘れ水(黒冊子)」の3部からなり、蕉風俳句を忠実かつ体系的に伝えようとしている。この中で芭蕉は言いすぎないことの重要性を説いている。<下臥(したぶし)につかみ分けばやいとざくら>という句について言い過ぎだといっている。句意は、「風にゆれる枝の下に臥して摑みわけたいくらいの糸桜である」と言ったものだ。これについて去来が「糸桜が華やかに咲き誇ったさまを言い尽くしたものですねぇ」と水を向けると芭蕉は、「言ひおほせて何かある」と答えたのだ。「俳句の世界ではものごと言い尽くしてしまえば、後に何が残ろうか」と諭したのだ。まさに作句の急所をついた発言として未だに語り継がれている言葉だ。
 翻って初心者の句を見ると言い過ぎ句、山盛り句が一杯である。俳句は短い中でいかに余韻をもたらすかが最大のポイントである。明白すぎる説明はせず、余韻を残すのだ。
打水の最初の客となりにけり 読売俳壇入選
 掲句は料亭の前に打水がしてある情景を詠んで、すがすがしさを狙った。打水といえばいまは料亭くらいのものであり、「料亭の打水」と言ってはぶちこわしとなる。日本の文学は明白すぎる説明はせず、行間を読むことが読み手に求められてきた。作者はいかに省略するかに腐心する。とりわけ俳句は省略の文学である。
『蕉門俳諧語録』でも、芭蕉は「句は七八分にいひつめてはけやけし(くどい)。五六分の句はいつまでも聞きあかず」と述べている。いかに五六分の句を作るかに腐心しなければなるまい。