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◎「革命的総選挙」のリスクと責任

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今朝のニュース解説(4日) Name:杉浦正章 
 
 「民主党ええじゃないか」で民主党政権への流れが急だが、マニフェストを精査すると、はっきりいって「本当に大丈夫か」という不安感が先に立つことを否めない。マスコミが“あえて”見落としている部分にも焦点を当てると、民主党の「革命政党」的な側面も見えてくる。一つは戦後の日本を支えてきた官僚制度の全面否定であり、もう一つは受益者負担から国民が一律に負担する方式への大転換である。前者は直ちに予算の年内編成を困難にする。この不況下においてである。後者は国民の間に新たな負担と不平等感をもたらす。それでも「ええじゃないか」でリスクを度外視する風潮が今回の総選挙であろう。
 民主党代表・鳩山由紀夫は「革命的な総選挙になる」と繰り返し強調しているが、たしかにそうだ。統治機構も主要政策も“革命的”である。その意味で民主党も「革命的政党」となる。「脱官僚」と目の敵にする官僚機構改革は事務次官会議を廃止し、100人の国会議員を政府に組み込むのが基幹だ。問題はこの脱官僚が「消えた年金」「天下り」など「部分的弊害」を言い立てて「全体の改革」に直結させていることだ。それでいいのか。泥棒が一人居るとその町全体が悪いとされるのだろうか。日本の官僚制度は明治維新の太政官制度に端を発し、戦後も連綿として受け継がれている。日本を第2の経済大国に押し上げた、世界でも有数の官僚組織と言ってよい。
 それを弊害が目立つ英国の「政府と党の一体化」制度を導入して、3権分立をあやふやなものにしようとしている。100人の国会議員を官僚機構に送り込めば、国会と政府が渾然一体となって、少なくともいまの与党質問以上に“八百長質問”という形式ばかりの国会審議が横行する。自民党の政府への干渉を「族議員の横暴」とするならば、民主党は「財務議員」「農水議員」「国交議員」そのものがはびこることになり、予算のぶんどり合戦となるのではないか。自民党総務会と政府の“対峙”はあきらかに議院内閣制と三権分立の調和をとる側面があったが、民主党の脱官僚路線は議院と政府の一体化路線そのものである。多数政党と政府が一体化したらチェック・アンド・バランスをどう取るのか。まさに議院内閣制でなく議院イコール内閣制であり、責任は政府にあるのか党にあるのか分からなくなる。次官会議を廃止して、官僚組織の統制が取れるのか。最初に試されるのは予算の年内編成だが、9月中旬に内閣が発足して、まず官僚機構をぶちこわし、局長のクビをすげ替えていて、予算の年内編成が可能なのか。この空前の経済危機の時にその暇があるのか。
 節約だけで9兆円もの財源を生み出すという民主党の財源論も、はっきり言って夢物語だ。世論調査でも「無駄の根絶では財源確保ができない」が60%であり、だれも出来るとは思っていまい。その中での膨大な予算を伴う農漁業の戸別所得補償制度、高速道路無料化、ガソリン税の暫定税率廃止である。このつけはどこに回ってくるのか。結局税金か借金しかあるまい。断言できる。ところが都市部のサラリーマン、勤労者は農漁業の戸別所得補償制度が結局自分たちの税金によって賄われることに納得するのだろうか。大多数の答えが「冗談じゃない」であろう。高速道路無料化も民主党案では1・3兆円の財務負担を伴う。これを直接利益を受ける利用者だけでなく、国民すべてが負担することになる。高速道路など滅多に利用しない国民に取っては負担増が天から降ってくることになる。二酸化炭素規制の世界的風潮にも逆行する。子供手当も公立高校の無償化も然りである。既に子供を育て上げた国民への不公平感はどうするのか。現に配偶者・扶養者控除は取りやめとなる。受益者負担で成り立ってきた国の政策が、「財源無きばらまき政策」で、結局勤労者の負担にはね返ってくるのである。総選挙の選択にはいずれの政党を選んでもリスクが伴うが、「ええじゃないか」だけで選択せず、自らへのはね返りの責任をも見極める必要がある。


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