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◎俳談

◎俳談
【俳句と感性】
秋の空露をためたる青さかな  子規
俳句は短詩である。したがって何よりも感性が求められる。表面には出なくてもその句の根底にある感性である。子規の掲句は秋の空が露をためているかのように、詩人子規の目に映った。そう映らなければ出来ない俳句である。つまり子規の感性そのものが現れた俳句なのである。
寺山修司が
マッチ擦るつかの間海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや 
と詠んだが、これも感性の固まりのような短歌である。読者を霧の深い海でマッチを擦るという感性の世界にひきづりこんでおいて、身を捨てるほどの祖国があるのかと問いかける。マイクでがなり立てる反戦論者より、百倍の訴求力がある。
爽やかや四角のビルより退職す 東京俳壇1席
評には「四角のビルという平凡な言葉が抜群に生かされて作者の生涯が見渡せる」とあった。職場を「四角のビル」と称する感性を感じてもらえたのであろう。この感性は持ち前のものだろうか、それとも育てられるものであろうか。筆者は両方あると思う。生まれながらに詩的感性を持つ人間はそれほど多くはない。しかし俳句は作句の技術とは別に多作すれば感性も自ずと育つものなのである。素地としては歌謡曲に感動する感性があれば十分だ。後は育つ。
春寒の夜に空襲のありしかな 日経俳談1席