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4690] Xmasビッグ・プレゼント Name:浅野勝人 

4690] Xmasビッグ・プレゼント Name:浅野勝人 NEW! Date:2015/12/24(木) 20:39 
 
Xmas ビッグ・プレゼント!
安保政策研究会理事長 浅野勝人

入手困難:貴重なお歳暮に感動!
奇妙なお歳暮が届きました。縦横35㎝、深さ10㎝の変形立方体のカバンが2個。旅行にはもってこいの立派なものです。

開けてビックリ玉手箱! 出てきたのは終戦直後の1940年代後半から50年代の何冊かの「毎日グラフ」「アサヒグラフ」と「画報 近代百年史―国際文化情報社」第一集(1850~1863)から第18集(1946~1950)まで100年間の全編(巻)18冊がそろい踏み。セロテープで入念に補修しながら目を通して再度ビックリ。こんな画報(解説付きの写真集)が日本にあったとは驚きです。

“ 知らぬは仏ばかりなり”か、国立国会図書館に聞いたところ、全編2セット保存されており「1989年に複製されたので、それをご覧になっている方はあると思いますが、原本が18冊、全編そろっているケースは稀です」という事でした。
ちなみに、アマゾンで検索してみたら、18冊、全巻(編)そろいの原本は38,880円で6セット販売されていました。これにて品切れ、再入荷の見込みなし。と注釈がありました。

第一集は、「東亜に警鐘は響く」の見出しで、列強の中国侵略100年戦争の端緒となったアヘン戦争(1840年)の模様が生々しく伝えられています。敗北した清朝が、香港の割譲を決めた南京条約を締結した調印現場の写真は得難いでしょう。「黒船は江戸にまで入ってきた」では、来日2度目のペルーが日本側全権と会談のため、横浜村に上陸(1854年3月8日、安政元年2月10日)した瞬間の写真が貴重です。

興味深いのは、第十三集(1931~1933)です。
「嵐を呼ぶ満蒙の大地」では、「満洲事変(著者註:中国名9・18事変)起る。平和は遂に破られた」の見出しで、1931年9月18日、夜10時半、突如として奉天郊外柳條溝(著者註:柳条湖)の満鉄路線爆破事件が起った。これをきっかけに日支両軍戰端を開くとあります。爆破事件を主導した関東軍参謀石原莞爾中佐(1889~1949)については、写真入りで「作戦主任参謀として満洲事変を立案遂行した」と明記しています。石原莞爾の顔写真を始めて見ました。

満洲事変續報、上海事変―肉弾三勇士―、満洲國誕生、問答無用の五・一五事件など軍事がらみ一色の報道の中で、「文化運動に対する弾圧。小林多喜二殺さる」が大きく取り上げられています。蟹工船の著者の死体と共に「プロレタリア作家同盟の書記長として、困難な情勢下に、献身的に活動していた小林多喜二は、1933年2月20日、築地署員に逮捕され、その夕刻、言語に絶する拷問とテロによって虐殺された」と解説して、「告別式に集まった知人たちは片っ端から検挙された」と報じています。

軍国主義華やかなりし第十四集(1934~1937)は、見開き1ページに「勅命下る軍旗に手向うな = 前代未聞のアドバルーン」と全面に写真を載せて「二・二六事件(1936年)、翌々日の28日、芝田村町飛行館の屋上たかく掲げられた戒嚴司令官のアドバルーン」とコメントして公然と軍部を批判しています。
報道規制、マスコミ弾圧によって反戦思想の取締りが熾烈を極める時代背景の中で、「あたら青春をいけにえとして」と見出しをつけて、小学生の木剣訓練、永平寺雲水たちの軍事訓練、軍人会舘サービス嬢の早朝なぎなた訓練などの写真を紹介し「誰か嫌悪と苦悩なしに軍国調に塗りつぶされた時代を想起するものがあろうか」と堂々の論陣を張っています。

これが、あの暗黒の時代の報道ぶりです。半端な覚悟では出来ない編集方針の決断です。今どき「政府が右といっているものを左とはいえない」と発言する類の報道姿勢は、ジャーナリズムではありませんし、国家のためにもなりません。しいて申せば、政府のためにもマイナスです。

個人的には、メキシコへ亡命する船上のトロッキー、八路軍の根拠地となった延安全景、兵士に演説する青年・毛沢東と朱徳、その他、数多(あまた)の特ダネ写真に魅(ひ)かれます。

この貴重な資料を送り届けてくれたのは、相模原市でティ&エムカンパニーという会社を経営している友人の社長です。添え書きに「古いモノが好きで、車から蓄音機、真空管ラジオ、ブリキのおもちゃ等々長年にわたって収集したモノ、モノ、モノで、我が家では置き場がなくなりました。
暇をみて整理をしているのですが、雑誌は懐かしくて見入ってしまっていっこうに片付きません。多分、アサヒグラフ、毎日グラフは全巻あったと思います。それらの一部を送らせていただきました。押し付けみたいになってしまいましたが、不要でしたらご面倒でもほかのゴミと一緒に処分して下さい」とありました。(2015/12月24日 元内閣官房副長官)